第1話 初めまして、ぶるりです

 田舎にあるデパートと言えば、一つしかない。イーオンだ。東から西まで、とにかく遠くても県民が集う場所。それがイーオン。休日になると用もないのに必ずやってくる「イーオニスト」と呼ばれる人達で、平日も客足は絶えない。


「いらっしゃいませ!」


 2階の通路沿いに置いてあった犬のぬいぐるみをレジカウンターに置く。


「合計2,540円です」


 淡々と財布から3,000円を取り出し、支払いを済ませる。


「ありがとうございましたー!」


 釣銭を受け取ると、ぬいぐるみを両手に抱えて4階の立体駐車場へ向かった。




「あー。疲れた」


 自宅のアパートに帰ってきた山本芹菜やまもと せりな。現在23歳独身女性の、彼氏いない歴23年。友達も少ない芹奈はイーオニストではないが、たまに買い物したくなる時がある。でも人混みは嫌なので、目的の物が見つかればすぐに帰るようにしているのだ。

 ぬいぐるみの尻についている商品タグをハサミで切り落とす。


——チョキン。


「これで、あなたは家族の一員。…………なんちゃって」


 タグを切り落としたことで、もう返品は出来ない。いや、返品するつもりなどないが。


 全長60㎝程のぬいぐるみ。尻や目元には大きな黒い丸模様が描かれている。ブルドッグを象っているのだろうか。だがそれすら私にはどうでも良かった。


「いい抱き枕が手に入ったわー」


 抱きしめると体の中にある綿がふんわりと弾力を返してくる。しっとりとした肌触りで手に吸い付いて気持ちいい。私は肉球のぷにぷにとした感触を味わっていた。これで仕事の疲れも取れてぐっすり寝られるだろう。


「初めまして、ぶるりです」

「え? なに?」


 突然どこかから声が聞こえてきた。テレビはついていない。


「ここだよー」


 胸元でもごもごと動く何かを感じ取り、ぬいぐるみに視線を落とす。まさか——。


「ぷはぁ! 息苦しかったぁ! はぁ、はぁ、はぁ」


 ぬいぐるみが喋っている。幻聴ではなかった。小さな黒い鼻をヒクヒクさせて、呼吸を繰り返すぬいぐるみ。


「……鼻より口から呼吸した方が吸えるんじゃない?」


「あっ、そうかぁ! すー……はぁー……」


 呼吸を整えたぬいぐるみは、顔より短い前足をパタパタと動かしている。


「マジかぁー……」


 私は盛大に溜息を漏らした。




——物には命が宿ることがある。


 これは古来から伝わる日本の風習みたいなものだ。命があるのは生物だけではない。物にも命が宿るのだから、大切に扱いましょうという考えは、今や世界でも共通の認識となりつつある。


 今から8年前。日本のあるデパート売り場で、ぬいぐるみに突然命が宿るという現象が発生した。政府はこれを隠していたが、日本全国でこの現象が起こると事実を公表せざるを得なくなり、国会で大きく議論されることになった。なんせぬいぐるみには意志があり、言葉を話せるのだ。


 その後、人格権、肖像権、市民権等、人間に準ずるものとして、彼らを認め、社会に受け入れることが国会で決まった。現在では「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という憲法の条文にも「ぬいぐるみ」を追加するかどうか、というところまで話は来ている。まあそういう話が出るのは当然だろう。日本に在住する外国人と同じくらいのぬいぐるみが生活している、と言われているのだから。


 この「ぶるり」とかいうぬいぐるみのように、突然喋り出す奴がいることは、今では珍しくもない。というより、私にはこれが普通だった。




「ぶるりって言ったっけ?」


「うん、ぶるりだよ! 君の名前は?」


芹奈せりな。言っとくけど、この家では『働かざる者、食うべからず』だから」


「そ、そんなぁ~」


 ぶるぶると震えるぶるり。私は「うーん」と頭を掻いた。


「まぁ、今すぐってわけじゃないけど。色々と行政手続きもしないといけないし。明日ちょうど有給貰ってるから、一緒に市役所へ行こう」


「シヤクショ? よく分からないけど、何だか楽しそう」


 尻尾を振ってぴょんと飛び跳ねている様は、まさしく犬。はぁ。一人暮らしも楽じゃないっていうのに。呑気だなぁ。


 壁にかかった時計を見る。18:30。そろそろ晩御飯を準備する時間だ。


「とりあえず、そこ座ってて。ご飯の支度するから」

「ほいなー」


 ほいな? 何よそのふざけた返事。苛々する気持ちをなんとか抑える。お気に入りの花柄エプロンを身につけ、とりあえず料理に取り掛かることにした。


「あっ、ほうれん草があったんだった。これは半分お浸しにして、お味噌汁と……」


 そういえば。ぬいぐるみだよね、ぶるりって。私の回りには命が芽生えたぬいぐるみと生活している友達なんていないし、どんなご飯食べるかなんて聞いたことないなぁ。


「あのさ、ぶるりはどんなご飯を食べるの?」


 ころころころ……。ころころころ……。

 ぶるりが電気カーペットの上で転がっている。


「何やってんの」


「ここ気持ち良いよお。ころころーっと」


「だからさ! 聞いてた? ぶるりは何が食べれるの?」


 ピタリと動きを止めたぶるりは、やっとこちらを向いた。短い前足を顎に当てて、「んー」と考え込んでいる。暫くの沈黙。


「なんでもいいよ」


 両手をぱぁっと広げてぶるりは言った。まるで周りに花が咲いたようだ。他の人からすると癒されるのかもしれないが、私にとっては苛つくだけだ。


「何が食べられるかを聞いたんですけど。……まあいいや」


 手際よく料理を作ることに集中する。何でもいいと言うのだから、嫌いじゃなかったら食べてくれるだろう。




 時刻は19:00。


「よしっ、出来た」


 今朝炊いたご飯を茶碗によそい、盆に載せる。豆腐の味噌汁に、ほうれん草のお浸し。肉じゃがは昨日作った残りだから、今日食べる分で終わりだ。最後に焼き鮭を皿に移し、私は2つの盆をテーブルに置いた。


「わぁ! 凄く美味しそうだねぇ! 僕も食べていい?」


 後ろ足で立ち上がり、テーブルについた前足をパタパタさせている。そこまで嬉しいものかな? 意外にもぶるりの興奮が嬉しい。


「ぶるりの分なんだから。食べてくれないと勿体無い——」


 言い終わる前に、ぶるりは器に顔を突っ込んで食べ始めた。小皿に顔を押し付けたせいで、盛りつけたほうれん草がバラりと零れている。


「ちょっと、そんなに急いで食べたらっ」


 ぶるりが体重をかけたせいで、味噌汁の椀が傾いた。容赦なくテーブルには味噌汁が広がっていく。


「美味しいよう」


 もぐもぐとご飯を頬張るぶるり。怒りを通り越してもはや呆れた。いや、今までぬいぐるみだったのだから、こうなってしまうのは仕方ないか。台拭きで味噌汁を拭き取っていく。


「まずはお箸を使うことから教えないといけないね」

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