三章 記憶師の働き
11話
ベンスは魔導パトロール本部のなかにある事件担当室で資料を読みあさっていた。重ねられた依頼状を見ては戻し、見ては戻しと繰り返していた。
「あれ、ベンスさんじゃないですか。珍しいな」
そこへ背の高い大柄な男が入ってきた。
「俺だってたまには真面目に仕事をするのさ」
と返したわりにはすでに疲れたような顔をしてうんざりだと言わんばかりの眉間のシワが浮いていた。
「おれ、手伝いますよ」
「すまんな。ちょうどおまえを呼ぼうとしてたんだよ。プロテ」
二人は顔見知りのようで、プロテと呼ばれた大柄な男は若い魔導パトローラーにしてはどこか間の抜けたような顔をしている大男だ。
「なに探してるんですか」
「迷子の依頼」
「だったらそんな時間かからないでしょう」
迷子なんていう軽いものはそもそも魔導パトロールにはあまり依頼されない。魔法を使えばある程度の魔法使いなら自分たちで探せるからだ。
「かかるんだよこれが。どれもこれも大げさな事件ばかりでな。相変わらず小さな事件は放置、雑に扱われるから探すとなると逆に難しい」
「捻くれた見方してますね」
「事実が捻くれてるんだよ」
プロテが手伝おうとした途端、ベンスは手を止めて咥えていたタバコを吸い始める。いつの間にか火が点いている。
「あ、ここ禁煙」
「バレなきゃいいの」
「おれにバレてますよ」
「おまえは共犯」
「そりゃないですよ」
煙を吐いて一息ついているなか、プロテは丁寧に一枚ずつ依頼状を見ている。
「どんな迷子を探しているんですか?」
「黒髪の女の子。茶色い瞳。言語魔法を受けていない。紋章をつけた服を着た。あと多分生娘」
「最後のいります?」
「取り逃した変態が言ってたんだよ」
すでにベンスはクシャから話を聞いていた。結局マルクから伝えられた情報以上のものは得られず、無駄な情報しか追加されなかった。
「変態がねぇ・・・・・・あれ? そういえばその特徴――」
「なんだ。生娘に興味でもあるのか。へへへ」
やらしく笑うベンスに恥ずかしそうに笑い返すプロテだが、すぐに記憶を取り出してくる。
「今日会いましたよ。紋章つけた服は来てなかったけど」
「なら人違いじゃないか」
「いや、もう一人女の子がいました。背丈も同じぐらいだったし、似たような服を着ていた。それで黒髪の女の子を見ておかしいと思ったんです」
「なにが?」
「胸のところが少しキツそうだった」
微動だにしないベンス。スパスパと煙を吹かして話を聞いているのかも怪しいほど反応がない。
「胸を強調するような服でもなかったし、目が合ったとき恥ずかしそうな顔してた。それから判断するにあれは自分の服じゃない」
「話したのか?」
タバコを手に持って口を開く。
「いえ、会釈だけ。でも今日会った黒髪で茶色い瞳の女の子だとその子だけ魔力は感じなかった」
突然笑い出すベンス。今度の笑いは可笑しくてたまらないといったような漏れ出すようなものだった。
「さすが記憶師。おまえを相棒にして正解だな」
唐突に褒められた意味は分からなかったが、悪い気はせずに照れくさそうに頭をかいて顔が赤くなったのを誤魔化す。
「なら胸がない方の子に保護された可能性が高いってわけか。その子らはどこへ行ったかは分かるか?」
「目的地までは、すれ違っただけですし。方向はこっちでしたけど」
「こっち? つまり魔導パトロール本部の方向へ歩いていたってわけか」
「そうなりますね」
それを聞いた途端、ベンスは持っていたタバコを一瞬のうちに魔法で燃やし尽くしてしまう。宙に残った灰は彼の指の動きに従うようにしてゴミ箱へと入っていく。
「なら下に行くぞ。まだここへ受理されていない可能性がある」
ベンスが資料を雑に机の上に投げると、プロテがそれらを拾い上げて元の場所へと戻し始める。部屋を出ようとしたベンスがそれに気付くと急かすように声をかける。
「放っておけよ。担当の奴が片すだろ」
「で、でもこういうのはきっちりと直しといたほうが」
でかい図体でちまちまとベンスが読みあさっていた資料を棚に手作業で丁寧に直していく。
「おれ、魔法得意じゃないし、お情けでパトローラーにさせてもらったから。こういうところで役に立たなきゃ」
けなげな彼の言動にベンスはしかめっ面で見つめると、指を鳴らす。すると散らかした資料、彼が元に戻そうと手に持っていた資料が全て宙に浮いてからひとりでに棚に戻っていく。呆然とみていたプロテをよそに部屋を出るベンス。扉が閉じる音に気付いて急いで彼の後を追うプロテは礼を言うかどうか迷っていると、ベンスが口を開く。
「確かにおまえは魔法が得意じゃないかもしれんがな。決して情けで試験に受かったわけじゃない。記憶師という特別な才能を持ってんだ。つまり評価されたんだ。謙虚になるなとは言わん。卑屈になるなと言いたいね」
階段を降りながら一切振り返らずに背中で語るベンスの言葉は怒りにも似た諭しだった。
「す、すみません」
気まずい空気が流れたままベンスたちは一階の受付まで着くと、受付嬢に声をかける。今日の受付をした資料を寄越すようにと要求する。
「そういえば、一つ気になる書類があるんですよ。ちょうど上にまわそうかと思ってたところです」
「気になる書類? そりゃ気になるねぇ」
洒落を飛ばすベンスを無視して受付嬢が書類を渡す。
「この書類、異国語で書かれているのですが翻訳魔法が通じないんですよ」
ちらりと文字を確認したベンスはすぐに確信を得る。そしてそれをすぐさまプロテに渡す。
「読めなくていい、形だけ覚えてくれ」
渡された書類は上から下までざっと目を通しただけですぐにベンスに返す。一瞬のうちに文字の形を記憶したのだ。
「それじゃこいつは貰っておく。俺たちが処理しておこう」
「ちょっと、勝手にそんなことを・・・・・・」
「マルク様勅令」
マルクの名前を出した途端、受付嬢はグッと口を閉じてしまった。にやりと笑ってからベンスは書類を懐に入れる。そのまま彼は出口へと向かう。プロテはなにがなにやら分からぬまま、受付嬢に申し訳なさそうに会釈だけしてまたベンスを追いかける。
外に出てからもタバコばかり吹かしてなにも語ろうとしないベンスの後ろをただ付いていくプロテ。今回の任務の内容をなにも聞かずじまいだとただの足手まといになりかねないので彼からの説明を待っていたのだが、どうも自分から求めなければいけないようだと悟る。
「あの、ベンスさん。今回は迷子の捜索ですか?」
「・・・・・・」
だが返事はこない。かといってあまり詮索すれば怒られそうな気がして黙ったまま街中を歩く。
ついに街から出てしまいひらけた道に出る。そこでベンスは視線を左右、そして上へと移動させて周りを確認してから足でとんとんと地面を叩く。
「よし、いいだろう」
ベンスがまたタバコを灰に変えると煙を吹き出して指をちょいちょいと動かしてプロテに耳を貸せという仕草をする。背の高いプロテはすこし腰を落として耳をベンスの口の近くまで持っていく。周りに聞こえないよう、小さな声でベンスが説明する。聞き終わるやいなやぎょっとしたプロテは思わず声を上げる。
「い、異世界人?」
「声がたけぇよ」
咄嗟に口に手を当てて周りを見渡すプロテ。誰もいないことに安心して少し屈んでから小声でベンスと話を始める。
「今日おれが見た女の子が異世界から召喚された子だって言うんですか?」
「間違いない。へへへ、運が良いねぇ。まさかこんなに早く目星がつくとはな」
「いやいやいや、それよりも異世界ってなんですか? こんなおとぎ話のようなことが任務になるなんて」
「事実はいつだって捻くれてる」
ベンスが真面目な口調で続ける。
「ねじ曲がった事実を聞く覚悟は、おまえにはあるか?」
ふざけていない。プロテは直感で分かる。ベンスとはそこそこに長い付き合いだが、ここまで彼の目つきが真剣になったことはない。いつもは適当でタバコばかり吹かすサボり老人魔導師にしか見えない彼が、噂通りのエリート魔導パトロールの片鱗を見せつける。思わずたじろぐプロテだったが、重大な任務を任されるプレッシャーと喜びを天秤にかけたとき、期待に応えたいという気持ちがほんのわずかだが勝った。
「・・・・・・おれの記憶術が役に立つなら」
へへへ、とベンスが笑いを溢す。そして彼は耳打ちした。プロテは覚悟した以上のものを聞いてしまい、そして記憶してしまい、後悔と恐怖が襲ってきた。冷や汗が止まらない。
「そういや、女の子は二人いたんだろ。もう一人の子はどんな子だった」
衝撃的な事実を知ったプロテは焦りながらも記憶を整理して取り出す。
「ブルネットの長い髪、後ろで束ねてた。黒とグレーの服、顔は・・・・・・そう、青い目が特徴的だった」
青い目と聞いてベンスの眉が反応する。
「キツい目つきだったけど、青い瞳が綺麗だった」
さらにこの言葉でベンスは思わず大声で笑い出す。プロテは自分が変なことを言ったのかと不安になったが、どうやら違うらしい。
「運命って信じるか」
らしくないことを突然言い出すベンス。プロテは返答に困る。
「俺は今、信じることにした。行き先は決まった。箒を呼び出せ」
指笛を吹くとどこからともなく箒が凄い勢いでベンスの元までやってきた。プロテも同じく指笛を吹いて少し遅れて箒を呼び寄せたのを見ると、すぐさまベンスは箒に跨がる。プロテも同じく箒に跨がるとすぐさま空を飛ぶ。迷いもなくベンスが先導する。
「ど、どこへ行くんですか?」
付いていくのがやっとなプロテが振り絞って聞く。ベンスはまた気の抜けたようなへへへといった笑いを振り向いて見せると、冗談のように言った。
「駄菓子屋に菓子を買いにさ」
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