10話

 食事を終えてモヤ婆が食器を片付けようとしたときにハンナは、手伝います、と言ったのだが。


「いいよいいよ。ハンナちゃんは客なんだから。くつろいでおきな」


 代わりに満腹になってあぐらをかいたまま後ろのほうに伸びをしているルチカの膝を蹴ってモヤ婆が叱る。


「あんたは手伝うんだよ。あとその座りかたもやめな」

「乱暴だな。アタシだって今日は客人だぜ」

「一日で出戻りしたやつがなに言ってるんだい」

「出戻りじゃねぇって」

「あ、あの。わたしも手伝いますから・・・・・・」


 彼女らの喧嘩のようなやりとりを見ておろおろとしながらハンナが気を利かす。


「ほら、あんたもこの娘みたいに女らしさってのがないのかい」

「女らしくなくって悪かったね」


 文句を言いながらもなんだかんだとルチカが自分の分の食器を台所に持って行く。ハンナも結局手伝うことにした。洗い物が終わり、食後のお茶を用意してモヤ婆は和室で話を始めた。


「まずは結論から入ろう。ハンナちゃんは元の世界には戻れる。こっちの世界に来たときの魔法と同じものを使えばね」

「本当ですか!」


 嬉しさで思わず前のめりになるハンナだが、モヤ婆の顔がしかめっ面になる。


「けどね。そう簡単なもんじゃない」


 その言葉を受けて悲しそうに体勢を戻すハンナ。


「そもそも異世界人を召喚する魔法。異世界転移術は禁魔術。つまりは使ってはいけない代物さ」

「禁魔術だって?」


 モヤ婆に指摘されて正座をしているが、足がつらくて上半身を揺らしていたルチカが動きを止めて聞き入る。


「世間一般では知られもしない魔術の類い。一部の人間は知っていても触れることすらしようとしない。そこからさらにごく一部の人間のみが、禁魔術に手を染めちまう」


 ハンナは息をのむ。


「じゃあわたしを召喚したあの人は――」

「誰かは知らないけど、ごく一部のとんでもない奴だね。よりにもよって異世界召喚術に手をだすなんざ」


 今さらながら、あの変質者のことを思い出して胸が緊張で締め付けられそうになる。とんでもない人だったんだ、ハンナは自分の無事を噛みしめて不安を抑えた。


「それで、ハンナちゃんを呼び出した奴はどんな奴だったんだい」

「すみません・・・・・・よく覚えてなくて」

「謝ることはないさ」


 モヤ婆は優しく微笑んだ。


「ん? ちょっと待ってくれ」


 ここでルチカが先ほどのモヤ婆の言葉に覚えた違和感を刺してみた。


「なんでおばあちゃまがそんな禁魔術のことを知っているんだよ?」

「秘密は必ずどこかで漏れるもんだよ」

「答えになってないんだけど」


 不服ながらも深くは突っ込もうとはしなかった。彼女がこういう答えかたをするときは聞いたって無駄だということをルチカは知っているのだ。

 一縷の希望が見えたハンナだったが、すぐにそれが絶望的な状況なことに気付いてしまい言葉を漏らす。


「禁止されている魔法ってことは――」

「問題はそこさね」


 さすがにモヤ婆は既に彼女が言いたいことを察していた。確かにハンナが元の世界に帰る方法は分かった。使うべき魔法も特定できたが、禁魔術となれば簡単なことではない。誰に頼めばいい――そもそも誰が使えるのか――禁止ならば使用すればその者に迷惑がかかる、使える者が承諾してくれるとは思えない。


「そもそもなんで禁止されてるんだ?」


 ルチカが足を伸ばしながらまた疑問を投げてくる。


「あんたはさっきからなんでなんでって煩わしいね」

「聞きたくもなるさ。聞いたことがない話ばっかりだからな」

「それはわたしも、知りたいです」


 ハンナが便乗するが、モヤ婆は眉をひそめるばかりで答えようとしない。


「なんだ。そこまでは知らないんだ」


 残念がるというより呆れたようすでルチカがお茶をすする。


「なにも知らないあんたに言われたくないね」


 顔のしわを増やしながら口をとがらせているモヤ婆を見ているハンナは、一瞬だけ彼女が安堵の表情をみせたような気がした。本当は知っていたのか、あるいは質問が終わって清々したのか、判断はできないまま話は進む。


「やっぱ魔導パトロールにちゃんと事情を説明しときゃ良かったな」

「ちょっと待ちな、魔導パトロールに行ったのかい」


 なぜかモヤ婆が焦り始める。


「そうさね。そもそもこっちに来たのも魔導パトロールに行くためだったんだよ。言ってなかったっけ?」

「そいつを早く言いなよ!」


 慌てて立ち上がって店の入り口まで小走りで急ぎ、シャッターを閉じる。ルチカもハンナも何事かと思い顔を出して覗いていると、閉めたシャッターになにやらぶつぶつと詠唱をしてから手をかざしているモヤ婆を確認する。


「あれは、なにをやっているんですか?」

「店を閉めてるんだろ」

「なにか手をかざしていますけど」


「ああ、施錠魔法だな」

「施錠・・・・・・鍵を閉めるんですね。でも突然どうして」

「知らん。おーい、おばあちゃま、なんで店を閉めちゃうんだい」


 返事もせずにばたばたと部屋のなかへと戻ってくると小物入れに一直線で向かい引き出しを開けると奥のほうから青い石のネックレスを取り出してハンナのところへ戻ってきた。


「これを着けてごらん」

「は、はい」


 ハンナは言われたとおりネックレスを着けると、青い石がきらやかに光ったと同時に、彼女の胸の奥から熱がこみ上げてきたかと思うと全身にかけめぐり血液の流れを感じる。


「わぁ」声をあげて驚いたころには不思議な感覚は収まっていた。


「びっくりしたぁ」

「なんだ? どうしたんだ?」


 傍から見ていたルチカはなにが起こったのか全く分からなかった。


「なんだか、体のなかになにかが流れ込んできたような・・・・・・」

「魔力だよ」


 モヤ婆が呟くように教えると、ハンナは目を見開いて彼女の顔を見つめる。


「ま、魔力ですか?」

「そうさね。これでハンナちゃんも魔法が使えるようになるよ」

「魔法が――」


 信じられない。まさか自分が魔法を使えるようになるなんて。ハンナはワクワクしながら自分の手を眺める。


「またアタシの知らないものがでてきたよ。なんだってそんなものが必要なんだい。まさか自分で禁魔術を使って帰れってのかい」

「悠長なことを言ってるね。この子は今から追われる立場なんだ。自衛の為には魔法を使えなきゃならないんだよ」

「おっ、追われる?」


 ルチカだけでなく、その言葉に胸躍らせていたハンナもドキッとして聞き返す。


「自衛ですか?」

「そうさ。悠長に話をしている暇はないよ」


 真剣な顔、重い口調。真面目なモヤ婆の態度に、空気がたちどころに変わる。息をのむルチカとハンナ。


「ハンナちゃんはこれから、魔導パトロールに狙われる」

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