一回目 ②お化け屋敷
暗闇の中で、ヒュウウウ~ドロドロドロと効果音が鳴り響く。
辺りがどうなっているのかはよくわからない。この教室内は、外の光が完全に遮断されていて、前もよく見えないほどだ。頼りになるのはただ一つ、僕が手に持つ小さな懐中電灯だけだった。何というか、懐中電灯としてはまったくもって本来の役目を果たせていないのだが、それが返って僕には好都合でもある。だから寧ろ感謝したいくらいだ。
なぜなら……。
「ね、ねぇ~暗くて何にも見えないよ~」
怯えた声を発し、僕の袖を必死に掴む柚希が隣に居るのだから。
何たる役得。よくもまあこんな暗黒世界を作り上げてくれたもんだ。おかげで女子と合法的に密着できちまっているじゃないか。
「まあ最初はこんなもんだろ。じきに暗さにも慣れるって」
なんて平静を装いつつ、心臓は張り裂けそうなほどに早音を打っている。
落ち着けるわけもなければ、緊張しないわけもない。だって至近距離に異性がいるんだから。それに、仄かにシャンプーの甘い香りもするし。やっぱり落ち着かない。
ゴクリと、無意識の内に生唾を喉に流し込んでいた。
ああ駄目だ。意識をそっちに持って行ってはいけない。さもなくば、僕はもう帰って来れなくなる。
「ひゃあっ! もう、びっくりしたぁ~」
何かに怯えたらしい柚希が反射的に飛びのき、僕に体当たりをする。あまりの勢いとその予想外の出来事に、僕は少しよろめいた。
「あっ、ごめん。彼方くん」
「いやいや大丈夫大丈夫。寧ろありがとう、助かった」
「んん? どゆこと? まあよくわかんないけど、どういたしまして」
案の定柚希は、僕の心中を察してはいないみたいだった。ふう、一安心。
流石に、おかげで現実世界に戻って来れたなんて口が裂けても言えないな。
「結構凝ってるね。この暗さじゃ辺りがよくわかんないから、急に何か降ってきたり飛び出してきたりしたら発狂ものだよ」
「そうか? 僕にはただ暗いだけに徹してて、何か味気ない気がするけど」
「ええ~絶対彼方くんの感覚がおかしいって。あ、もしかしたら懐中電灯持ってるからじゃない? ちょっとわたしに貸してよー」
そう言って柚希は、若干震えた手で強引に僕から懐中電灯を奪い取る。
「これ持ってるだけで安心感が全然違う! やっぱり彼方くんはこれ持ってたから平気だったんでしょ。ほれほれ~、頼りの懐中電灯くんが手元から居なくなって怖くなり始めたんじゃない?」
調子の良いことを口走り、柚希は僕から離れて一歩前に出た。
「明かりがなくなったからって僕は全然怖くないね。それに、お化け屋敷に重要なのは、テーマとその再現度だろ? 真っ暗じゃ何も見えないから、その暗闇に怯えることしか出来ない。それってさ、お化け屋敷としては失敗だと思うんだよ」
「そんなことないよー。暗闇ってだけで、十分怖いじゃん。何があるのか、何が来るのか分かんないから怯えるわけでしょ?」
柚希の言っていることは一理ある。だけれど、それじゃあ完成度としてはかなり低いものになると僕は思う。
「まあそうかもしれないけど。でもお化け屋敷ってのはさ、言わば追体験なんだからコンセプトは大事なんじゃないか? そうだな、例えば……廃病院がテーマだとしたら、ボロボロになった病室を再現することで、体験者側は臨場感を味わえる。即ち、それが恐怖なんだと思うんだ」
それに比べてこのお化け屋敷は、暗いだけで本当に何があるのかわからない。脅かし方もいまいちだし。入口で確か、地球温暖化がコンセプトだとか言っていた気がするが、何がどうなっているのかわからない時点で、それを活かせてはいないだろう。
「ふーん。それじゃあ彼方くんは、明かりなしの状態で、暗闇の中をたった一人でも出口まで到達できるってことだよね?」
「まあ不可能ではないかな。まっすぐ進んで出口があるのなら」
「そっかー、じゃあここからは別行動を提案する! わたしはこの懐中電灯くんと一緒に出口を目指すから、彼方くんはお一人様で出口までたどり着くといいのだぁ!」
わっはっはと駆け出す柚希。それを見て、僕は思わずため息をついた。
お前空気読んでそこ変われよ懐中電灯さんよォッ。
「うっしっし。悔しかったら取り返してみろ~!」
愉快に笑いながら前方を行く柚希を眺める。
くっそ、悔しすぎる。何で懐中電灯なんかに柚希の隣の座を奪われねばならんのだ。
僕はその場で唇をきつく噛み締めた。
「彼方くんってば怖くて怖くて言葉も出ないみたいだね! どう? 暗闇ってそれだけで十分怖いでしょー?」
うん、怖い。凄く怖いから、怖いよーって泣きつけばまた僕の袖を引っ張てくれるのかなぁ、なんて邪心が沸々と湧き上がる。
「っておーい聞いてるー?」
前方で小さな明かりがゆらゆらと揺れる。いつの間にか、僕と柚希の距離は開いてしまったみたいだ。
「ねえ、ねえってばー? 彼方くん、聞いてるのー?」
心成しか、柚希の声が若干震えているような気がする。
これはこれで面白いかもしれない。このままこの場に留まってみるとしよう。悪いお嬢さんをぎゃふんと言わせる良い機会だろうから。
「か、彼方くんってばー? もう冗談はやめてよー。どうせその辺に居るんでしょー?」
明かりがこっちに戻ってきた。
ふっふっふ、狙い通りだ。さあ柚希よ、そのまま僕に泣きついて来るがいい。
「わ、わたしが悪かったよ。悪ふざけが過ぎたなら謝るから、謝るからお願い、出てきてよー彼方くーん」
なんか今にも泣きそうって感じになってきたな。しゃあない、今日はここまでにしておくか。
仕方なく、僕は明かりの方へ歩みを進める。
「まったく、結局一人で行けないなんて、柚希は相変わらず――あ」
そう言いかけたところで、何かを踏んづけたことに気づいた。それも固い、スイッチのようなものを……。その正体を察したが、時すでに遅し。
アァ――――――!
「ぎゃゃぁあああ――――――――――!」
女性の悲鳴が二人分僕の耳を貫いた。それも、両方とも原形を留めていない、まるで断末魔のような叫び声だった。
前方から突進してきた柚希に勢い良く抱き着かれ、支え切れなかった僕の体はバランスを崩し、二人してそのまま後ろに転倒した。
「いってててて……。おいおい大丈夫か? 柚希?」
返事はない。聞こえてくるのは、「うぅ~……」とすすり泣く声だけだった。
あーこれ、完全に再起不能なやつだ。僕のせいなのか、自業自得というか、半々ってところだろうな。でもまあ取り敢えず謝っておくとしよう。
「えっと、ごめんな? まさか足元にスイッチがあるなんて思わなかったし、しかも柚希はそれを踏んづけてなかったみたいだったし、ますます油断しちゃってて……」
それでも尚、柚希は言葉を発しなかった。
どうしようこの状況。柚希にもの凄い力で抱きつかれてしまい、身動き一つとれないという、男として情けない状態に陥ってしまっている。
「あは、あはははー……あのー柚希さーん?」
僕の口から乾いた笑いが漏れる。それも当然。男子であるこの僕が、女子に力で負けるとは思ってもみなかった。
柚希の腕が、僕のあばらに食い込むかのように締め付けてくる。いや実際に食い込んでいるんじゃないだろうか。さっきからミシミシって音がしないでもない。
それともう一つ、少なくとも僕の体には存在しない、未知の感覚が丁度お腹に押し付けられている。何というか、今僕の上には肉まんが乗っている、そんな感じ。
肉まん? そうだ、肉まんだ。僕は今、包み紙越しに重圧感を味わう受け皿と化しているんだ。あ~その包み紙を剥がしてみたい、そんな愚かな衝動に駆られてしまう。
こっちか。こっちが原因なのか。これに屈して僕は抗えないのか。なるほどそれなら仕方があるまい。僕も健全な男子高校生だ。この感覚を正直に味わっていたい。
が、僕もそこまで鬼じゃない。と言うよりかこの状況がかなり恥ずかしい。もしも後ろから他の人が来ていたらとか考えだすとゾッとする。そんなことになれば、恐らく僕らは一生分の恥を掻くことになるだろう。
「あの~柚希さーん? ずっとこのままだと流石に不味い気がするんですけどー」
そんな僕の呼びかけに、ようやく柚希が反応を示した。ゆっくりとではあるが、僕の胸に埋めていた顔を上げる。そんな柚希の潤んだ瞳が、暗さに慣れた僕の目に映る。
涙目上目遣いは反則だと思った。僕の頬が徐々に熱を帯び始める。それだけならまだ可愛い方だ。だがこのままだと、僕は社会的に抹殺されかねない事態に……。
「ごめん……けない……」
掠れた声で、柚希が何かを訴えかける。
「え、なんて? ごめん、よく聞き取れなかった」
「動けない……。腰が抜けちゃって……動けない……」
マジですかーい。そう思わざるを得なかった。
「と、取り敢えず、ゆっくり僕が上体を起こすから、柚希もそれに続いてくれ。いくぞ? せーのっ!」
両腕にありったけの力を注ぎこみ、二人分の体重を支えながら起き上がる。が、その企みは果たせなかった。完全に柚希が硬直してしまっている。誰かが引っ張ってくれないと、きっと起き上がれないだろう。
もうこの際どうなってもいいや。誰かの力を借りるとしよう。
目一杯息を吸い込み、そしてそれを天に向かって盛大に吐き出す。
「すみませーん! 誰かー! 誰か助けてくださーい! お願いしまーす!」
叫んだところでふと思った。お化けが助けてくれるなんてことがあるのだろうかと。絶対ないよな。だってそんなことしたら、お化け屋敷じゃなくなるもんな。
すると、隣の壁から、ごそごそっと物音がし始めた。
え? マジで助けてくれるの? お化けさんめっちゃ良い人じゃん。
僕は期待の眼差しで、音のする方へと顔を向けた。
「どうされましたー?」
やがて、床にまで髪を伸ばした女のお化けさんが姿を現した。そんなお化けさんに対し、何の恐れも躊躇もなく、僕は救いを求めた。
「えっと、この腰抜けを引っ張り上げて頂けるとありがたいなーって、感じです……はい」
「わかりました。それじゃあお体、失礼しますね?」
お化けさんは、硬直している柚希に断りを入れ、ゆっくりと引っ張り上げる。そんなお化けさんの力添えもあり、柚希は起き上がることに成功した。
「あ、ありがとう、ござ……いやぁあああああああああ――――――!」
助けて頂いておきながら悲鳴を上げるとは、何と失礼なやつだ。
一度は立ち上がったものの、柚希はその正体を知り、またもや腰を抜かして床にぺたんと座り込んだ。
お化けさんの顔は、髪の毛で隠れて見えないが、きっと笑っているに違いないだろう。
「えっと、すみません。ありがとうございました」
僕は柚希の代わりにもう一度礼を言い、ゆっくりと立ち上がった。
「いえいえ。それでは、失礼しますね」
律儀に頭を下げて、お化けさんは消えて行った。
これ絶対、後で片付けの時にネタにされるやつだ。「今日さー、めっちゃ変な人たちいたのー」「えー何々? どんなのどんなの?」「なんかー床で抱き合っててさー助けてくれって呼び出されたのー」「えー何それきもーい」ってな感じで笑いものにされる未来が見える。
そんなこと考えてたら、気持ちがブルーになってきた。早くここから出てしまおう。
「柚希ー? おい、いくぞー。ずっとここに閉じこもってるわけにはいかないだろ?」
床で半泣き状態の柚希に声をかけるが、立ち上がれそうになかった。
「仕方ないなー。手貸してやるから、ほら、頑張れー」
柚希にそっと手を差し出す。それをしっかり掴むと、柚希は恐る恐るといった様子で立ち上がった。
「ごめん、ありがとう……彼方くん。それと……腕、借りてもいい……?」
再び、柚希の涙目上目遣いが僕にクリーンヒットした。
「し、仕方ないわねっ? まったく、今回だけなんだからねっ?」
嬉しさのあまり口調とテンションがだいぶ変になってしまったが気にしない気にしない。
「……反応が若干気持ち悪いから、やっぱ遠慮しとくね?」
涙ぐんだ笑顔でやんわりと断られてしまった。
「ごめんなさい冗談ですお願いします握っててください僕とっても怖いんです!」
プライドも尊厳も何もかもを捨て去り、情けなく首を垂れる僕は正直者だと胸を張れる。
「素直でよろしい。……というよりか、やっぱりわたしも怖いので握らせていただきます」
最後の方は小声でよく聞き取れなかった。だが、柚希が僕の左腕を両手でぎゅっと握りしめた。つまり、これが答えだろう。
神様仏様ありがとう! いや、優しいお化けさん、懐中電灯さんマジでありがとう! ん? ちょっと待て、懐中電灯?
「なあ柚希? そういえば懐中電灯はどこだ?」
それに対して柚希はハッと驚いた顔を見せる。
「あっ……。わかんない。どこか行っちゃったかも……」
僕の表情が一瞬にして凍り付く。
本当に大変なのはここからじゃないか……。
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