マンタクシーと沈んだ世界

チクチクネズミ

沈んだ世界を求めて

 マンタが顔を出した。

 マンタは人懐っこい生き物で運賃を払えば乗り物代わりになる。誰かが言ったか『マンタクシー』と呼んでいる。運賃はタッパーいっぱいのオキアミ、それを海に投げ入れるとマンタはグルグル回遊してパクパク口を開いて食べ始めた。

 漁の時に毎日こっそり数匹づつ確保してきたオキアミはものの数分でり食べ終えてしまい、マンタがぐるりとお腹いっぱいになって海中を一回転して油断したのを見計らい僕はマンタの背中にまたがった。そして古びた写真を取り出した。


「この写真にある建物と陸地に連れて行って」


 二本の触覚マンタは写真をじっと見つめ、ゆったりと海中に沈んだビル群をよけながら羽ばたくように泳いでいく。


 いつのころか。もう僕が小さい頃には世界は海に沈んでいた。陸地も過去の文明遺産も全部海の底。土に生えていたという植物は図鑑の中の存在で、残りは僕ら子孫と同じように海面からやっと顔出しているビルに根を下ろしている。

 おじいちゃん曰く、僕が住んでいるビルは海に沈む前は超高層ビルという二百階建ての雲まで突き抜けるほど高いものだったらしい。でも実際僕らが住んでいるビルの上からはあのふわふわ綿雲は一つも顔にかからないから昔の人は想像豊かだと思う。


 そんな想像豊かな昔の人々が作り上げた個性豊かな建造物たちはみんな海の底で藻屑となってしまった。まだ地上があったころに撮られた建築物たちの写真を眺めた時なんだかもったいないなと思った。それに写真に写っている建築物たちは、僕らが目にする海からちょこんと首を出したコンクリートの塊と違い、言葉が正しいかわからないが生きているような感じがする。どこかにまだ陸地とそこに生きている建築物は残っていないだろうか。


 じゃあ、僕がそれを見つけようじゃないかと。

 ちびちびとマンタクシーに乗るためのオキアミをコツコツ溜めてやっと建築物探しを実行できたというわけだ。


 しかしマンタクシーというか、このマンタは運転が荒い。急に海の下にもぐって目的の建物があったのかと思えば、急上昇して空を飛ぶ。マンタがこういうことをするのはたいてい餌を求めるときの行動なのだが、さっきたらふく食べたばかりだというのにまだ腹が減っているのか。オキアミ高い金を払ったというのに乗客のことなんてまるで気にしていない、傍若無人なマンタに当たってしまったことを後悔した。


 ようやくビル群抜けるとマンタは落ち着き始めた。この先は漁の現場だ。といってもただ海水の地平線が広がるだけで特に決まった目印とかはない。向こうから漁から帰ってきたばかりで、イルカの群れを従えた顔見知りの漁師がやってきた。


「よう、これから漁か」

「ううん。こないだビルで見つけた写真というのを見つけたんだ。そこにある建築物を探しに」


 僕らが住むビルの階下には先人たちの残した遺産が住んでいる部屋ごとに転がっている。その中に文明遺産である過去の陸地や風景を切り取ったような絵――写真ものも残っていた。ぴらりと彼にそれを掲げたが、興味がなさそうだ。


「前に言っていたやつかよく飽きないな。もう陸地なんてないんだから夢想を追うより、今日の晩飯の魚を追う方が賢明だとおれは思うがね」


 漁師はそう言い残して、去っていった。去り際に聞こえてたイルカの鳴き声があざけ嗤っているように聞こえた。


 漁師と別れて目印となるビルの影もないほどの大海原を突き進むが、目当てのものどころかそれらしいものは一部たりとも見つからない。ただただ波と魚しかない海をマンタが悠揚に泳ぐ一方で、僕の額からはじっとりと汗が流れていた。


「やっぱり陸地なんてもう想像の中にしかないのかな」


 日に体晒しながら、あの漁師の言葉が頭によぎる。なぜ僕は陸地を目指そうとしているのか。憧れというにしてはちょっと違う。ビルの中にあった写真には、まだ地上にあったころの僕が住んでいるビルの文字付きの写真があったがそれには惹かれなかった。けど、家族と思わしき人たちが緑が生えた小さくてボロイ家の前で、ニコニコと写っている写真には心惹かれた。

 新しいものと古いのでは絶対的に前者を求めるはずなのに、僕はなぜか後者だった。


 思うに帰巣本能だろう。

 数年前に軒下にツバメが巣をつくったことがある。ツバメたちは代替わりしながらも決して古い巣を捨てず守ってきた。ツバメと同じように自分の故郷である陸地を求めることが遺伝子に刻まれている。コンクリートと鉄筋の大地でなく、土と砂の大地を踏みしめたい遺伝子が僕をかきたているのだろう。


 だがその故郷はもう遠の昔に消え失せてしまった。

 当てもない故郷探しは無意味なのか。


 ぐるんと熱を帯びた頭を冷やそうと海の中に顔をつけると、海の底にイルカの姿をあしらった看板が掲げられた建物が見えた。それは僕が見つけた写真の中にあったものとよく似いている。

 水中に潜って、崩れ落ちたがれきをどけて建物に侵入すると、中は一本道と巨大なガラスしかなかった。


 一体何の場所だろう。


 すると、ガラスが割れた中に僕を乗せていたマンタがするりとその中に入っていった。さっきまでゆったりとしか泳いでいなかったマンタはガラスの中に入るや、クルクルと中にいた魚たちと共に水中を舞っていた。初めて入ったはずである場所なのに、喜びの舞でも踊っているかのようで外で泳いでいた時よりも生き生きとしているように見える。


 まるで生まれ故郷に戻ったような。


 これもおじいちゃんから聞いたことだが、マンタは本来この辺りには住んでいなかったらしい。昔の人が大きな水槽に飼っていたのが逃げ出して野生化したらしい。その場所は水族館という今では無用の娯楽施設だそうで、そこではマンタが空を飛ぶという芸をわざわざ教え込んでいたという。


 ……また探してみるか。

 マンタが偶然にも自分の故郷に戻ってきたように。

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