第17話 何の成果も得られませんでした。

 アンドレアスが再び部屋で待っていると、扉がノックされる。


「ご指示のご高齢の軍医をお連れしました」


 扉越しにミラの声を聞こえ、アンドレアスが「入れ」と指示する。扉が開きミラに続き、ご老人が入って来る。


 ご老人は族でいうところの九十歳といった外見で、白髪で足がおぼつかず杖を持っている。杖を持つ手はプルプルと震え、前は見えているのだろうか? その瞼は閉じている様にしか見えない。控えめに言っても、既に棺桶に片足突っ込んでいるといったレベルである。


 ご老人はフラフラとアンドレアスの前へと来ると。


「魔王様、この度はお呼びとの事で。わたしゃ、ヤブ・イーシャと申します」


 アンドレアスはヤブと名乗る医者を観察する。


(名前もそうだが、こいつは大丈夫なのか? 医者ではなく患者の間違いではないのか。まあ、ミラが連れて来たのだ。外見はともかく実績は確かなのであろう)


 ミラへの信頼から納得したアンドレアスが指示を出す。


「ミラよ、ご苦労であった。部屋の外で待て」

「はっ! 部屋の外で待機してます。何かあればお声掛け下さい」


 気持ちの良い返事をし、部屋を出るミラ。


ミラが居なくなり二人になるとアンドレアスが老人へと声をかける。


「よく来たなヤブ。実は少し困った事があってな。これから話す事は他言無用だ。よいな」


 声をかけても反応のないヤブ。アンドレアスがどうしたんだ? 死んだのかと思いヤブを観察していると。


「それでわたしゃ、何をすればええんでしょうか、魔王様?」


 アンドレアスは少し遅れて話始めたヤブに驚く。


(おぉ! 生きていたか。死んだのかと思ったぞ!)


 生きている事が分かりアンドレアスは話を続ける。


「その、なんだ。少々、体が可笑しな事になっていてな。その、色んな事に敏感になったというか、反応してしまうというか」


 アンドレアスは話そうとするが、自分の恥を晒す事に躊躇して、上手く切り出せないでいた。そんなアンドレアスの言葉を待つ様にヤブは黙ったまま見つめていた。といっても瞼は閉じたままである。


 焦らせる事無く、黙って自分の話を待ち続けるヤブの姿にアンドレアスは、


(コヤツの様な奴を聞き上手と言うのだろうな。伊達に多くの患者を診療してきたわけではないようだな! 医学の中に心に寄り添う診療があるという。当たりだな! こいつ名医だ!)


 と確信する。確信したアンドレアスは、これ程の名医に相談しないのは愚かだと考え、躊躇していた自分を可笑しく思った。不思議と、このヤブという医者なら大丈夫と感じたアンドレアスは気持ちが軽くなり語り出す。


「実はだな最近、見境なしに発情している様なのだ。寄りにもよって幼女の下着に目が吸いよされ、あげく膨張までする始末。正直どうかしているであろう? 相手は子供だぞ! 何でこんな事に成ってしまったのか。こんな事が広まっては魔王としての沽券に関わる。ヤブよ、力を貸してくれ」

「……」


 アンドレアスが問うが、ヤブは微動だにせず沈黙する。ヤブの沈黙で、先ほどとは打って変わり不安がアンドレアスを襲った。


(なんだ? なぜ、なにも言わぬ!? 幼女に発情する様なヤツに語る言葉などないとバカにしている? それとも呆れているのか!? とんでもない変態魔王だと。……いや、先ほど名医と信じたばかりではないか! 何か考えている可能性も十分ある)


 そう考えたアンドレアスは待つ。名医ヤブの言葉を……しかし、待てども言葉は帰っては来ない。アンドレアスとヤブ、二人が向かい合ったまま沈黙が続く。


 魔王と老人が無言のまま、向かい合う不思議な光景。その状況に先に耐えられなくなったアンドレアス。不安とその居心地の悪さから口を開いた。


「ヤブ、なぜ黙っている」

「……」


 依然として、沈黙し続けるヤブ。アンドレアスは問うたにもかかわらず、答えぬヤブに苛立ち声を荒げる。


「おい! 聞いているのか!?」


 ヤブがビクリと体を震わせる。そして口を開いた。


「はい、聞いておりますぞ。それで、何をすればええんでしょうか、魔王様?」


 まるで振り出しに戻った様な事を、何食わぬ顔で言うヤブ。これまでの話はどこに言ったのかと、アンドレアスは可笑しく思いながらも答え始める。


「うむ、簡単に言えば、子供にまで欲情するこの可笑しな状態を何とかして欲しいのだ。制御するなり、抑えるなりだな。このままでは政務にも支障をきたす。出来るだけ性急に……?」


 話していたアンドレアスだが、無反応なヤブに不安を感じ尋ねる。


「おい、聞いておるか?」

「……」


 再び反応しないヤブにアンドレアスは声を荒げて呼びかけた。


「おい、ヤブ!」


 沈黙していたヤブが何事も無かったように返事する。


「はい、なんですかな?」


 ヤブのその様子にアンドレアスは少し考える素振りをした後、


「おい、ヤブ聞こえるか?」

「……」


 アンドレアスは確信した。これまで勇気を出し、話していたがその全てが無駄であったと。何故ならヤブは耳が聞こえていないのだから。


 これまで耳が遠く聞こえていないヤブに、どう話しを切り出すべきかと悩み自身のマヌケさに頭に手を当て上を向くアンドレアス。自分のプライドから知恥で体を震わせる。


 普通だったら聞こえていない人に話し掛けていたと、笑い話になるだろう。だが、彼はアンドレアスだ。残虐無慈悲な魔王。常に最強であり、恐怖と悪の象徴でなければならないのだ。断じて耳の遠く聞こえていない老人相手に、独り言の様に呟いていたなど有ってはならないと考えるアンドレアス。


 しかし、部屋に二人でヤブが聞こえていない為、自分が黙っていれば誰にも知られる事は無いと気づき、落ち着きを取り戻したアンドレアスは大きな声で話し始める。


「今私は可笑しな状態になっている。子供にまで欲情するこの可笑しな有様だ!何とかして欲しいのだ。制御するなり、抑えるなりだな。このままでは政務にも支障をきたす。出来るだけ性急にな」


 大きな声で声を掛けた甲斐あって、ヤブは軽く頷きながら話しを聞き、アンドレアスの話が終わると口を開いた。


「ほほー、子供に相手にですか。中々に深い趣味ではありますな。しかし、倫理的に少々問題でしょうが、特に何か治療が必要とは思えませんが?」

「子供だぞ! 幼女に欲情を抱いているんだぞ! どう考えても可笑しいであろう!?」


 治療が必要ないと言う言葉に、必死に可笑しいと説明するアンドレアスにヤブは不思議そうに首を傾げながら「はぁー?」声を漏らし。


「しかしですな。どんな理由で欲情したとしても、別に病気と言う訳ではございませんので、医療の範囲外ですじゃ。どうしても治療を受けるのでしたら、心療もしくは頭の方をオススメしますじゃ」


 高齢でよぼよぼとしたヤブだ。決してバカにしての発言ではなかった。アンドレアスの話を受け止め、親身になってのことだった。だが、既に耄碌したヤブは相手への配慮までは出来なかった。


 怒りに顔を歪めたアンドレアスのアイアンクロウがヤブに炸裂する。そのまま持ち上げられたヤブが、顔を掴まれ手を掴みながら足をパタパタさせる。


 枯れ細った老人の頭を掴み上げる、まさに無慈悲の魔王に相応しい光景。アンドレアスは掴み上げたヤブに鬼の形相を浮かべた顔を近づけ告げる。


「ヤブ、今何って言ったんだ!? 誰の頭が可笑しいって? ア”ァァー」


 怒りで我を忘れて脅すアンドレアスの姿は、さながら取り立てのやーさんだ。締められるヤブ。アンドレアスに恫喝され、宙に浮いたまま謝罪を始めるヤブ。


「申し訳ありません。わたしゃ、決してその様なつもりでは。魔王様お許しを」

 

 ヤブの謝罪を聞きアンドレアスが手を放す。ヤブは地面へと落ち上がった息を整え立ち上がる。


「よいか、頭には何の問題もない。いいな! 問題なのは女であれば誰彼構わず発情していまう事だ。間違えるなよ、二度目はないぞ」


 アンドレアスがそう釘をさすと、ヤブはコクコク頷く。


「これはな、これまで女を見ても何も思う事なかったこの俺が、見ればドキドキして、あまつさえ幼女の下着を見て膨張していることなのだ。分かるか!? これまで一度も膨張した事ないモノが膨張したのだ! 事の重大さが分かったか?」


まるで軍事会議でもしているかのような、真剣な様子で話すアンドレアス。まるで会話と合わない光景だった。


 そんな中、ヤブが驚愕の表情を浮かべる。これまで開いていたか分からない瞼を、目が飛び出さんばかりに見開く。突然の変わりようにアンドレアスも驚き体をビクリと震わせる。


「なんとッ! 魔王様は万年EDであったと! んん――」


 突然、大声での叫ぶヤブの口をアンドレアスが塞ぐ。扉の方を確認する様に見たアンドレアスは「ふぅ」と息を吐く。


「ヤブ、これは他言無用と最初にいったであろう。これは極秘事項なのだ。」

「はぁ~? そうでしたか」


 そうだったかなと不思議がりながら答えるヤブ。アンドレアスは何をとぼけた事をと思う。アンドレアスは、部屋の外のミラに聞こえていなかと冷や冷やし苛立っていた。しかし、ふと気づく。


(あっ! こいつ最初の方聞こえていなかったのだったな)


 アンドレアスはその事を思い出し、聞こえていないのなら仕方がないなと、ヤブへ感じていた苛立ちが収まり。


「そうだ。話の流れではそうなっている」


 アンドレアスの可笑しな言い回しに、さらに「はあ?」と困惑の声を漏らすヤブ。アンドレアスはそんなヤブを無視して強引に話を進める。


「そう言う訳だから大声は控えよ。それでこの可笑しな状態、医療で何とかならぬか?」

「正直難しいかと。ですがその経緯で原因が分かればあるいは」


 アンドレアスはヤブのあるいはに希望を見出し、これまでの経緯を話した。話を聞いたヤブは、勇者オタが何らかの形で影響しているのではないかと考え進言する。しかしアンドレアスは、あの様な者に何ができると鼻で笑い、ヤブの言葉に耳を傾ける事はなかった。


 結局、何の成果も得られぬまま、ヤブは部屋から退室する事となった。


 部屋に一人残ったアンドレアス。デスクに座るその表情は曇っていた。これからどうしたものかと考え天井を眺めるアンドレアスだった。

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