繰り返される時間の中で僕は

桃染さつき

一回目

一回目 ①弱小文芸部

二〇一八年九月二一日

 


 僕は百合のシチュエーションだと即答した。

 それに対し、机を挟んだ向かい側で作業を進める――椎名柚希は、わかってないな~とでも言いたげな顔で首を横に振る。


「ちっちっちぃー。それは切諫だよ、彼方くん? 想像力を膨らませるにはコスモを見なきゃ。百合のシチュエーションなんて聴いてたら、そっちに集中しちゃわない? 将来有望な小説家となるわたしなら、惜しげもなくBLを封印出来るね」


 あの堂々と腐女子を公言する柚希が自ら生甲斐を封印できるとは、ASMRというものは僕が思っているよりも中々に奥深いものなのかもしれない。

 というか今さり気なく凄いことを言ったような気がするのだが気のせいだろうか。


「し、しかし師匠、それなら、いったいどんな音源を聴けば……」


 僕にとって百合というものは、朝昼晩と絶対的に一日三食、じゃなかった三つ以上は新作を物色しなければならない生活必需品だ。

 だって尊いじゃないか。可憐な少女たちが瑞々しくも儚い想いを募らせ、互いの心を無意識に求め合う。それは友情なのか、それとも恋心なのか、そんなものは関係ない。そこに定義を求めてはいけない。女の子が女の子を想う。それだけでいいじゃないか。

 っと、話が逸れるところだった。今は、執筆中に浸るべきASMRについての議論なんだ。少なくとも僕の百合好きを公言する場ではない。


「それは~、ズバリ! スポンジとかアロエを切る音だね! 因みにわたしは、後者のアロエちゃんを愛用してるかな~」


「何⁉ あの、耳の奥がゾワゾワっとするやつだよな? マゾヒズムにでも目覚めろということか⁉」


「ちょっと待ってよその理屈だとわたしがマゾみたいになっちゃうじゃん!」


「え、違ったのか? 柚希はてっきりそっちの趣味だとばかり……」


「断じて違うから! わたしはどっちかというとサディスティックな方だから! こう、四肢を縛って身動きが取れなくなった屈強な男性を、その容姿に対し、敢えて不釣り合いな習字用の小筆の先なんかでくすぐったりして」


「その反撃として、更に目隠しを加えられた状態で、無数の筆でとっぺんからつま先までの体の曲線を思う存分責められた挙句に放置されたい、だろ? 知ってる知ってる」


「うんうんそうそう。っておいこら! 違う! 鎌をかけるな!」


 膨れっ面で机に身を乗り出す柚希。その勢いで、彼女の肩くらいまで伸びたさらさらな髪が、ふわっと重力に逆らった。


「ねえ二人とも、手を止めてないできちんと作業をして。これが遅れてしまったのは、誰が原因だと思ってるの?」


 柚希の隣で鋭い視線を向けるのは、一応この文芸部の部長である――華崎梨乃。一応と言うのは、この二年生三人しか所属していない弱小部活の中で、唯一まともな人間(?)であるが故に、彼女がその役割を仕方なく引き受けているからだ。


「申し訳ございません梨乃殿! わたくし瀬戸彼方めの失態であると深く反省しております! 今後はあのような過ちを犯さぬよう肝に銘じる所存であります!」


「わかってるなら手を動かして」


「あ、はい……」


 悪態をつきながらもきびきびと手を動かすその姿には、流石以外の言葉が出ない。

 彼女を見習い、僕もお口のファスナーを限界まで閉め切ったところで、手元の文集『星天』の集計を再開する。

 文化祭終了後は、販売していた文集『星天』の売り上げ及び売れ残り数の集計や、生徒会に提出しなければならない活動報告書の作成などと、避けては通れない道がある。本来ならば、この作業は終盤に差し掛かっていなければならないはずなのだが、ちょっとしたアクシデントが起こり、我らの部長様がお怒りになるほどペースが遅れている。

 まあそれは完全に僕のせいなのだから、逆らうことは出来ない。

 あれは、約一時間前の出来事――。

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