水無瀬さんと図書館
昼休み。
俺は図書館にいた。理由は本を借りに来た……わけではなく、俺が図書委員でからである。
いや……だった、と言った方が正しいか。
俺が図書委員となったのは1年の時であって、2年に進級した今はまだ決まっていない。だからといって全クラスが委員会を決めるまでの間、図書室は閉館するということはなく、4月いっぱいは前年度の委員が駆り出されるというわけだ。
しかも卒業した3年のシフトも残ったメンバーで補う必要があるので、地味に面倒である。現に俺は今まで放課後の当番ばかりだったが、こうして昼休みも図書室で過ごすことになっている。
正直なところ、毎週決まった日の昼休みか、放課後を図書室でいなくてはならないのは怠いが、ソレはソレ。体育祭や文化祭で奔走しなくてはならない体育委員、文化委員に比べれば100倍マシ。それなら地味な図書委員に立候補する俺なりの処世術だ。
「
「あ、はい。わかりました」
図書館の先生……正しく言えば学校司書教諭の人に頼まれ、俺は椅子に深く座っていた腰を上げた。
先生が指したカートには生徒から返却された図書室の本が数十冊積まれていて、コレらを十進分類法と呼ばれる図書館独特の方法で分けられた本を棚に直すのも図書委員の仕事の一つである。
積まれた本によって中々の重量となったカートを押して、少しずつ本を直していく。
歴史、芸術、言語、文学……加えて、十進分類法には属さない雑誌やライトノベルなんかの本棚にも赴く。1年間図書委員を務めてきた身からぶっちゃければ、図書室で借りられる本の多くはコレだ。まぁ使える金が限られる学生からすれば、図書室で雑誌やラノベが借りられるのはありがたいことだからな。
「次は哲学……っと」
手元の本を確認し、次の行き先を決めてカートを押す。哲学本は比較的借りられることの多いジャンルだ。なんかもう哲学って言葉だけでも厨二心を擽られるし。
角を曲がって〈哲学〉と表記された棚に赴くと……。
「ん、んー……!」
「……」
「んっ」
一人の女生徒が本棚の上段に向けて必死に手を伸ばしている姿があった。
小さな体躯に真っ白な長い髪。いつもは無表情に見えるその顔には、いくばかの焦燥と意地のようなものが浮かべているクラスメイトである。
身体より一回り大きなブカブカな制服から伸ばされた手は、目当てと思しき本の下部にどうにか触れているものの、隙間なく本が並べられているため引き抜けないようだ。
見るからに力が弱そうな上に、足りない身長を補うようにピン! っと足を延ばした状態ではロクに力なんて入らないのは明白。
俺は返却された本を片付けながら視界の端で奮闘するクラスメイトを見守る。
すると彼女は伸ばしていた手を引っ込め、キョロキョロと何かを探すように見渡した。おそらく脚立を探しているのだろう。
図書室には高所の蔵書の出し入れをスムーズに行えるように脚立が用意されている。彼女が欲している本の棚は比較的高くはない場所なので、脚立に乗れば十分だろう。
しかし、残念ながら脚立は今別の生徒が使っている最中だ。
使用しているのは出入口付近に設置されている雑誌コーナーに屯う男女合わせて5人のグループ。制服の色からして3年であろう彼らは目当ての本を取った後も脚立を元の位置に戻さず、一人が脚立に乗ったまま談笑に耽っていた。
そのことに彼女も気付いたようで、3年生たちへと視線を集中させている。
彼らも用事は済ませているので、頼めば快く貸してくれるだろう。仮に友好的でなくとも、先生がいる前で意地悪なことはしないはずだ。
だが彼女は不意に彼らから視線を外すと、再び本を取ろうと手を伸ばし始めた。
「そうなるか……」
俺は彼女の心中に思い至り、納得した声を零した。
彼女の気持ちは分からなくもない。
例え良い返事が返ってくるのが確定していたとしても、1人でグループに話しかけぬのは中々に勇気と度胸のいる行為だ。まして相手は上級生で雰囲気からして陽キャ。彼女が声を掛けるのを躊躇うのも無理もない。俺だって同じことをしただろう。
そして俺だったら、このまま彼らが図書館から去ってから脚立を使う。
ただそれは今回、難しいかもしれない。
モタモタしていれば昼休憩が終わってしまう。それまでにあの3年たちが図書室を去るとは考えにくい。例え去ったとしても、いざ脚立を使えるようになったところで本の貸し出し手続きを行う時間がなければ意味がない。
「ん……っ!」
故に彼女はダメもとで何も使わずに本を取ろうと試みる。
そんな彼女の気持ちに共感、あるいは同情したからだろうか。
「ふっ! うぅ……」
「この本か?」
「っ!?」
俺は彼女の伸ばされた手の先にある本に触れ、問いかけた。
唖然とした顔が俺を見上げてくる。その瞳はこの状況が理解できてないように揺れていて、もう一度噛んで含むように言う。
「さっきからこの本取ろうとしてたんだろ?」
「そ、そう……」
少しこちらを警戒するように首肯する彼女の頬が薄く赤色に染まった。おそらくさっきから必死になって腕を伸ばしているのを見られたことに恥ずかしくなったのだろう。
だから俺はそのことに触れず極力端的に。そう、あくまで図書委員の1人として困っている生徒を助けたまでと、いうように事務的な話題を振る。
「他に借りたい本とかは? また高い位置にあるなら取るよ」
こちらが気にしていない風を装えば、彼女も自ら口にすることはない。
俺の言葉にしばし返答に悩んだ彼女は、小さくコクリと頷いた。
「ある」
「分かった。まぁ、急かすわけじゃないから、取れない場所にある時は読んでくれ。俺は本の整理しとくから」
「……うん」
小さな声だが確かな返事を返された俺は作業に戻った。
とはいっても全く離れた場所にいるわけではないので、ある程度彼女が何をしているのかはわかる。
さっき俺がとった本を片手に彼女は別の本棚の本を物色していた。あの辺りはたしか……伝記ものの本棚だったか。しばしの黙考の末、下段にある分厚い1冊を手にしてまた移動する。
次にやってきたのは一般文芸コーナー。今度も数分の時間を思考に費やし1冊取り出した。
すげぇ読む気だな。
胸中でそんな言葉が零れた。
うちの学校では図書室で一度に借りられる本は5冊までと決まっている。
もちろん5冊借りていく生徒もしばしばいる。しかし、貸し出し期間が1週間しかない以上、大抵は薄い詩集や授業の調べ学習に使う図鑑などが多い。
だが彼女が今手にしているのは詩集と電話帳みたいな分厚い伝記、そして文芸本が1冊。
詩集はともかく、伝記は厳しいんじゃないか?
などと考えていると、彼女が俺の方へと歩いてきた。
「とって、ほしい……本」
「お、おう。けど大丈夫なのか?」
「ヨユー」
三冊の本……主に伝記でプルプルと震えている手をもながら訪ねると、思いの外軽い返答をされる。
いや無理無理、手震えまくってんじゃん! とツッコミを入れたい衝動を、それほど親しい仲じゃないという理性でグッと飲み込む。彼女が問題ないというのなら一図書委員でしかない俺は閉口する他ない。
「わかった。で、どの本とればいい?」
「あっち」
と、指をさして先導する彼女の白い頭を眺めながら後に続くと、止まったのは神話に関する本が並べられている本棚だった。
低い位置にある頭が上を向く。
「あの、左から5冊目」
端的な言葉で示された場所を見やれば、深き者系を連想させるタイトルを悍ましいフォントで綴っている本があった。彼女が持つ伝記ほどではないが、中々の厚さだ。
「これで良いのか?」
「うん」
「よし……んじゃ、貸し出し手続きするからついて来てくれ」
本棚から取った本を彼女に渡さず、出入り口付近のカウンターを目指す。もちろん図書室を出れば彼女が持たなくてはならないが、既に重そうにしているのだ。少しくらい手伝ってあげた方が良いだろう。
「まだ」
背後から静止の声がかかり俺は歩を止めて振り返った。見れば、彼女の足先は俺と異なる方向へと向いていた。
まさか、まだ借りるつもりなのか……?
ルール的には何も問題なんてないが、さすがに持ち運びが難しいだろ。
そんな俺の危惧など知ったこっちゃないと言わんばかりに彼女は白髪を揺らし、
5冊目の本があると思しきコーナーへと向かう。
そこは図書室の先生曰く十進分類法では分別するのが難しい、しかし図書室で借りられることの多いジャンルの本が配架されている棚。
「ラノベ……か」
誰に言うでもなく俺は呟いた。
どうやらこの白髪のクラスメイトはジャンルの区別なく何でも読むらしい。
そしてラノベとなると、俺も一人の二次元好きとして彼女がどんなラノベを読むのか興味が湧いてくる。
今回は先の4冊とは異なり目当ての本を決めていたようで、多種多様なラノベが並ぶ本棚をザッと見渡すと、彼女の小さな手が1冊のラノベを本棚から抜き取った。
「お、ソレ今季アニメやってるやつだよな」
「っ!」
見覚えのあるタイトルに俺は自然と話しかけた。彼女の方はまさか俺がこの作品を知っていると思わなかったようで、見開いた目でこちらを見る。感情の起伏が乏しい顔には僅かながらの驚きが見て取れる。
「観て……るのっ?」
興奮気味に問われる。その目には仲間……いや同族を見つけたという歓喜と期待の色が見て取れる。
「あ、いやぁ……。1話観たんだけどな」
「うん……!」
「そのー……な?」
もの凄い勢いで首を縦に振って俺の話に食い入る彼女を前に、俺の口はどんどん歯切れ悪くなっていく。
だがしかし、ここで会話を止めるというのもおかしなもの。罪悪感に晒されながらも俺は言った。
「作画が合わなくて、1話で切った……」
得も言われぬ申し訳なさに目の前の彼女から目を離す。
でも仕方ないじゃないか。作品としての物語性も大事だが、いざアニメを見て作画のタッチが自分好みじゃなかったら、どうしても見ようと思えないのだから。
などと胸中で言い訳を募っていると、不意に妙な気配がしたので視線を戻し……。
「…………」
うっすらと眉間に皺を寄せるクラスメイトと目が合った。
普段は無表情のくせに、いっそ隠す気がないくらい剣呑な雰囲気を纏っている。
「ど、どうしたんだよ……?」
「……」
彼女は応えない。
何のアクションも起こさない彼女を前に、俺も下手なことをしてはならないと謎の緊張感が身体を縛る。
数秒の沈黙の末、彼女が動いた。今さっき1冊のラノベを取った本棚に再び手を伸ばす。掴んだのは先のものと同シリーズの第1巻。ソレが俺の胸へと押し付けられる。
「ん!」
「俺に読めって?」
コクコクと首を縦に振り、傘を貸す田舎の少年ばりの素っ気ない態度で俺にラノベを押し付ける彼女と無理矢理手渡されたラノベを交互に見る。
「偏見、良くない」
「いや……偏見ってわけじゃ……」
「原作は面白い……からっ」
切羽詰まった彼女は、小動物が必死に抵抗する様を彷彿させる。
特に張り合うつもりはなかったが、折れたのは俺だった。
「分かった。それだけ勧められるんだったら読んでみる」
「っ! 読んでくれるの……?」
「くれるのって……勧めてきたのはそっちだろ」
「…………」
何故か彼女は黙ってしまったが、これで正真正銘用は済んだはず。カウンターに向かうと今度こそ彼女はしっかりついてきた。
カウンターの内側に入り、クラス単位で分けられた各生徒専用のバーコードを探す。
昔は図書室で本を借りると言えば、用意された用紙に生徒が本のタイトルと借りた本人の名前、借りた日を記入していた。だが最近は図書室の全ての本の裏表紙にバーコードが張られ、バーコードリーダーでスキャンして貸し借りの手続きを行うものとなっている。
クラスは俺と同じ2年3組だから……そういえば、名前どころか苗字も知らねぇな。何かと出くわす機会はあったが、何も知らないというのは妙な感覚だ。
「なぁ、名前は?」
出席番号順に並んでいる席の位置から考えるに、俺より古い番号。〈ち〉より後の五十音から始まる苗字のはず。
ペラペラとそのあたりに検討をつけてフェイルのページを捲りながら彼女に訊く。
「みな……」
「み。みな……ああ、コレか」
声が小さくて全部聞こえたわけじゃなかったが、見つけることができた。
――――
それが彼女の名前。
「んじゃ、たしかに5冊貸し出ししたから、期日までに返却するようにな」
「ん、ありがと」
無表情でお礼を言った彼女は図書室を後にする。重たい本を抱える後ろ姿が気になってしまうが、俺は図書委員の仕事を全うすべく昼休みが終わる直前まで図書室に残った。
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