一回目 ③かき氷屋

 そんなこんなで、前代未聞のお化け屋敷を体験した僕達は、無事脱出に成功した。

 懐中電灯は結局見つからず、出口付近に立っていた案内係の人に、二人で全力で頭を下げ、無くしたことを自供した。


「やっと出られた~!」


 お化け屋敷から飛び出した、柚希の喜びに満ち溢れた第一声。先程までの怖気づいたような態度とは一転して、満面の笑みを浮かべていた。

 そんな柚希を横目に僕もすぐさま外へ出る。

 日差しがとても眩しかった。まるで朝日を浴びたドラキュラのような気分だ。きっとこのままこの体は溶かされてしまうのだろう。だから僕は、そんな光に最後の願いを告げた。

 せめてその前に百合喫茶へ足を運びたい。

 ふと視線を感じ、恐る恐る目を向ける。瞬間、僕を白眼視する柚希と目が合った。


「えっと……彼方くん?」


「いえ、何でもありません。……はい」


 コホンッと咳払いを一つして、恥ずかしさを揉み消す。


「次、どこ行こっか?」


 小柄で華奢な柚希が大きく伸びをしてこちらに声をかける。力いっぱいに胸を張るものだから、強調されたその程よい膨らみへと、無意識的に目が吸い寄せられた。


「うーん、そうだなー。肉まんとかどうだ?」


 やっちまった。つい口に出してしまった。きっとお化け屋敷で、包み紙を剥がしてやりたいとかそんな邪なことを考えてしまった所為だ。


「肉まん? そんなのあったっけ? っていうか何か変なこと考えてない? さっきから目線がいやらしいんだけどなー」


 ジトーッとした目つきで柚希は僕を嫌悪する。


「そんなことは決してなーい」


 反射的に僕は目を逸らす。だがそれが却って怪しさを追求する念押しとなってしまった。


「それに、この中に入ってた時も、何か肉まんがどうとか何とか言ってた気がするんだけどさー、あれはわたしの気のせいだったのかな~?」


 嫌な汗がだらだらと体中から溢れ出す。

 あれ? おかしいな、声に出してたつもりはなかったんだけど。どうして彼女はそんなことを知っているのだろう?


「あれれ~? 彼方くんどうしたのかな~? 何だか目が泳いじゃってるけどー?」


「っはは。そんなことはないよ。僕はいつだって冷静さ。だから目が泳いでるなんてのは柚希の見間違いで、その肉まんって言うのも聞き間違いなんじゃないのかい?」


「まあそうだよね。あ~その包み紙を剥がしてみたい、だもんね? だから別に彼方くんがいやらしい目なんて向けるわけないよね~。肉まんをこよなく愛してるだけだもんね~。きっと出来立てほやほやの肉まんが食べたくて食べたくて仕方なかったんだろうねー?」


 くっ、目が笑ってない。このままだと、確実に梨乃行きだ。そうなってしまえば、こっ酷く叱られる、もしくはそれ以上の制裁が加えられるかもしれない。

 ……それは嫌だ。


「すみません調子に乗り過ぎました許してください何でもしますから」


 ぽっきりと根元から折れた僕は、その場で華麗にジャンピング土下座をかました。


「どうしよっかなー? 人の胸見て肉まんとかいう人だもんなー。完全なセクハラだし、梨乃に言いつけちゃおっかなー」


「それだけは、それだけはどうかご勘弁を!」


 自分の意志で、床にこれでもかという程額を擦りつけその誠意を示す。そんな光景は、傍から見ると相当奇妙なものであっただろう。


「うっしっし。冗談だよ、冗談。梨乃には黙っててあげる」


「本当ですか⁉ こんなわたくしめを許してくださるのですか⁉ ありがたき幸せ」


 恥ずかしさもあり、許しを得た僕は即座に立ち上がる。思い切りとは言え、よくもまあこんな廊下で土下座なんかしたよな。そんな自分が末恐ろしい。てか膝とデコが痛い。


「わたし、ほっかほかの肉まんじゃなくて、ひんやりとしたかき氷が食べたいな~」


「あ、あれ? 肉まんネタってまだ引きずるの? 許してくれたんじゃなかった?」


 そんな僕の問いに、柚希は可愛らしく小首を傾げる。


「え? 許すなんて一言も言ってない気がするけど? 梨乃には黙っててあげるって言っただけだよ?」


「うわー怖ーい柚希さん凄く怖ーい滅茶苦茶根に持ってますやん」


 悪魔のような微笑みを浮かべる柚希に従い、大人しくかき氷屋のある中庭へ足を運んだ。


 そこは既に人が散り始めていた。それもそのはず、時刻は一五時三〇分。文化祭終了間際だ。そろそろ片付けの準備を始めてもいい頃合いだろう。


「彼方くんは何味食べるの? 残念だけど肉まん味はないみたいだよ?」


「頼む柚希、もう肉まんの話はよしてくれ。さもなくば僕のライフがゼロになる。あ、すみません、僕はコーラ味をお願いします。柚希は?」


「う~ん。イチゴ味が食べたかったんだけど、売り切れちゃってるみたいだね」


 困ったなぁと言った様子で柚希は顎に手を当てる。

 まあイチゴ味のかき氷って定番だから、売り切れになってしまうのも頷ける。


「そうだなー、じゃあわたしはブルーハワイをお願いします」


「それじゃあ僕が払うから、柚希はあっちのベンチで座って待っててくれるか?」


「そんな、悪いよ。自分の分はちゃんと自分で払うからいいってー。それに、ここで貸しを作っておくと、後で変なこと要求されそうだし」


「いやそんなつもりはさらさらないんだが? しかも微妙に傷ついたかんな?」


「冗談だよ冗談。真に受けないでよー。まあだとしても、自分の分は、きちんと自分で払います」


 こういうところはちっとも可愛げがないと思う。何があっても絶対に奢らせてくれないし。というよりか、寧ろちゃんと躾がなってて大変偉い方なのか。だが僕はめげないぞ。


「あー! あそこのベンチに座ってる男の子二人、すげー仲良さそう!」


「え⁉ どこどこ⁉」


「三〇〇円からお願いします」


「っておい! 嵌めやがったな! 誰も居ないじゃんかー! 先生そういうのはいけないと思うなー!」


 柚希が蛙みたいな膨れっ面で、僕の肩をポカポカと殴りつける。


「へっへーんだ! 騙される方が悪いんだよーだ!」


 店員さんより受け取ったかき氷を両手に持ち、僕はベンチへと駆けた。その後を、不平不満をぶつぶつとまき散らしながら柚希が追って来る。

 青色のベンチに腰掛けて、ブルーハワイのかき氷を柚希に手渡す。それを受け取り、未だに膨れっ面なままの柚希も隣に腰を下ろした。


「彼方くんはどうしてそんなに奢りたがるかなー? もしかしてやっぱりマゾなの?」


「おい、一体どうすれば奢るという行為がマゾに直結するんだよ」


「いやだって奢るってことは自分のお金が減るってことでしょ? それに、わたしに何かを買ってあげたからといって、別に彼方くんが得するわけでもないじゃん?」


 器用にスッと青いシロップのかかった氷を掬うと、柚希はそれを口に運んだ。


「まあ、確かにその通りかもしれない……。でもさ、たまにはいいだろ? 僕が好きでやってることだし。それに、奢ってもらって困ることはないんだから」


 流石に柚希が好きだからとは言えないなと思いつつ、僕はかき氷を口の中に掻き込む。


「いやいや困るよ。わたし、あまり奢ってもらうとか、そういうの好きじゃないから。なんか借りを作るみたいで嫌だし。でもまあ……その、今日はありがとう」


 少しツンとした言い方だった。だがそれとは相対的に、柚希がいつもの如く子供のようなあどけなさで笑うものだから、僕は知らず知らずのうちに目を逸らしていた。

 その笑顔は反則だ。眩しすぎて直視できない。


「隙ありっ!」


 僕が余所見をしている隙に、柚希はコーラのシロップがたっぷりかかった氷を奪い取る。


「っておい何すんだよ! うわー! めっちゃシロップかかってるとこを敢えて取りやがったな! お前には人の心というものがないのか! お父さんは悲しいぞ!」


「う~ん! やっぱコーラ味も美味しい~!」


 畜生嵌められた。しかもシロップを根こそぎ盗んでいくとはとんだ薄情者だ。勝利の美酒に酔うみたいに勝ち誇った顔をしやがって。だが、僕も黙ってやられるだけの男じゃない。やられたらやり返す、覚悟しろ椎名柚希!


「あー! あそこで男子がくんずほぐれつしてるー!」


 これももちろん噓八百だが、盛大に僕は遠くを指さす。そんな異様な声に、周囲の人が僕に目をくれる。だがそんなものは痛くも痒くもない。今僕に必要なのはこの勝負に勝つことのみだ。一方柚希は、素知らぬ顔で自身のかき氷を食べ進める。


「同じ手に何度も引っかかるような柚希さんじゃありませんよーだ」


「いやいや嘘じゃないって! ほんとだって!」


「はいはい、大体二回目に嘘つく人ってそう言うもんねー。わたしは騙されませんよー」


「いやマジで嘘じゃないんだって! あれは何だ⁉ プロレスか⁉ プロレスをやっているのか⁉ おいおいマジかよこんなところで危ないぞ⁉」


「あーかき氷美味しいなー。このふわふわなのが良いんだよねー」


「あ、ああ! ヤバい! あのままじゃ押し倒しちまう!」


「――どれッ⁉」


「おっしゃ隙ありっ!」


 勢いよく青い部分にスプーンを滑らせる。そしてそのままそいつを口の中へと放り込む。


「うんめぇ~! なんか夏って感じがするー今秋だけど」


「うわー最低ー女の子の食べかけ盗むとか重罪だー重罪! それに嘘を連発して乙女の自尊心まで傷つけたから軽く無期懲役もしくは打ち首の刑に処すー! 異論は認めない!」


 ガルルルルッと、柚希はまるで狼犬の如く唸る。何か目も殺気立っているような……。 


「おいちょっと待てよ、先に仕掛けたのは柚希だかんな? 反論は認めない!」


「うるさい! 代わりにそのコーラ味をもっと寄こせー!」


 柚希が顔を真っ赤にして飛びついて来た。僕の左手にあるかき氷目掛けて。もちろん僕はそれを死守する。が、柚希もそれを許すわけもなく……。

 というか、僕たちは一体何をやっているんだろう。

 ようやく落ち着きを取り戻した柚希が、隣で深いため息をついていた。


「何を重苦しいため息ついてるんだよ。幸せが逃げるぞー」


「いいんだよ、もう。わたしの幸せは、たった今彼方くんに奪われたんだから、しくしく」


「えーそれって僕の所為なのー」


 小さな声で反論し、そっと息をつく。手元のかき氷を見つめながら。そんな夏の風物詩を眺めていると、どこかで風鈴の音がした。

 かき氷。かき氷と言えば夏。夏と言えば夏祭り。夏祭りと言えば花火。花火と言えば浴衣美人。浴衣美人と言えば……スッキリと露わになったうなじが捨て難い。それに鎖骨とか見えたら尚更吉だよなー。柚希、絶対浴衣似合うだろうなぁ。

 何だか悲しくなって、自然とため息が漏れた。


「夏祭り行きたかったよなぁ」


「行きたかったねぇ」


 柚希も遠くを眺めながら、ぼんやりした口調で頷いた。

 何だよ行きたかったのかよ誘えばよかった。そしたら柚希の浴衣姿で白飯六杯は余裕で食べれたのに。それから二人でりんご飴とかたこ焼きとか食べたりと屋台巡りしてさ、あわよくば手なんか繋いじゃったりして、一緒に打ち上げ花火を見て、最後に――。

 なんてのはただの妄想に過ぎない……虚しい。

 かき氷を食べ終え、腕時計で時間を確認する。只今の時刻は、一五時四五分。そろそろ戻らないといけないな。これから集計という雑務が残っている。

 ……ん? 一五時四五分……?


「ああッ!」


「ケホッ、ケホッ! ……あぁびっくりしたぁ、忙しないなーまったくもう!」


「もう一五時とっくに過ぎてんじゃんか! うっそだろガチャ引こうと思ってたのに!」


 その場で頭を抱えて悶絶する僕。最悪だ最悪だ。夏祭り復刻限定URのピックアップガチャがもう始まってるじゃないか。急ぐんだ瀬戸彼方。さもなくば乗り遅れてしまう。

 僕は慌ててポケットに手を突っ込んだ。


「乙女に意地悪したからその天罰が下ったんだねー。うっしっし、ざまーみろー」


 横で皮肉っている柚希は一旦無視しよう。今はアプリを立ち上げるのが最優先事項だ。

 両ポケットに手を突っ込んでいるのだが、それらしき物の感触がしなかった。


「あれ? 嘘だろ? マジかよ。スマホがない……」


 どこかに落としたってことか? でも落とすようなことなんてなかったよな。じゃあ一体どこに? 僕の背中に嫌な汗がじっとりと浮かび上がる。


「え、スマホ落としちゃったの?」


 柚希のくりくりっとした目が、不思議そうに僕を見つめる。


「ああ、そうみたいだ。でも、どっかで落とすようなことなんてなかったよな?」


 そう言ってすぐに思い当たる節があった。


「あっ! もしかして! 柚希、悪いけど先に部室戻っててくれ! 僕ちょっとスマホ探してくる!」


 勢い良く立ち上がり、駆け出そうとしたところで腕をパシッと掴まれた。


「彼方くん待って! わたしも一緒に行く! 手伝うよ!」


「いや、時間に遅れるかもしれないしいいよ。っていうか絶対遅れそうな気がするあと僕まだ死にたくない」


「大丈夫だって、梨乃にはきちんとメッセージ入れておくから。ね?」


 柚希はそう言って可愛らしくウィンクをしてみせる。

 連絡しておくなら何とか許してもらえそう、なわけないなやっぱ怖い。例え連絡を入れておいたとしても、僕が原因だと知られたら許してもらえないだろうな、絶対。

 しかし、柚希の目も本気だ。こうなった彼女は恐らく誰にも止められないだろう。ましてや僕なんかでは到底無理だ。だから仕方なく二つ返事で了承し、僕たちは回ったすべての場所を片っ端から探し回った。

 だが、結局僕のスマホが見つかることはなかった。だから泣く泣く諦め、この世の終わりみたいな顔をして部室に戻った僕らを待ち受けていたのは、この世のものとは思えないほど血相を変えた華崎梨乃部長。彼女は黙々と作業を進めていて、その机の上には、メンヘラ小娘ちゃんのカバーに包まれた僕のスマホが置いてあった。

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