変わったクラスメイトは本の虫
「はい、お疲れ様。ごめんね遅くなって」
上半身裸の俺の身体の至るところに貼られた吸盤を外す養護教諭と年配の男性医師に答えながら、ベッドから起きて上着を着る。
隣には同じクラスの男子がついさっきまでの俺と同じ状態で寝転んでいた。
「もう5時過ぎたけど部活間に合うかい?」
「部活入ってないんで」
「あらー、そーかい。結構いい体してるから運動部かと思っとったわ」
頭を掻いて笑い声を上げる医師に不格好な愛想笑いを返し、俺は立ち上がる。
「ありがとうございました」
「はい。じゃ、次の人呼んできてな」
スライド式のドアを開けて保健室を出ると、10人ほどの男子生徒たちがどうにか一列と見えなくもないグチャグチャ列をなしていた。さて……呼べとは言われたものの、一度も話したことのないクラスメイトに声を掛けるのは中々ハードルが高い……。
「おい1人出てきたから早く入れよ」
「あ、マジか。んじゃちょっくら魂のビート刻んでくっか」
勝手に気付いてくれた。助かった。
なら長居は無用。俺は鞄を取りに行くべくホームルームへと向かった。
時刻は放課後。普段の俺ならとっくに自室でダラダラしている時間帯だ。
だが今日は心電図検査という面倒な予定によって学校に留まらなくてはいけなかった。本来なら先日あった健康診断の時間に行われるはずだったのだが、1組と2組で時間は使い切られてしまい、その皺寄せが俺たち3組に回されたということだ。面倒極まりない迷惑だ。
教室に戻ると友人を待っていると思しき連中が駄弁っていたが、話すことはおろか目を離すこともなく自分の鞄を背負って教室を出る。
「まぁ自業自得でもあるけどな……」
自分から何も動かずにホイホイ誰かが話しかけてくれることなんて滅多とない。これは1年の時と始業式にクラスメイトと交友関係を築こうとしなかったツケである。
密かに想いを寄せてくれる幼馴染もいなければ、学校一の美少女がからかってくることもないし、生徒会長に何故か買われている……なんてこともない。
ない、ない、ない――何もない。
努力せずに得られるものなんてちっぽけで、たかが知れている。なんなら大抵のものは手に入ることすらない。
まして可愛い女の子とお近づきになれるチャンスが訪れるなんて、そんなのはご都合主義のラノベの中だけの話.
新しくも古くもない、少し注意深く見てやれば汚れてるなぁって思うくらいの校舎から出ると、西から降り注ぐ陽光に晒された。衣替えはまだ1ヶ月以上先だというのに気温は高く、俺は額にじんわりと汗を掻いていた。
代り映えのしない通学路を寄り道など一切せず一人歩いていく。15分ほどで駅に着いた。改札に定期を通しホームの中に。
ホームの中は閑散としていた。当然か。
特に娯楽施設もない町な上、この中途半端な時間だ。クラブに所属してない生徒は既に何本か前の電車で帰ってるだろうし、部活をやってる生徒は生徒でまだ部活終了時刻にはなっていない。
携帯で時間を確認すると次の電車まで10分ほど時間があった。
立ったままでも良かったが、せっかく利用客が少ないならベンチにでも……。
「……あ」
ベンチの方に目を向けた俺はベンチに腰掛け読書に耽る先客を視認し、間抜けな声を漏らしてしまった。
そこにいたのは見覚えのある白髪の女生徒。まぁ同じクラスなんだし、見覚えくらいあって当然ではあるか。
この子ってたぶん部活入ってないよな? この前も教室出てからまっすぐ帰ったっぽいし。でも女子は男子みたいに心電図で居残りする必要もなかったはずだが……。なんて軽く勘ぐってみるも、だからどうした? の一言で終わる。
俺はそれ以上彼女を気にしようとはせず、彼女からヒト2人分くらいの間隔を開けてベンチに腰を下ろした。
夕焼けによって茜色に染められた景色。時折吹く風が地元の子どもたちが近くの公園で遊ぶ声を運んでくる。そのゆったりとした雰囲気にペラ……ペラ……とページを捲る音が心地よく耳朶を打つ。
「ふふっ……」
と、隣から笑い声が聴こえた。
何読んでんだ? 少しだけ視線をずらして横目で本を見てみる。
もちろん隣の彼女が読んでいるので、表紙と裏表紙は彼女の膝で隠れて見えない。第一、布調のブックカバーが掛けられていて無理。それにここからじゃ本に綴られている文字を読むのも難しい。
だけど片手に収まりそうな大きさと適度な厚さからして文庫本だということくらいは分かった。
それからしきりに隣に座るクラスメイトは小さく控えめな笑い声を零し、だんだんどんな本なのかという好奇心が俺の中で膨らみ続ける。
…………聞くは一時の恥ってか。
「な、なあ――――」
意を決し、声を掛けようとしたのとほぼ同時。駅に設置されているスピーカーが電車の接近を知らせるメロディを奏でた。運が悪い。
俺の言葉は中途半端に切れ、再度言い直そうとするもホームに電車が着いてしまった。
彼女もこの電車に乗るらしく、立ち上がってスタスタと電車の扉の前まで歩いていく。
「って、ちょっと待て!」
「あうっ」
その小さな後ろ姿を大人しく見送らず、俺は彼女の肩に手をかけて手前に引き寄せた。
理由は単純明快。
「よそ見してると危ねぇって」
彼女……いやこのちんちくりん、本を読みながら歩いてたのだ。
歩きスマホなんて目じゃない。両手でしっかりと持った文庫本に夢中のこいつの視界には降車する人なんて完全に見えていなかっただろう。
「本読むのは良いけど、周りのこともちゃんと考えろ」
「…………ん」
なんだ、今の
こいつ、注意してから本と俺の顔を交互に見て頷いた。まるで俺が言ったことを理解はできるが、ソレはソレとして読書を邪魔されたのが気に入らないといったような、渋々とした返事に聞こえたぞ。
『電車の扉が――』
そうこうしているうちにアナウンスが流れた。
扉の前で睨み合っても仕方ない。ようやく俺たちは電車に乗る。
電車の中は通勤ラッシュレベルの満員とまではいかないが、パッと見席は空いてなかった。立っている人もチラホラ。
俺は3駅先で降りるのでそう苦にはならないだろう。
まもなくして扉が閉まり、ガタンッという音と共に電車が動き出した。
見た目からして年季の入った車両はかなり揺れる。
それなのに……。
「酔わねえの?」
「……ん、わたし?」
「そう、アンタ」
「全然」
動く電車の中で立っている時でさえ本から目を離さないクラスメイトに問うと、当の相手は目だけこちらに寄越し、小さく首を振って答えた。それ以上会話が続きそうにないことを悟ると、また視線は手元の文庫本に注がれる。
そこまで夢中になれるものなのかね……。
馬鹿にするつもりはないが、そんなことを思ってしまった。
俺だって漫画やラノベ、雑誌なんかはよく読む……インドア派だが、目の前の相手ほど人目も憚らず本を読もうとは考えない。どうしても人の目は気にしてしまう。
だからなのか、それほど夢中になれるものがあるのことが少し羨ましく思えた。
「……っぁ。ご、ごめんさぃ……」
ただまぁ、
一際大きな車両の揺れに、体勢を崩された彼女は他の乗客にぶつかってしまい、弱弱しく謝った。
そりゃ手すりも吊革も掴まずに本読んでたらそうなるだろという、当然の結果だ。
やがて電車は学校の最寄駅から出て一つ目の駅に停車した。車両の扉が開き、往来が激しくなる。それでも彼女は本読み続けているのは言うまでもない。
放っておいても良かったんだが……多少なりとも知ってる奴が人様の迷惑になるのを分かっていてなお、何もしないってのは良くは思えない。
「なぁ」
「何……?」
「そこだとまた他人の邪魔になるなるだろ。こっちこい。代わるから」
この本の虫がちょっとやそっとの呼びかけでは反応しないのは分かっている。肩を叩いてやると、何を考えているのか読み取れない透き通った瞳が俺を捉えた。
女子……というか他人と話すことが決して得意ではないので自然と彼女と合った目を反らし、続く言葉を口にする。
「別に気にしな――」
「俺が気にするんだって」
と、俺は自分が壁にもたれていた場所を開けて彼女に譲り、近場にあった吊革を掴む。
それでも彼女は直ぐには動こうとせず、チラチラと俺の顔を窺っていたが、押し寄せる人の波に流されるように俺の開けた空間へと収まった。
ほどなくして再び電車が動き出す。今度はさっきより人が多い。
代わっておいて正解だったな、と目の前で読書に耽るクラスメイトを見て俺は胸中で零した。
視界の大半を占めるのは目の前の少女の顔ではなく、雪のように真っ白な髪の毛。身長差ってこともあるが、一番の理由は彼女が本を読むために首を頭を下げているからだ。
あまりジロジロと見るものではないけど、これほど綺麗な色をした艶やかな髪を見ると触ってみたいという衝動に駆られる。……行動にした瞬間、痴漢と間違われかねないけどさ。
ただ、この調子だとホントに周りのことなんて気に留めてないんだろうな。
俺はそっと彼女と他の人の隙間に立ち塞がって壁を作った。
これもまた、以前教室での読書に夢中だった彼女を待ったのと同じ、何でもないただの気まぐれだろう。
『次は――』
そうこうしているうちに俺の降車駅に到着した。
駅周辺は広い住宅街ということ以外特徴のない土地だが、そのため通勤や通学にこの電車を使う人が多く、降車する人数は先の2駅よりも断然に多い。
降車客たちが作る列に並んで電車を降りた俺は、改札を出る前に一度だけ電車に振り返った。
「大丈夫か……」
まだ電車の中にいるあのクラスメイトがどこで降りるのか気になった。いや、心配だった。
だがまぁ、そうは言ってもあいつも高校生なのだ。しっかりするところはちゃんとしているだろう。
ほら、窓越しに彼女の姿が見えた。本から頭を上げ、今何駅に止まっているのか確認しようと窓の外を確認する。そしてバッとその目を今度は車内の電光掲示板があると思しき方へと向け、遠目でも分かるほど焦った素振りをしていた。
…………。
扉は既に閉まってしまい、再度扉を開けてもらおうとしたのか先頭車両に駆けてく彼女の行動も虚しく、無情にも電車は次の駅へと走り出す。
「あいつもここで降りるつもりだったのか……」
どこで降りるかくらい聞いといてやれば良かったな。
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