○第二部 ぬすむ理由が必要か?

 盗賊ってやつのことは、誰もがみんな“悪人”だと思ってるんだよな。


 けど、如何いかがわしい職業にいてるからって、すべてがクズな人間ってわけじゃねえ。

 例えばクルト=カーター。……いや、まあ俺のことなんだけど。


 泥棒の中でもとくに信心深く、自分が生きるための最低限の盗みしかやったことがねえ。それは本来、自分が持てるものより多くを持ってしまった者は、その超過ぶんは不幸に変わってしまうっていう、ありがたい娼婦の教えから来てるんだ。


 ――?

 俺の神は娼婦かって?

 いや、それはただの母ちゃんだよ。


 ……でもまあ、何だっていいじゃねえか。とにかくまともな生まれの奴には、分からねえってことだ。


 悪事に手を染めなければ、今日の晩飯にもありつけない、惨めな人間のことが。

 煙草タバコを吸うには、人の投げ捨てたシケモクを拾って、そいつの唾までなめなきゃならない下層階級の生き物が。


 ――見てろよ。

 世の中のやつら、きっと驚くことになると思うぜ? クルト=カーターって仁義にあつい盗賊が、世界を巻き込むような大騒動を起こしてしまうことにな。


 厳しい場所で生きてるヤツは、誰だってささいなきっかけで世界のジョーカー死神になり得るんだ。


 ……それでは、披露させてもらおうか。前振りが長くなっちまったが、いつもの小さな盗みから始まっていった、俺のいびつな成功絵巻を――





 彼は駆けていた。

 背は低く、あたりは闇夜だったが、音もなくまちうらを走り抜けていく様は、獲物を駆るしなやかな肉食獣を思わせる。


「ははっ。今日はいい客がいたもんだよ!」

 盗賊クルトは、日頃から知りつくした宿屋の部屋割りを思い出しながら、こみ上げるような笑いを浮かべていた。


 たとえ場末の宿でも、客はあなどっちゃいけねえ。

 何度も自分に言い聞かせてきた言葉だが、今晩ほどそれを実感したことはなかった。


「……あいつはたぶん、わけありの魔術士だな。じゃなきゃ体に一つも身につけていないのに、これほど宝飾品を抱えてるはずがねえ」


 懐に入れた小袋の重みを確かめながら、クルトは抑えきれない高揚に身をふるわせた。

 どんなに高額の盗みを働いても、そこから八割は持ち主に返すのが彼の信条だが、今夜ばかりはそれも忘れたいところだ。


(けど、それをやっちゃあ俺も、盗賊としては長く生きられねえんだよな)

 あとで盗まれたものが戻ってきたことで、してやられた被害者の恨みはいくぶんやわらぐことになるし、警吏の追っ手もどこか厳しさがなくなる。


 場合によっては、今回のようにおおやけにしづらく、公的な機関に通報できない盗品もあるだろうが、そういうものこそ気楽に扱えばヤバいことになる。


 アシがつけば、盗賊はすべてが終わりだ。

 クルトは夜半の街を駆け抜けながら、表情を引き締めていった。






 そこは、『リラ』と呼ばれる街から、四半日ほどの距離にあった。


 やや峻険しゅんけんな高山帯であり、地元の者でもまず足をふみ入れることはない。だが、山賊などの棲み処にもなっているその場所が、クルトにとっては最高の隠れ家になっていたのだ。


「……追い剥ぎなんかして、ついでに人を殺すことを屁とも思わない粗雑なやつらには、俺の秘蔵部屋なんて見つかるはずもないからな……」

 彼はそう呟き、がけの中腹にある横穴を見上げ、一人ほくそ笑むように立っていた。


 まずこんなところを人が登れるとは思わないだろうし、ヤツら――悪名高い山賊――がいるおかげで、狩人などの一般人も寄りつくことがない。

 岩壁を決まりきったルートで登り、短い横穴の奥にたどり着くまで、さして時間はかからなかった。


(さて……。ロウソクなんかの一式は、どこへ置いたかなっと……。いやー、今回の“お宝”の選別は、迷いそうだなぁオイ)

 またいやらしい角度に唇を曲げ、クルトは胡坐あぐらをかくように座っている。


 足の間に置いた袋は、かっぱらいから仕事を始めて十年、今年十九になろうかという彼でも、記憶にないほどの重みを返してくれていた。二割だけをそこからいただくといっても、簡単に素性がバレるようなさばき方をしては、盗賊の名折れだ。


「しかし……うおお! 何だあこりゃあ!!」

 宿屋の暗室で一度確認したことではあったが、その小袋に詰めこまれた宝石は、やはり尋常なものではなかった。


 ロウソクのおぼろげな明りの下でも、重厚感のある、異質な輝きに満ちていることが分かる。


 これは――!

 スター・トルマリン、コーラル・ダイアモンド、アレキサンドライト・キャッツアイ……


(これなら八割返したとしても、街の一等地にでかい平屋が建っちまうよ!)

 思わず鳥肌が立ってしまったクルトは、情けないことに袋を一度閉じてしまった。


 そして、長い時間をかけて呼吸を落ち着けると、無造作に放り込まれていた宝石たちを、敷き布の上にひとつひとつ並べていったのだった……。


「んん……? それにしても、これはもともと盗品の集まりなのかなあ? もし、あの魔術士が俺たちの“お仲間”だってんなら、あんなスキだらけな旅をしてるのは腑に落ちねえが――」

 ペンダントやピアスなど、様々なものに加工された鉱石を取り出しているうちに、青年はそんな疑問が頭をよぎるようになっていたようだ。


 思えば、怪しいことだらけである。

 あの男のみすぼらしい身なり、このすきのない、高貴なジュエリーの数々。

 ……そして、まるで“盗ってくれ”と言わんばかりのような、スカスカの造りの宿への泊まり……


(な~んか、嫌な予感がしてきたぞ)

 そう、クルトが思い始めたころだった。


『いや、あの魔術士はおぬしに感謝していると思うぞ? 何しろあやつは、あと一つ二つ貴婦人から宝石を奪っていれば、死ぬしかなかったじゃろうからの』


 それはどこから聞こえてきたのか。

 おそらく背筋が凍ったのは、指先が“触ってはいけないもの”に触れてしまったからだが、まるで濡れた唇でささやかれたようなその声は、青年がいま座っている洞窟の天井から聞こえた気がした。


「うわっ!」

 思わずクルトは、小袋ごと中の何かを投げ出してしまったのだが、その女の声は、まったく平然と続いている。


「ふっ、ビビリじゃの、お主は。まあそういう反応も、わしは慣れっこじゃがの。そこらに落ちているクズ石などでは、到底我が身を傷つけられるものではないわ」

 そのとき初めて、クルトは頭の上に黒いモヤのようなものが漂っていることに気がついた。そして、その人の手の平ほどの大きさの煙に言われると、また袋の中身に腕を伸ばしていったのだった。


「ほ、本当に、これがお前なのか――」

 恐る恐るたずねるが、そんなことで何の確証も得られるはずはない。

 だが、クルトの手に握られていたのは、クリスタルの表面に覆われた、鮮やかなブルーコンパクトだった。


「……うりうり。中を確認してみろ。目がつぶれるぞ」

 魔道具のたぐいかどうかは知らないが、おいそれとそんなものに関わるわけにはいかない。そもそも、《宝石》系の盗品は、ごく普通の品でもかつての持ち主の怨念などがこもり、人に不幸を呼ぶという話も聞く。


 青年はぎりっと歯噛みすると、そのコンパクトを持ち直し、もとの所有者に返すべく袋に戻していったのだった。

「あっ、こら! お主はもう、助からんのだって! どんな理由があれ、儂を所有してしまった者は、儂と自分の欲望をかなえるしかないのじゃ! だがその代わり、お主はこの世のどんな物でも手に入れることができる。それは、悪魔の系譜にも匹敵するような、絶対のおきてなのじゃ!!」


 あわててそのコンパクトは説明するが、クルトは話を聞こうともしない。

 さっさと例の魔術士のところへ戻ろうと、またふところに宝石たちをしまい込んでいった。


 ――まだ、夜明け前でよかったぜ――

 胸を小さくなで下ろし、彼は洞窟の入り口へと足を進めていく。

「待てと言うに、この……!」


 こけけっ!


 ふよふよと、足元を飛んで追いかけてきた黒いモヤのせいで、青年はつんのめることになった。

「あー……」


 そして、体勢をくずしたそこは岩壁の出口になっており、クルトは眼下にひろがる森の闇へと、生まれて初めてのスカイダイビングで落下していったのだった。

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