第4話 ぶるりのお留守番
差し込んでいた気持ちのいい陽光は既に無く、空には闇夜が迫っている。今日も藤田のおばばは苛々して、周囲に当たり散らしていた。入社7年目になる田渕さんも、お局藤田に怯えて言い返せないし。あーあ。嫌になる。マジでどこかの部署に異動してくれないかな。
「ただいま……」
囁く程度の声量では、もう一人の同居人が気が付くはずもなく。鍵を閉めてもぶるりからの「お帰り」はなかった。コートを脱いで、玄関横の壁にハンガーで吊るす。
——ガサガサ。
リビングから不穏な音が聞こえてくる。
「まさかね……」
ぶるりが来てから1週間経つが、ちゃんと言いつけは守ってくれる。留守番中、勝手にお菓子を食べない。冷蔵庫は開けっ放しにしない。トイレが終わったら流す。昨日だって洗濯物の畳み方を教えたら、面倒くさがりながらもやってくれたのだ。出会ったばかりだが、なんだかんだぶるりはいい子だと思う。
——ガサガサ! ガサガサガサ!
音が大きくなった。いや、多分。というか絶対何かやらかしたな?
リビングへと続く短い廊下を足早に歩く。
「ちょっと、ぶるり?」
不審に思いドアを手前に開ける。そこに広がっていたのは——。
「何これ」
まず目に飛び込んできたのは、カーペットの上にある開かれたノートパソコンだ。電源は切られていたが、接続している充電器を触るとほんのりと暖かい。明らかに直前まで使用していた証拠だ。いや、確かに触るなとは言ってないけど、どうやって使い方分かったのよ。
——パリッ。
待って。今なんか踏んだわ。見ると、足の裏にはポテトチップスの欠片が張り付いていた。「ぶるり……あれ、そういえばぶるりの姿が見えないや」
——パリパリ。
ん? 今度は踏んでないけど。
テーブルの下を覗いてみると、こんもりと丸まった毛布が1つ。その傍には買った覚えのないスナック菓子の袋。傍には大量に剥ぎ散らかした蜜柑の皮……。
私は出勤前、必ず部屋を綺麗にする。帰宅して部屋が汚いとくつろげないし、料理を作る気も起きないからだ。だがどうだ。この光景は。見事に期待を裏切る汚さだ。
私の怒りは頂点に達した。
「ぶるり! 出てきなさい!」
毛布はしんと静まり返っている。今更隠れようとしたって、そうはいかない。
「あなたは完全に包囲されています。観念して出て来なさい」
再び訪れる静寂。犯人は動かない。こうなったら最終手段だ。
「今すぐ出てこないなら、今夜のミートスパゲティはお預けだか——」
「え、待ってよう! それは嫌だよう!」
秒で反応してきたよ。というか後ろから声がするんだけど? ……そうか。さっきの毛布はダミーか。計算高いぬいぐるみめ!
「ここかぁ!」
——ガラッ!
クローゼットを開けると、お尻を床につけて蜜柑を頬張るぶるりの姿があった。
「こんなところで何してるの。というか、あの散らかしようは何?」
「ご、ごめなさいいぃ」
「謝ってもダメ! こらっ、蜜柑食べないのっ!」
ひょいっと口に入れようとした最後の蜜柑を取り上げ、代わりに頂く。
「もぐもぐ……で、あれは何なのか説明してもらおうか?」
「うぅ」
小さく呻き声を上げている。もう、またそうやってやり過ごそうとする。前回トイレットペーパーを1ロール使い切った時、私はぶるりの可哀そうな眼差しに屈してしまった。だが今回ばかりは許さない。
「あのパソコン、使うなとは私も言わなかったけど勝手に使わないで。……っていうか、なんで使い方分かるの?」
「さ、最初から知ってた……」
「あのスナック菓子は? 私買ってないよ?」
「……テーブルに1,000円札があったから……コンビニで買ってきたお」
ふーん。やっぱりね。
「ぶるりさぁ。本当は教えてもらわなくても色々出来るでしょ?」
「ギクぅ」
口に出ちゃってますよー。心の声が。
「ぶるりは目覚めたばっかりだし、これから少しずつ家事から慣れていって、仕事は来年の1月から始めればいいんじゃないかなーって思ってたの。……でも、出来るんだよね?」
「うぅ」
「どうなのっ?」
手持無沙汰の前足をぎゅっと掴めば、ぶるりは激しく首を振った。
「僕出来るよお! 働けるよお! お願いだからミートスパゲティ食べさせてぇ!」
♢
とりあえず、貯金箱には絶対に手を出さないように厳しく言い聞かせ、ぶるりの背の届かない冷蔵庫の上に置くことにした。
「明日から就活してもらうからねー」
テーブルの下でいじけて丸まっているが、そんな事したって私の気持ちは変わらないよ。2人で生活していく余裕はない。ぶるりだって私と同じくらい食べるのだから。
「うん……はぁ。嫌だなぁ」
鬱々とするぶるりとは対照的に、やっと生活費が入ると安心する私。ご飯を食べ終え動画を見ていた私に、ある考えが浮かんだ。
「そうだ。今度私の職場見学においでよ」
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