一回目 ⑤キャンプファイヤー
時刻は一七時三〇分。赤みを帯びた夕焼け空を背景に、全校生徒に祝福されるようにして、グラウンドの中央では巨大な炎が立ち上っていた。
私立星川高等学校の文化祭、星川祭のしめは毎年恒例だと言うキャンプファイヤーだ。僕らにとってはこれが二度目の後夜祭になる。だが、このイベントを柚希たちと迎えたのは今年が初めてだ。
僕が柚希たちと出会ったのは昨年の文化祭だった。かつて僕は園芸部に所属していて、それまで彼女たちとの接点は一切なかった。入部の動機は、野菜や花を育てるだけで楽そうだったからというあまりにも不純な理由だった。
この高校独自の校則で、必ず何かしらの部活動に在籍しなければならないというものがあり、仕方なく選んだのが園芸部だったというわけだ。今更ながら、とても最低な新入部員だったと思う。ごめんなさいと、この場を借りて謝罪の言葉を述べておこう。
柚希と出会ったのは、そんな昨年の文化祭で裏門の受付係を担当していた時だった。委員会に属すると、もれなく文化祭での仕事が増えるということを知らなかったため、昨年は担任に騙されクラスで美化委員を任されていた。今年は免れたのでその仕事はない。正直言って、委員会なんてものは面倒だったのだが、それのおかげで柚希たちと出会えたのだから、人生何があるか本当にわからないものだと思う。
夕焼け空と擬態化している篝火をぼーっと眺めていると、不意に柚希が口を開いた。
「今年の文化祭、すっごく楽しかったねー。なんだか疲れちゃった」
「ああ、すげー楽しかったよ。一年前なんて、こんな風に賑やかな文化祭を送れるなんて思ってなかったからな」
これは僕の素直な感想だ。特に親しい友人のいない僕にとっては、毎度毎度こういうイベントは息苦しいだけだった。家でギャルゲーや百合ゲーをやっている方が断然楽しかったのに、それが今では心躍るビッグイベントと化している。人との出会いだけで、人生はこんなにも大きく変わるものなんだと実感した。
「そうだねー。去年は文芸部もわたしと梨乃の二人だけだったから、少し寂しかったな~。ね、梨乃?」
柚希のそんな問いかけに、梨乃はため息交じりに返答する。
「私にとっては、どんな状況においても煩わしいだけ。人が多くて鬱陶しいし」
相変わらず冷めた反応だな。僕はそう心の中で皮肉り、隣人に目を向けた。そこで柚希は、無邪気さが舞うような屈託のない笑みを浮かべていた。
そんな彼女の赤みがかった横顔が、とても綺麗でつい見惚れてしまった。
僕の視線に気づいたのか、柚希がこちらを振り向く。
「ん? どうしたの? 彼方くん」
視線がぶつかった。柚希の瞳に映り込む、自分の頬が赤く染まっているのがわかった。恥ずかしさのあまり、僕は瞬間的に目線を逸らす。手に汗がじっとりと滲む。なんだか鼓動も早音を打っているように感じた。
何なんだ、これ。似たようなものを前にも一度体験したことがある。でも、今回のはそれとは何かが違う。こんなのは初めてだ。
何でもない、そう返事をしようと口を開いた瞬間、何の前触れもなく、グラウンドのスピーカーから音楽が流れ出した。
あまりにも急な出来事でハッと驚き、僕は辺りを見回す。
すると、それに反応した一部の生徒たちが一思いに踊り始めた。ある者は、大勢で輪を作り、適当なリズムで体を動かす。またある者は、ペアを作りフォークダンスを始める。その他の踊らない生徒たちは、変わらず談笑を続ける。それだけじゃない。周りと溶け込もうとせずに一人で佇む者もいる。一年前は、僕も向こう側に居たんだっけ。
そんな状況の中、僕は一人真剣に思考を張り巡らせていた。
「この曲、何かのゲームで聴いたことあるな」
「テポリスで使われてるやつじゃない?」
呆気なく解決した。声の主である柚希は、あっけらかんとした表情で僕を見ている。
そんな彼女と目を合わせられず、僕の視線は宙を彷徨っていた。
今更何を緊張しているのだろう。目の前にいるのは、さっきまで普通に会話をしていた椎名柚希その人だ。なのに僕は、どうしてこんなにも切羽詰まっているんだろう。
僕が何も答えずにいると、柚希は「よしっ」と呟き、
「せっかくだし、わたしたちも何か踊ろうよっ!」
僕と梨乃の背中をバシッと叩いてそう提案した。
「私は遠慮する。そういうの苦手だから、お二人でどうぞ」
気怠そうに断ると、梨乃はこの輪から離れて行った。
柚希は、その後ろ姿を執念深く見つめていた。まるで捨てられた子犬のように……。
「むぅー。梨乃の意気地なしー。まあいいや。じゃあ彼方くん、二人で踊ろう?」
振り返りざまにニコッと笑って、柚希は僕に両手を差し出した。
「え、あ、ああ、うん。そうだな」
歯切れの悪い返事だと思った。正面で手を伸ばしている柚希は、相も変わらず笑顔のままだ。僕とは違い、きっと内心だって普段通りなのだろう。
「えっと、何踊るんだ?」
「うーん、わかんない。まあ適当でいいじゃん、適当でっ。何が起こるかわかんない方が楽しいでしょ?」
「そう、だな。僕も攻略法とか探らないタイプだし」
自分で口にしておいてちょっと恥ずかしくなった。何をギャルゲーと比較しているのだろう。目の前にいるのは、二次元女子ではなく現実の女の子だというのに。
そんな雑念を振り払い、柚希の手を握ろうとしたところで僕は素早く手を引っ込めた。
「ちょっとたんま、手汗拭わせて」
「あ、そうだ、わたしもちょっとヤバいかも……」
そう言って柚希も一度腕を引っ込めた。
僕はジャケットで湿っぽい汗と変な空気を拭い取り、ゆっくりと手を差し出した。
その手に、柚希の柔らかな手のひらが重なる。とても温かかった。彼女の艶やかな指先をそっと包み込む。すると、微かに甘い香りがした。
自然と僕らの体が動き出す。
流れに身を任せて、ふわっとした足取りで互いを見つめ合う。
今度はちゃんと彼女の瞳を捉えられた。彼女も僕を見てくれている。
僕らだけの世界がそこに広がった。
「そういえば、さっき部室で百合について熱弁した挙句、わたしといろはを見て勝手にカップリング認定してたけど、ナニしようとしてたの?」
「おい、ナニを強調すな。ナニを。それに、男子には守秘義務が課せられているんだよ。だから教えられない。ってかそんなこと今聞くか? 普通」
「うっしっし。今なら白状するかと思って」
「こんな状況で口にしたら、雰囲気も何もかも打ち壊しだかんな?」
「良いじゃん別にー。その方が面白いし。何より彼方くんの変態度を再確認して、警戒態勢に入らないと危なそうだから」
「止めて警戒しないで。僕は良い子、周りに危害加えない、ただの変態紳士。オーケー?」
「うっしっし。やっぱ彼方くんは弄り甲斐があって面白いな~」
柚希は歯並びの良い白い歯をちらつかせて幼く笑う。
それを見て、またドキッとした。
いつもは意識していない、自身の脈拍数を数え、この胸の高鳴りを落ち着かせる。繋がれた手のひらから、僕のこの熱が伝わってしまうんじゃないだろうかと疑った。
それは、簡単に知られてはいけない気持ち。終わり、もしくは始まりへの言葉。
この気持ちの正体はずっと前から知っていた。ただ、それを表に出すつもりなんてなかったし、知られたくもなかった。でも、もう限界なのかもしれない。
はち切れそうな程想いが膨れ上がる。それを抑制すべく、理性が覆いかぶさり蓋をしていた。だけど、その蓋が退き始めている。もういいんじゃないかと、このじれったい展開にうんざりしている。吐いて楽になればいいと誘惑してくる。
我慢の限界なら、素直に口にするべきだとそう囁いた。
僕が足を一歩踏み出すと、柚希は一歩後退した。
柚希が一歩を踏みしめるから、僕は一歩を譲る。
その繰り返し。
だから僕は一歩前進する。
――今日、告白しよう。
そう覚悟が決まると、後はすんなりと行くものだろう。
「なあ柚希。後夜祭終わったらさ、ちょっと部室に残ってくれないか?」
「ほえ? えっと、別にいいけど。でも早く帰らないと怒られない?」
「あ、そうだよな……じゃあ、手短に済ませるから。な?」
「うーん……。わかった、いいよ」
彼女の返事に、ホッと胸を撫で下ろす。
正直言って本番はこれからなのだが、その頷きだけでひとまず安心した。
今のうちに、言うことを考えておかないとな。心の中で想いが渦巻く。
これからのことを考えると、居ても立っても居られなくなった。
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