第26話 まったく覚えていない
壁に額を付け笑みを浮べるアンドレアス。それは肉食獣が獲物を見つけた様な獰猛な笑みだった。
(クククッ、勇者に出来る事がこの俺に出来ぬと思うなよ。勇気が勇者の専売特許ではないぞ!)
先ほどまで振り返る事の出来なかった事が嘘の様に、アンドレアスは振り返った。腕を組み、まさに魔王らしい威風堂々した姿のアンドレアス。額から大量の流している事まるで感じさせない佇まい。流石はアンドレアスである。
しかしその姿は、周りの者たちからすれば奇妙以外の何ものでもない。それはそうであろう、ドヤ顔で血だらけなのは間違っているだろう。誰もがツッコミたくとも、その恐怖からツッコめない。自然とアンドレアスに集まるのは恐怖と困惑の視線
。
その重圧がアンドレアスを襲う。だが、アンドレアス怯まない。勇者に必要とされるどんな状況だろうと諦めず、折れない心、勇気をアンドレアスは見せ、心で叫ぶ。
(きかぬわッ!)
心の叫びで心に活を入れ強い心を保つアンドレアス。そんなアンドレアスに魔の者の一人が近づいてくる。
その者は先ほど、アンドレアスが「言ったはずだ」と言った事を「言われてないか」と答えた間の悪いフロッグマンだった。
フロッグマンはおどおどした様子で近づいて来ると。
「あ、あの~……魔王様、そ、その、大丈夫なのでしょう か?」
声を掛けて来たフロッグマン。皆が恐怖から口を閉ざす中、アンドレアスへと尋ねるフロッグマンこそある意味、勇者と呼ぶに相応しいだろう。そんな勇者をアンドレアスは目を細め見つめる。
(また貴様かッ! この愚か者が、世には黙っていた方が良いという事がある事を知らんのか!)
心の中でそう思うアンドレアス。出来る事ならこの話でスルーで終わらせたかったのだ。しかし、話し掛けられた以上、無視するわけにもいかない。この場で聞こえなかった振りするのは余りに痛い。
「何の事だ?」
静かな声で分からぬ振りして、しらを切るアンドレアス。先ほど頭突きをしていた者とは思えぬ、その様子は余りに不気味さだ。その不気味さに怖気づき、顔を青くするフロッグマン。それは周りに居る者たちも例外ではない。だが、アンドレアスに問われたフロッグマンは答えない訳にはいかない。
フロッグマンは怯えた様子で細心の注意を払う様に媚びた様子で答える。
「あ、頭から血が流れておりますが……」
フロッグマンが答えた瞬間、アンドレアスから風の様な何かが吹き荒れる。それはアンドレアスが放つ圧倒的な覇気。その姿は覇者に相応しい風格だった。見る者たちに絶対者だと思わせる姿を見せるアンドレアス。
その姿にフロッグマンだけではない。全ても者がその存在感に息を飲む。
だが、そんなアンドレアスの内心はと言うと。
(この額について触れたな! 触れたな、カエルッ! よもや部下の中にこの様な愚か者が居るとは思わなかったぞ)
内心を怒りに染めるアンドレアス。だがその時アンドレアスハッと気づく。
(……刺客ッ!? この様な下っ端この俺に楯突くこと事態がおかしい。背後に潜むは、俺に反感を抱く反対勢力!)
アンドレアスがおかしいと思うのも当然の事だった。圧倒的な力で恐れられるアンドレアスだ。そもそも彼に対して、表立って歯向かうものなど魔の者など、既にいないのだ。
豪族や上級魔の者の中には一部、反感を持つ者は残ってはいるが、それでも表立って楯突くものはいない。そう言った者は既に生きてはいないのだ。
確かにおかしいのだが、アンドレアスは大きな失念をしていた。下級の魔の者は純粋に頭の弱い者が多い事を。そもそも冷静に考えれば、アンドレアス相手にこの様な下っ端を、刺客して送るアホな反対勢力など居るはずがないのだ。
普段であればこの様な事に気づかないアンドレアスではない。だが、問題はそこではない。アンドレアスは根本的な事を失念している。オタの全てを受け取ったアンドレアスは普段決して考えない様な思考までをも受け取っている事を。アンドレアスは気づかない内にポンコツになっているのだ。
(フフフッ、甘く見られたものだ。この様な揚げ足取りで、この俺がボロを出すとでも思っているのか。見せてやろう、絶対的な交渉術を!)
圧倒的な雰囲気を放つアンドレアスはゆっくりとその手を額へと伸ばす。額へと触れたその手をアンドレアスは眺め。
「なんじゃこりゃぁぁぁッ!」
驚き叫ぶアンドレアス。周りの者たちも突然アンドレアスの大声に身をビクッ震わせた。アンドレアスは手を見たまま驚きの表情で固まっていた。皆の者がそんなアンドレアスに注目し見守る。
「……血が流れているではないか?」
あまりに当然すぎるアンドレアスの発言。今更過ぎるその発言に皆が混乱する。アンドレアスの言っている分かるが、今更それを口にする意図が理解できないのだ。
そんな周りを置き去りにアンドレアスは続ける。
「全ッ然ッ気づかなかったぞ。一体いつの間にダメージを!?」
白々しい過ぎるアンドレアスの言動。勘のいい者はそれだけ察した。アンドレアスがこのまますっとボケ様としているのだと。そんな彼らの推測通りのアンドレアスの言葉が続いた。
「まったく覚えていない」
全力でそう言い放つアンドレアス。それで大半の者は気づいた。アンドレアスは覚えてないと言い全ての追及を逃れようとしているのだと。
これ程便利な言葉があるだろうか。本人に覚えていないと言われてしまえば、それ以上追及は困難なのだから。例え追及して来たとしても、覚えてないの一言で、どんな追及も迎撃できる上に、防御面にも於いてもその一言を言いつ続ければ、ボロが出ないという優れものなのだ。
しかもそれはアンドレアスと言う強者が使う事で全てを封殺する事が出来るのだ。
勝利を確信したアンドレアスは内心で笑う。
(ハッハッハッ、甘く見るなよ。この程度の事で蹴つまずく俺ではないはッ! 残念だったなオタ。そして名も知らぬ反対勢力よ。フハハハハハッ!)
ドヤ顔で勝利に酔うアンドレアス。だが勝利に酔うには早すぎた。ここには空気を読めない、間の悪い勇者がいるのだ。
「あれだけ頭を打ち付けていたのに、何も覚えていないのですか? ……」
静まり返っていた牢に響き渡ったのはフロッグマンの声。あれだけの事を何があれば忘れられるのだろうかと言う驚愕の表情を浮べるフロッグマン。
その言葉に顔を引きつらせるアンドレアス。
「何も覚えていないが、それがなんだ!?」
威圧する様な声。アンドレアスのその声は、これ以上の追及をするなと意味が含まれているのは誰の目から見ても明らかだ。誰もがこれ以上のこの話は不味いと空気を感じ取る中。そんな空気を物ともしないフロッグマン。
「いえ、あれだけ頭を打ち付けたんですよ! ……痛くはなかったのですか?」
「覚えていない」
「いや、でもあれだけの事を覚えていないと言うのは、何か少しくらい覚えているのでは?」
「覚えていない」
追及を止めないフロッグマン。追及する度アンドレアスの表情が厳しさが増して行っているのだ。アンドレアスのHP0よ。周りの者たちはこれ以上の追及は止めてと願う。その願いは、アホな部下を持ったアンドレアスへの同情と、そのアンドレアスが限界を迎え暴れ出す可能性を考慮した、自分たちの身を案じてものだ。あの頭突き見た後では、アンドレアスが暴れ出し際、自分たちの巻き込まれて死ぬ未来が容易に想像できたのだ。
しかし、そんな彼らの願いは届かない。
「……本当に何も覚えてないんですか!?」
「くどいぞ! 覚えていない!」
「な、何もですか!? ……ま、魔王様。そ、その~一度軍医に見てもらうのがいいかと」
牢の中を何とも言えない空気漂う。部下にHPをゴリゴリ削られ、その張本人から心配せれる魔王様という何とも言えない状況。皆が何とも言えない表情を浮べる。同情と呆れだった。アンドレアス張本人も漏れる事なく、何とも言えない表情だ。
(心配していただと。なぜ下っ端のカエルに俺が心配されねければならんのだ! 何たる屈辱。しかし、これでは怒るわけにも行かぬ)
怒りはあるのだが、バカなだけで純粋に心配している事が伺え、怒るに怒れない所が何とも質が悪い。再三追及して来た事もそうだが、下っ端の部下に心配された事もアンドレアスに大きなダメージを与えていた。
ボコボコにされているのにやり返せない事に悶々とするアンドレアス。本来のアンドレアスならばその様な事はないのだが、こんな所にもオタの思考が大きく影響しているのだ。しかし、その張本人はその事を自覚できていない。
自覚のないアンドレアス。だが怒れない以上、否定する事は難しい。そんなアンドレアスの用意できた返答は。
「そうだな、一度見てもらうとしよう」
まさかの肯定だった。ギョッとした顔を周りの者たちが浮べる。先ほどまでのやり取りは何だったのか? アンドレアスは切れる寸前ではなかったのか? 疑問と共に困惑する者たち。
中には真実に近づき、心配していたから許された? と考え者も居た。しかし確信が持てず、結局の所、アンドレアスはこの場に居た者たちに、突拍子のない行動をする予想の出来ない危ない者という、本人に取って許しがたい不名誉な印象を持たれる事となった。
皆が理解出来ない者としてアンドレアスを見る。それは聖女アテネとて例外ではない。何とも居心地の悪い場所へと変わってしまった牢。
そんな中、唯一の救いがフロッグマンという何とも言えない状況だった。フロッグマンだけが自分の意見を聞いて頂けたと感極まり、 瞳に涙を溜めアンドレアスを見つめている。
もはやこの牢でアンドレアスを偉大な魔王と思っているのはフロッグマンだけだった。
なぜだろうか? アンドレアスは頭痛と眩暈に襲われるのだった。
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