第10話 ぶるりの経営計画その1~まずは会社を手に入れよう part 1~
線路に沿って桜が咲き誇り、春風が吹くたびに花びらが舞い上がっている。可憐なピンクの花びらは風にのり、アパートの一室へ迷い込む。
「芹奈ぁ。電話鳴らないね」
携帯電話は沈黙したままだ。そりゃそうだろう。
「だってぶるり、ガス屋さんするならガスを仕入れないと販売出来ないでしょ」
「まぁね」
つい先日会社を立ち上げたばかり。商品もない。従業員は社長のぶるりを除けば私だけ。正直やることは山ほどある。ガスを販売するのにも資格やら許可やらが必要なのだ。だがぶるりは一向に動かない。何を待っているんだか。
「本当に任せて大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。ガスの仕入れ先は僕に任せて、芹奈は会社のホームページでも作成しててよ」
そう言って、またぶるりは机の携帯電話を眺め始めた。朝からずっとこの調子なのだ。トイレに行く以外はその場から動かない。
とりあえず、「分かった」とだけ返事をする。部屋の隅にある勉強机に座り、ノートパソコンを立ち上げる。
今更ながら、ぬいぐるみのぶるりが代表取締役なんかになって良かったのだろうか。私では役不足だとは思うが、まだマシなのではないだろうか。
ホームページ作成の画面を開き、HTMLでプログラミングしていく。何を隠そう、前の職場ではシステム開発部門に所属していたことがあり、一時期ホーム作成業務を行っていたのだ。ホームページ作成に関しては分かる部分も多い為、私でも作成可能なのだ。こんなところで役に立つ日が来るとは思わなかったけど。
「後は写真を入れればいいんだけど……事務所っていったってアパートだしなぁ」
どうしようかと悩んでいる時だった。
——ピルルルル!
「キタぁ!」
ぶるりはテーブルに飛び乗ると、前足の肉球で通話ボタンとスピーカーボタンを立て続けに押した。
「お電話ありがとうございます! 心もほっこりぶるりです!」
あ、これからそうやって電話に出るんだ。なんか恥ずかしいな。
「もしもし、テリーヌです」
「あ! お待ちしていましたよテリーヌさん! 僕です、ぶるりです」
テリーヌ? 誰? まだ商品は扱ってないからお客さんではなさそうだけど。
「お待たせしてすいませんねぇ。今帰ってきたところでして……。ぶるりさんは今どちらに?」
「今は会社です」
会社……。ママレードアパートの201号室ですけどね。
「そうですか、そうですか……。もしよろしければ、今からお店を見に来ませんか?」
「はい、是非伺いたいです! そんじゃ、20分後にそちらへ向かいますねー」
私のあずかり知らぬところで話が進んでいるらしい。
「芹奈ぁ。ちょっと車で送ってくれないかなー?」
いそいそとテーブルから降りるぶるり。ポーチを背中へ背負い、外出準備をしている。
「どこ行くの?」
ぶるりはふんふんと鼻歌を歌っている。
「着いてからのおっ楽しみーい」
♢
ぶるりに案内されるままに運転すること15分。
「ここだよー」
「へぇ。月見町にこんな店あったんだ」
この町に引っ越してきてまだ1年しか経っていないが、それなりに店は把握しているつもりだった。ここはいつもシャッターが閉まっていて、何の店かわからなかった。だがこれは——。
「……カフェなんだけど」
そう。どう見ても廃業寸前のカフェだ。外観こそ綺麗に掃除してあるが、店内はカーテンで閉めきられ中が確認できない。おまけに扉にはcloseのプレートがぶら下がっている。かすれた文字で書かれた看板には『かふぇ・猫だるま』。平仮名で「かふぇ」か。しかも猫だるまって。店名が個性的過ぎる。
ぶるりは車の窓から飛び降りると、プレートを無視して勝手に扉を開けた。
「お邪魔するよー」
「あ、ちょっと待って」
急いで店横の駐車場に車を停める。10台ほどは駐車出来そうな広さだ。
ぶるりの跡を追いかけるようにして、私も店内へ滑り込んだ。勝手に入ってしまったが良かったのだろうか。怒られたりしないだろうか。しかし、そんな不安は店に入った途端かき消された。
「わぁ……」
店内は落ち着いた雰囲気のカフェだった。観葉植物のパキラが店の中央にあり、そこを丸く囲ったテーブルが設置されている。天井がガラス張りになっており、木造造りの店内には優しい陽だまりが出来ていた。ホオズキのような照明も天井からぶら下がっていたが、明かりがなくても十分明るい。奥の方には一段高くなった個室もある。
「あ! あの個室……掘りごたつがあるよ」
「コタツは正義だお」
個室の床をよく見ると、店内の床材と同じ、紫を帯びた焦げ茶色の床材が使われていた。前の職場で見たことがある。このうねるような独特の木目、恐らくローズウッドと呼ばれるフローリングだ。広葉樹の無垢材なので堅く重い。その分傷がつきにくく、また木に含まれる空気が少ないため、木が縮むことがない。優秀ではあるが、杉や檜に比べて値段が張る。それを一面とは……。店の内装には随分お金がかかっただろう。
店内のカウンターに目をやると、瓶詰めされた紅茶が2つほど並んでいる。その横にはインディゴブルーのティーポット。小ぶりの白鉢に植えられたガジュマル。どこを見ても緑が目に入る。まるで森の中にいるような気分だ。
「お洒落なカフェだね。こんな素敵なカフェ、知ってたんなら教えてくれれば良かったのに」
「うーん……僕もそうしたかったんだけどね……」
「?」
ところで、一体いつになったら店主は現れるのだろうか。びくびくしていると店の奥から「どうもどうも」と声がした。声の主が現れるのを待っていたが、一向にこちらへ来ない。店主は一体どこに……?
「どうもどうも」
「うわぁっ!」
突然足元から聞こえた声に、私は驚いてぶるりを抱きしめた。
「ひどいよ芹奈ぁ。僕を盾にしないでよお」
盾となった同居人は足をばたつかせて憤っている。
「すいません、驚かせてしまいましたね」
ぶるりから顔を覗かせると、私の足元には猫をモチーフにしたぬいぐるみが気まずそうに佇んでいた。顔には丸い眼鏡をかけている。くたびれた感じからして、かなりの高齢だろう。
「テリーヌさんって、あなたのことですか?」
「いかにもそうですよ」
抹茶色のぽってりした体。瞑っているようにしか見えない目。短すぎて見えない足。これはもう間違いない。テリーヌさんは、あの有名な『にゃもももちシリーズ』のぬいぐるみだ!
実はそのシリーズのぬいぐるみが大好きで、学生の頃に買い集めていたことがある。「ソファに座れないから」という理由で、お母さんが全てのにゃもももちを押し入れにしまい込んだ「にゃもももち監禁事件」は記憶に新しい。9体揃っていたにゃもももちの数は減らされてしまったが、今でも実家にいる4体のにゃもももちが私の帰りを待っている(はずだ)。ぶるりを買おうと思ったのも、にゃもももちが無かったからその代わりに、というのが本当のところだ。本人には言ってないけどね。
「芹奈ぁ、商談をするから下ろしてよう」
すっかり忘れていた。
「はいはい……え、商談!?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます