第7話 電話の嵐
最初は忘れがちな備品確認、発注の仕事だった。ぶるりはメモを片手にあっちをうろうろ、こっちをうろうろ。大丈夫かなぁと心配していたのもつかの間。ちゃんと1人で出来るので、荷物の受けとり、お茶当番、裏紙の作成など、雑用全般はぶるりの仕事になった。
そして今では——。
「はい。花丸ガスでございます。あっ、長澤様! 先日はコンロを買って頂いてありがとうございました! その後の調子はいかがですか?」
私が思っていた以上に、ぶるりは仕事が出来た。電話対応を1人で立派にこなしている。この冬の時期に電話が出来るようになってくれたのは大きい。寒い冬場はどうしてもガスを使う機会が増えるからだ。その分修理の電話が多くなるため、事務仕事はどうしても忙しくなりがちなのだ。
——プルルルル!
来た。外線だ。
「はい。花丸ガスでございます」
いつもお世話になっております。挨拶の定型文を言おうとしたが、お客さんに遮られた。
「あのねぇ! お風呂に入れないのよぉ! どういうこと!」
お風呂に入れない? お湯が出ないってことかな? 高齢の方になると、直接的な言葉で訴えてくることが多くなる。
「お湯が出ないということでしょうか?」
「え! あんた何て言ってる? 聞こえないよ!」
「お、お湯が出ないということでしょうか!?」
「そうそう! 早く来てよ! おじいさんがお風呂に入れないからぁ!」
「山中様、ご住所をお伺いしても宜しいでしょうか?」
「はいはい住所ね! えー……」
受話器を首と肩で挟み、パソコンのキーボードを入力する。うちには、お客様検索システムというものがある。言ってみれば、うちのガスを使ってくれている顧客のデータが全て登録されている。それこそ契約情報から、販売したガス器具、営業とのやり取りに至るまで。
あ、あった。山中光男。住所は……うん。さっき聞いた場所だ。間違いない。
「えーっと……ご契約者様が山中光男様でお間違えないでしょうか?」
「え!? 違います! あたしゃ山中梅子ですけど?」
え! でも電話番号一緒なのに。違うってどういうこと?
オロオロしていると電話口から「早く来て」と急かされる。
——ポンポン。
柔らかい何かが背中を叩く。振り向くと、ぶるりがコロコロ椅子に座っていた。前足に持っている紙には『お父さん』の文字。あ、そっか!
「お父様のお名前で、ご登録されていますか?」
「あー、そうだったかね? 光男の方かぁ。まぁ、早く来てください」
まだ駄目だ。ここですぐに修理を請け負ってはいけない。今の給湯器には、エラーコードが表示されるようになっており、そのコードによって故障の種類を判別する。事前に訊いておかないと営業の手元に部品が無くて修理は後日、ということになりかねない。最終的に迷惑を被るのはお客さんだ。
「すみません。お手数ですが、お湯の温度を設定するパネルには、数字か何か出ていませんでしょうか?」
「えーっと……ああこれね! Eの01と書いてあるよ!」
机に立て掛けてあるエラーコードを確認する。Eの01。Eの01……給湯器サーミスタ異常だ。考えられる故障原因は……給水サーミスタ、リード線、電装ユニット。よく分からないが、故障原因の欄に部品名が書いてあるということは、お客さん側での復帰は難しいということだ。急いで担当営業のスケジュールを確認する。
——有給。
嘘でしょー! 他の営業さんは? 近くの現場でスケジューリングされていないか確認するが、どの営業さんも難しそうだ。でも行けるかもしれないから、一応電話を入れることにする。
「山中様、いつ頃お伺いいたしましょうか?」
「だから早く来てって言ってるでしょお! 今すぐ来てください!」
そんな無茶な。行きたいのは山々だけど、営業の予定が詰まっていて忙しすぎるのだ。
「担当の者に連絡を取りますので、またこちらからご連絡いたします」
「わかったから早く来てよ! この番号でいいから! あ、おじいさんまだお湯がっ——」
——ガチャ!
切れた……。
——プルルルル!
また外線。今度は違うお客さんだ。でも今は無理!
会社のスマホを手に取り、営業へ電話を掛ける。
「もしもし、山本です」
「何? 修理? 無理今忙しい」
——プーッ、プーッ。
切られた。しかもまだ何も言ってないんですけど!? この人が駄目なら、あの地区の営業さんにっ!
「山本ですっ! 月見町で給湯器修理があるので行ってもらえませんか?」
「……はぁ? 俺の予定見た? 俺今、給湯器の修理してるんだけど。ちゃんとスケジュール見てかけてきて」
「いや、スケジュールで見たら14:00から1時間空いてたんですが……」
「あっ、スケジュールに入れてなかった? ごめんごめん。俺14:00から早退するから。他の奴に行ってもらって。じゃ」
——ガチャ。
……めげるなっ! まだ隣接地区の営業さんがいるじゃないか!
「山本です。あのっ」
『お掛けになった電話は、現在——』
アナウンスー! 電源切れてんじゃん! いや充電切れってことはないよね。ってことは、意図的に電源を切っている。恐らくお客さんと話をしているか何かだろう。私はお客さんの気持ちが乗り移ったかのような焦燥感に囚われる。
「どうしよう……」
もうこの営業さんが行けなかったら、今日の修理は無理だ。明日以降の修理になる。夜間修理は対応しない方針だからだ。……どうしよう。
「芹奈」
ぶるりがにこっと笑った。
「キャンセル出たから丸山さんが行けるってさっ。13:00からだよー」
耳に携帯をあてている。そうか。ぶるりが他の営業さんに聞いてくれたんだ。
ほっとして、私はさっきのお客さんに電話をかけた。
♢
「凄いじゃなーいぶるり君! ひと月しか経っていないのに、もう電話対応1人で出来るなんて! 流石!」
「ありがとうございまーっ」
「はい、ご褒美の最中ね」
「わーい。もっもっ……もっもっ……美味いぃ」
もぐもぐと藤田主任の隣でお菓子を食べているぶるり。
「それに比べて山本さん。まだ独り立ち出来ないの? もう2021年ですけど? 年越しましたよー」
顎のホクロをせわしなく動かし、藤田はゼリーを食べている。田渕さんも食べている。私の分はない。
「すみません」
「ほんっと、ぶるり君が入ってくれてなかったらこの冬乗り切れたか分かんないわー」
グチグチと言われ、心をえぐられる。その小言が私にとってどれだけのストレスか、あんたには分からないでしょうね。時刻は10:02。まだまだ仕事は始まったばかりだ。
まだ1時間しか経っていないという現実に、思わず吐き気が込み上げてくる。トイレに行こうと席を立つ。
——プルルルル!
また外線。しかも2本も。……もう無理。
「おい山本ぉ! どこに行くんだ! まだ電話が鳴ってるだろうが!」
谷岡課長だ。ミントガムの包み紙をカサカサさせながら、眉間に皺を寄せている。怒鳴る時の癖なのか、机の鉄板を足で蹴っているせいで課長の事務机はボコボコだ。
——ガン、ガン!
ほら。また始まった。私は反射的に笑顔で返す。
「すみません、ちょっとお手洗いに」
そそくさと廊下にある個室のトイレへ駆け込む。堪えていたものが一気に溢れ出す。
「うっ……うう…………」
もう無理……。もう無理もう無理もう無理!
♢
「山本! ちょっとこっち来い!」
芹奈が客室へ呼ばれた。フロアの奥にある仕切りの向こうから、課長の怒鳴り声が聞こえてくる。
——電話が鳴っているのに……トイレに行くなんて……馬鹿としか……!
所々聞こえてくる罵声。それを聞いて鼻で笑う藤田主任。
「あの子にはあれぐらいが丁度いいのよ」
1時間経ってやっと解放された芹奈は、フラフラとデスクに戻ってきた。
「芹奈ぁ……」
「ごめん。今は話しかけないで。また課長に怒られちゃう」
すまなさそうに笑う芹奈。
——プルルルル!
すかさず電話をとる芹奈。
「はい、花丸ガスです!」
その後も芹奈は全ての電話をワンコールで受けていた。田渕さんは伝票を処理して忙しいフリをしている。藤田主任は一応受話器に手を伸ばし、取ろうかどうしようか迷うそぶりを見せる。だが取らない。代わりに僕が取る。……なんだかなぁ。
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