第25話 乱心?

 アルテール地下牢にズドンという音を立て響く地響き。その発生源には皆の注目を集めるアンドレアス。


 凄まじい勢いで岩の壁へとぶつけられたアンドレアスの額。それこそがこの地響きの正体だ。額を打ち付けたまま動かないアンドレアス。砕けた岩の壁がその衝撃を物語っている。


 アンドレアスは自分の行いを悔いていた。無論、壁に額を打ち付けた事ではない。


(なんと無様な姿か! 情欲に負け、無様ににも手を伸ばすとは。権力や力で情欲を満たそうなどと、最も愚かと軽蔑していた者たちと同じではないか!)


 情欲に負けそうになった自分を恥じるアンドレアス。これまで女に興味がなく、それを愚かとして来たアンドレアスに取っては許されない事だった。自分の価値観とオタの価値観との間で苦しむアンドレアス。


 だが、そんな事と知る由もない牢の者たちは、アンドレアスの突然の行動が理解できずに唖然していた。


 当然の事だろう。突然、額を壁にぶつける者を見れば、誰だって唖然とするに違いない。それが立場の高い者であれば尚の事だ。


 皆が言葉を失う中、状況の分からぬ警備の者たちが駆けつけてくる。


「いったい何事だ! 魔王様は……」


 牢の前で固まっている仲間に問う、駆けつけた者たち。しかし、牢の中の光景に言葉を失う。


 静寂が支配する牢の中、アンドレアスの額が壁から離れる。赤く血の滲んだ額。誰もが困惑するが、その中でも魔の者たちの困惑は強烈だった。


 それは恐怖。アンドレアスを恐れる魔の者たち。そのアンドレアスの理解できない行動。だが、アンドレアスの感情が荒ぶっている事は理解できる。その行動が何なのか、それが自分達に対してではないのかと考えてしまうのだ。無論、アンドレアスへの反逆の意志もなければ、不敬を働いた覚えもない。それでも、もしかしてと考えてしまうほどアンドレアスが恐ろしのだ。


 恐怖から顔色の悪い魔の者たち。そんな彼らを無視して、アンドレアスの壁から離れた額は再び壁へと向かう。


 ズドンと響く衝突音。その余りの衝撃に震える地下牢。皆が言葉を失い唖然とするの静寂の中、衝突音は続く。何度となく打ち付けられる額。その度に揺れる地下牢。


 打ち付けられる度にアンドレアスの額の出血は増え、血の散る牢内。


(何をやっているんだ俺は! クソがッ!)


 アンドレアスは自身を許せず何度となく額を打ち付ける。情欲に負け、理想とする自分への裏切った自身が認められず、許せないアンドレアス。しかし、それ以上にアンドレアスを苦しめているものがあった。心臓がドクンと大きく脈打った、あの全身を掛け抜けた寒気。アンドレアスが初めて感じた感情。


罪悪感である。


 アンドレアスは初めての罪悪感に苦しんでいたのだ。涙を浮べる彼女を見て感じた後悔。自分が悪いと自信を否定する心。心を支配する罪悪感。だが、アンドレアスはそれが何か分からず苦しむ。


 何度となく額を打ち付けるアンドレアス。その狂気の行動に囚われた捕虜たちもが怯え始める。


 それは聞き及んでいた噂以上。魔王アンドレアスの代名詞とされる残忍無慈悲。絶対的な強さを持ち、その行動原理と行動はもはや狂気。常人に理解できないアンドレアスは災害とすら言われ、恐怖の対象である。


 理解できないと言われ、人族の全てが大小は有ってもアンドレアスをそう認識している。しかし、目の前の光景は、そんな人族の予想と想像を遥かに超えていた。


 頭を壁へと打ち続ける魔王。誰が予想するだろう。頭を壁へと打ち続ける魔王など。これはもはや、狂気などと言う言葉では片づけられない。本当の意味で正気を失っている。人族にはそうとしか思えぬ光景。実際、魔の者中にもアンドレアスが正気を失ったと考える者も少なくはなかった。


 これが何の力のない一般の者であれば、危ないなと危機感を持つ程度だろう。しかし、それが最強の魔王ではそうはいかない。


 魔王城を一人で制圧したと言う前科と勇者パーティー80人を一人で倒した偉業を持つアンドレアス。それ以外にも数多くのとんでもないエピソードを持つアンドレアスが正気でないなど笑えない冗談を通り過ぎて、只々恐怖でしかないのだ。近くに居るだけで、何時巻き込まれて死ぬか分かったものではない。


 そんな皆を追い込む様に響き渡る衝突音。額がぶつかる度に砕ける岩の壁、震える地下牢。その全てがアンドレアスの尋常ではない力を物語っている。例え勇者であっても、食らえばただでは済まない頭突き繰り返すアンドレアスに、皆が顔を青くして見守っている。


 アンドレアスが壁に頭突きをして、それを皆が見守ると言う可笑しな光景。しかし、それも長く続かない。


 額を壁に打ち付けて動かなくなるアンドレアス。全ての者が次は何が始まるのかと息を飲む。


 心の苦しみから額を打ち付けていたアンドレアス。その甲斐もあってか心の苦しみも薄れ、冷静さを取り戻す。そして思い出したのは周りの存在。そうここには多くの目撃者いるのだ。


 固まるアンドレアス。どう取り繕ってもマズイこの状況。どう考えても乗り切る術が見つからない。どう考えても不可能だと。どう言い訳しても頭が可笑しいと思われる未来しかない。話す気はないが仮に真実を語っても、情緒不安定な魔王として歴史に刻まれる事になるだろう。


 追い込まれたアンドレアス。だが、まだ詰みと言う訳ではない。歴代最強の魔王と謳われるアンドレアス。彼はその最強の呼び名に相応しい、最終奥義を隠している持っている。


その奥義は、アンドレアスの障害や問題の全てを無へと帰す。名はない。だが、その奥義名を付けるとするならば、


【物理によって全てを消す】


と命名するべきであろう。文字通り、物理よって全てを消して解決すると言うアンドレアスならではの荒業である。今の場合だと全ての目撃者を消す事になる。


 そう、問題とは存在するから問題なのであって、存在しなければ問題ではないのだ。これは障害なども同様である。


 まさに生物最強のみが辿り着ける理論。全てを無に帰せると自負するアンドレアスが故に成立する暴論である。 


 そんな最終奥義を持つアンドレアス。だが今のアンドレアスには、その最終奥義を使える自信がなかった。未だ理解できないが赤髪の女の潤んだ瞳の衝撃を考えると、とてもではないが殺す事が出来るとは思えないのだ。男ならばともかく、オタの全献上を受けた今のアンドレアスでは、そもそも女自体を殺せるのかも怪しいのだ。


 最終奥義が使えないと判断したアンドレアスの頬を冷や汗が流れる。


(ダメだ。何も打開策がない。この俺が詰んだというのか!?どうすればいい? とにかく周りの様子を確認しなければ)



 壁に額を付けたままのアンドレアス。周りを確認しようとするアンドレアスだが、振り返る事ができない。アンドレアスが感じたのは恐怖。


 これまで周りがアンドレアスをどう思おうと関係なかった。それは人の印象など、どうとでも出来ると言う余裕が有ったからだ。だが最終奥義が使えぬ今、アンドレアスの望まぬ噂が広まるのを止めるすでがない。


(バカな! この俺が恐れていると言うのか!? 最強であるこの俺が?)


 アンドレアスは自分が恐れている事を自覚した。初めて感じる恐れ。


(これが恐れ! これが恐怖か!? ……ふふふ、ふはぁははははははははっ、そう言う事か。やってくれるなオタ。この俺に恐怖を感じさせるか!)


 アンドレアスはオタの言葉の意味を理解した。あの戦いでオタは言った。「俺は愛するこの世界の為に、お前を止める」それが奴の戦い。そう、まだ戦いは終わってなどいなかった。いや、始まったばかりなのだと。


(これがお前の戦い方なのだな。 クククッ、何とも小癪なやり方よ。だが面白い。これまでの雑魚とは違うようだな。認めよう。オタよ、貴様が俺に挑む資格の勇者である事を)


 アンドレアスはこれまで多くの勇者を口では勇者と呼んでいたが、実際はその誰一人として勇者とは認めていなかった。勇者とは人々の希望であり、魔王にとっての脅威でなければならない。


 だがアンドレアスは一度として脅威に感じた事はなかった。これまでは。しかし、今初めてアンドレアスを脅かしかねない存在が現れたのだ。


 これまで勝つ事が当然としてきたアンドレアスが、初めて危機を抱いた瞬間だった。初めての勝てるか分からない、戦いからの不安。そして敗北も有りうるかもしれぬと言う事から感じる敗北の恐怖。


 だが、アンドレアスは笑った。壁に額を当てている為、誰もそれを伺う事は出来ないが、アンドレアスは確かに笑みを浮べていたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る