第12話

 息が苦しい。

 この二年間、ろくな運動をしてこなかった事が祟ったか。それに加えて、初めて使う色の虹陽術に、悪戦苦闘している事もあり、疲労は限界に近い。

 早いところ蹴りをつけるのが賢明だが、相手はかなりの強敵。そう簡単にはいかなそうだ。


(最初の方に比べれば、岩の扱いに慣れてきた。発動速度も、強度も少しずつ上がってきてる。でもーー)

「こっちだよ、イリニ」


 真後ろから声。慌てて振り向こうとするが、その前に、背中に強い衝撃が走る。


「うわっ!」


 イリニは前方に倒れる。が、地面に手をつき身体を回転させる事で、どうにか体勢を立て直す。咄嗟とっさに背中を石化させたから、ダメージも少ない。

 だが、それだけだ。何一つ反撃できていない。


(この程度の虹陽術じゃ、今のフリージアには太刀打ちできない…… !)


 フリージアは俊敏しゅんびんな身のこなしで、船の四方から伸びるロープや柱やらを絶えず移動している。


 目で追うのがやっとだ。そして、こちらの死角に入ったかと思うと、次の瞬間には攻撃を受けている。完全に防戦一方の状態。

 フリージアの実力は、二年前の比ではない。

 他の乗組員たちが船の隅ですっかりすくみ上がり、戦闘に参加して来ないのが唯一の救いだ。


(今俺ができる事と言えば、物を石化させるだけ。それも、広範囲にはできないから、身体の一部を守るのがやっと)


 しかも、扱いに慣れてないせいか、発動までに多少の遅れが生じる。


 虹陽術の発動過程は、簡単な物で例えると、粘土をこねて一つの焼き物を作り上げるようなものだ。

 体内に蓄積された太陽の光を、発動したい事象の形にこね上げる。それを焼き上げる事で初めて具象化する。虹陽術の色は、粘土の材質といったところか。

 これは色が変わろうが、全く同じ要領で発動できると思っていた。しかし、それは大きな間違いだった。


「ほら、ちゃんと戦いに集中しないと」


 フリージアの姿が消える。


「しまった! どこにーー」

「負けちゃうよ?」


 また後ろからだ。

 声の方に向かい、イリニは闇雲にモップを振る。


「イリニ遅〜い」


 頭を傾けるだけ。その最小限の動作で、フリージアは容易く攻撃をかわす。

 

「まだだ!」


 イリニは振り向いた時の勢いを殺さず、その場で一回転をする。そして、渾身こんしんの振り下ろし。さらに、縦に横に、あらゆる方向から猛攻を加える。


「全然当たらない…… !」

「そういえばイリニ、武器なんて使ったことないもんね。太刀筋が見え見え。そして〜」


 イリニの横薙よこなぎに合わせ、フリージアの身体が一気に沈み込む。


「隙が多すぎ」

「まずい、石化を…… !」


 腹に強烈な一撃が入り、息が止まる。石化のタイミングが、ほんの少し遅れてしまった。


 だが、このままでは終われない。イリニは倒れそうになるのを踏ん張り、気合でモップを振りかざす。

 フリージアの頭部はちょうど真下。この至近距離であれば。


「わっ、と」


 しかし、すんでの所で、フリージアの身体は軟体動物の如く曲がる。イリニの一撃は彼女の真横すれすれを通過した。

 そして、しなやかな動きで、彼女は後退していく。


「今のは危なかったよ。もう少し反応が遅れてたら、やられてたかも。さすがイリニ」


 その声には、一つも切迫した様子が見受けられない。


(だめだ…… 炎を作る時とは、勝手が違い過ぎる…… ! というか、炎と岩でこんな違うものか!? 違うものだな……)


 一人で納得する。

 考えてみれば、色から形、性質に至るまで全てが違うではないか。岩を具現化させているだけでも、奇跡に近いのだ。

 しかし、それだけでは意味がない。


(どうする…… このままじゃ、こっちの負けは確実。真正面からやってもだめだ。何か考えないと。今のフリージアに対抗できるような策を……)


 イリニは周りを見渡した。今もフリージアは、フローターと船とを結ぶ四本のロープの間を、自在に飛び回っている。


 元来、彼女は森の中など、障害物の多い地形での戦闘にけていた。木の間を縦横無尽に飛び移り、相手の死角から神出鬼没に現れる戦法には、いつも舌を巻いたものだ。

 そういう戦術は今でも健在らしい。彼女はロープへ直角に突っ込み、ちょうどそれが弓の弦のようにしなり、その反動を利用して次のロープへ最速で移動している。あまりのしなり具合に、ロープが千切れないか冷や冷やするほどだ。


(ん…… ?)


 そんな小さな不安は、とある古い記憶と結びつき眼前に浮かび上がっていった。


 森の中。

 確かあれは、彼がフリージアの戦闘訓練に付き合ってやった時の事だ。すごい音がしたのを覚えている。


『大丈夫か、フリージア?』

『痛た…… なんでこの木だけ腐ってるの……』

『フリージアも木から落ちる。すごい貴重な光景だったよ、ありがとう』

『あー、酷いイリニ! そこは慰めてくれるところでしょ?』


 そのぼんやりとした一幕は、雲が流れるようにゆっくりと消えていった。ちょっと名残惜しい感じがする。


 あの時のように戻れたら。

 そんな憧憬しょうけいを、イリニは頭を振って遠くに追いやった。今はそれを実現できるかどうかの瀬戸際だ。


(これ以上長引かせるのは無理だ。 一か八か、やってみるか……)


 イリニは船の隅へと走った。そして、一本のロープに背中をピタリとつけ、片腕を後ろに回した。


「それであたしの動きを制限したつもり? イリニにしては、考えが軽率すぎるよ。もうちょっと期待してたのに」


 何を思ったのか。フリージアはロープを蹴り、船の外へと飛び降りてしまった。


「なっ…… !?」


 一瞬、イリニは頭が真っ白になる。

 一体何をしているのか。船の明確な高さはわからないが、ここから見えるのは一面の空。落下したら、いかなフリージアでも助かる見込みはない。


 その時、船底から何かを叩くような音がした。


「まさか、下から回って…… ?」


 音は一定のリズムで、段々とこちらに近づいてくる。

 だが、まだこちらの作業が済んでいない。早く終わらせないと。この機会を逃したら、次こそ万事休すだ。


(急げ、俺! ここで負けたら、みんなが死ぬ! もう少し、ギリギリまで…… !)

「こっちだよ」


 声と同時に、背中に重いものが追突した。


「あぁっ!」


 イリニの身体は軽々と吹き飛ばされ、船の中央に立った柱に激突した。


「どう? びっくりした?」

「ああ…… 落ちちゃったのかと思って、びっくりしたよ……」

「心配してくれたんだ。ありがと」

「どういたしまして。奇抜な戦い方をするところは、全然変わってないな……」


 身体の至る所が、声高に痛みを主張している。そんな、既に満身創痍の身体にむち打って、イリニは柱に手をかけ静かに立ち上がった。


「だけど、まだ終わってない…… 俺は最後の最後まで、絶対に諦めない! 仲間を救ってみせる!」

「おー、かっこいいね。でも、もうそろそろ終わりだと思うよ?」


 フリージアはバク転でイリニから距離をとると、再び上空に跳躍した。

 そして、身体を真横に傾け、一つ目のロープに着地する。頑丈なそれは、彼女の乱暴な着地にも難なく耐える。二本目、三本目も結果は同じ。


 イリニは薄氷を踏む思いで、それを眺めていた。


 次だ。次、彼女が飛び移る先。そこで何が起こるかによって、全てが決まる。


(頼む……)


 フリージアが鋭くロープに足を侵入させる。それは苦鳴のような軋みを上げて、限界まで引き伸ばされていく。

 急げ。もう彼女が次の場所に飛んでしまう。その前に。


「ん…… ?」


 フリージアが違和感に気づいたらしい。

 そのすぐ後だった。船と繋がれていた箇所が、ブチリという不穏な音ともに裂ける。


(うまくいった!)

「ロープが、どうして……」


 フローターを繋ぐロープが一本欠損したことで、船が大きく傾く。乗組員たちは悲鳴をあげて、近くの手すりにしがみ付いた。フローターが苦しげな短い鳴き声を発し、身体をくねらせる。

 だが、どうにか残りの三本で、船を持ち堪えられている。イリニが懸念していた、船の墜落は一先ず起こらないようだ。


「どうだ、フリージア! 奥義・"フリージアもロープから落ちる"の味は!」

「もう、あんな事まだ覚えてたんだ。恥ずかしいから、忘れて欲しかったのに」

「お前との記憶を忘れるわけない! あんな事からこんな事まで、全部覚えてるからな!」

「わ〜、イリニ変態〜」


 フリージアはなす術もなく、真っ逆さまに落ちてくる。イリニは彼女の落下点急いだ。


「ちょっと痛いかもしれないけど、許してくれ!」


 モップを頭の後ろまで上げる。

 再生がどうとか、フリージアは言っていてが、気絶させれば虹陽術も発動できまい。一発、強烈なのを見舞ってやらねば。


「はぁぁぁぁぁ!」


 いける。これなら。みんなを救える。


「謝らなきゃいけないのは、こっちの方だよ」


 フリージアの目があやしく光る。彼女の身体中から、黒い突起が一斉に生えていく。

 振り下ろしたモップが、粉々に砕け散った。


不可侵アダマスの鎧」

「な……」


 イリニは呆然とした。


「なんなんだ、その虹陽術……」


 フリージアは黒い結晶を全身にまとっていた。身体は一回り大きくなっている。

 その禍々まがまがしい姿は、イリニがかつて見た魔族を彷彿ほうふつとさせた。


「いつの間に、そんな……」

「ごめんね、イリニ。遊びはもうお終い。さ、早く還ろう?」


 フリージアが一歩近づく。


「まだだ! そんな簡単に諦めてたまるか!」


 イリニは急いで右腕を石化させる。そして、思い切り殴りかかった。

 しかし。


「ぐっ!」


 脹脛ふくらはぎの辺りに尋常でない痛みを覚え、イリニはその場に倒れ込む。見てみると、長細い結晶が貫通していた。


「一体どこから…… !」

「痛かった? でも、大丈夫。すぐに楽にしてあげるからね」


 フリージアの拳が振り上げられた。


(本当にただ遊ばれてただけだったのか…… どんな案を考えようが、フリージアには最初から敵わなかった…… 全部、無駄な足掻き……)


 強い無力感を覚えたのを皮切りに、今までせき止めていた負の感情が、濁流だくりゅうのように止めどなく流れ出してくる。

 希望など存在しない真っ暗な空間で、光を幻視して一人無意味に走っていただけ。なんと滑稽な事だろう。なんと虚しい事だろう。


「ごめん、俺が弱いせいで…… 誰も守れなかった……」


 誰に向けて謝ったのか、なぜ謝ったのか、自分でもわからなかった。

 ただ、申し訳なくて仕方なかった。自分の不甲斐ふがいなさが、憎くて仕方なかった。

 二年前と同じ。自分には誰も救えない。


「黒絲・綾繭りょうけん!」


 なんだか今にも泣き出しそうな、頼りない、悲痛な叫びが聞こえた。

 黒い網目状の糸がフリージアを縛り上げる。そして、瞬く間に彼女の姿を覆い隠していった。

 イリニはゆっくりと声の方を向いた。


「魔王の娘…… どうして……」

「戻ってくるって約束したのに、勝手に諦めようとしてたから! 私の方から来てあげたんですけど!」

「え?」


 あまりの語気の強さに、イリニは戸惑ってしまう。


「ほら、あと、一応まだ仲間だし…… あ、あなたが負けたら、色々困るから……」


 今度は急に声が小さくなった。


「それに…… もう暗い所で待ってるだけなんて嫌だから」


 イリニはハッとした。

 白んできた空の中、映し出された魔王の娘の瞳には、溢れんばかりの涙がたたえられていた。赤い唇は内側に閉ざされ、プルプルと震えている。

 それはこちらを心の底から頼りにしている顔だった。


 間違っていた。


 光を探し求めて彷徨っていたのは、イリニだけではなかったのだ。そして、魔王の娘は今、彼を光をだと信じている。こんなにも無力な彼の事を。

 それなのに、さっきは文字通り風前の灯火であったにしろ、最後は自分自身で息を吹きかけようとしていた。諦めようとしていた。なんと愚かな事だろう。


 それに、彼の探していた光も、そこにあったのだ。少しばかり心許ない、微弱な光をではあるが。


(そうだ。俺は一人じゃない…… 仲間がいるんだ……)


 イリニは拳を強く握りしめた。


「魔王の娘!」


 急にイリニが大声を出したもので、魔王の娘は肩をびくつかせた。


「ありがとう」

「ふ、ふん! 別にこのくらい余裕っていうか、何というか……」


 魔王の娘は恥ずかしそうに顔を背けた。よく見ると、彼女は辛そうに肩息をしている。


(月光が足りないはずなのに…… 相当無理をして月祈術を……)

「はぁ、こんなのであたしを止めたつもり? 舐めてるの?」


 目の前の、フリージアを覆っていた糸が、簡単に引きちぎられる。


「ちょっと待っててね。先にあの邪魔な女を殺しちゃうから」


 フリージアの長く伸びた鋭利な爪同士が、カチカチと音を立ててぶつかる。そのまま彼女はゆっくりと歩き始めた。


「え、嘘!? 私から…… !?」


 後退りをする魔王の娘を見るに、これ以上月祈術は使えないらしい。このままでは、彼女は確実に殺される。


(くそっ、脚の痛みで考えがまとまらない…… !)


 立ち上がろうとして脚に力を入れる。が、結晶が刺された部分を中心に、想像を絶する痛みが襲い、途端に頭が真っ白になる。

 向こうでは、フリージアと魔王の娘の距離はもうすぐそこ。


(いや、考える必要なんてない…… 俺は仲間を見捨てない。それだけだ)


 イリニは心を決めた。


「ちょ、ちょっと待って! でしゃばってごめんなさい! 静かにしてるから! だから、殺さないで!」

「さよなら」


 黒い刃物のような爪が魔王の娘に伸びる。肉を貫いたにしては、異様な硬い音が響いた。

 フリージアの目が大きく見開かれる。


「イリニ…… !? 何してるの…… !?」

「一つの事に夢中になると、周りが見えなくなる。相変わらずだな、フリージア……」


 イリニは弱々しい笑みを浮かべる。石化させた両手でフリージアの爪を押さえていたのだ。

 否、受け止めきれず、腹に数センチに渡り爪が突き刺さっている。


「あなた、なんで……」

「さっきも言っただろ? 魔王の娘は俺の仲間だ。見捨てたりはしない」

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