第5話

 黒塗りのセダンはパンツスーツの女を乗せて走り去った。結局、正体不明のままだったがどうでいい。二度と関わりたくない。

 それは彼らとつながりのあるアリスにも言える事だった。彼女との日々は悪くなかった。でも、これで終わりだ。

 突っ立っていると校舎から生徒が出てきた。授業が終わったらしい。安いアナログ腕時計は次の授業には間に合うと教えてくれた。しかし。

 とてもそんな気分になれない。

 俺はレザージャケットのファスナーを上げて大学から出た。


 目的もなく背を丸めて歩く。何も考えていなくても自然と足は見知った道を進んでいた。ペンキの剥げたアーチをくぐると前世紀から時間が動いていないような商店街だった。ここを通るのは小学生以来か。じいちゃんに連れられてよく来ていたのにな。

 日焼けで黄ばんだ暖簾のれん蕎麦そば屋前を通った時、腹の虫が鳴いた。たまには蕎麦も悪くない。引き戸をガラガラと開けると、蕎麦湯の匂いが鼻孔をくすぐる。暗い色のタイル床、誰のものかわからない色あせたサイン色紙。店の古さと不釣り合いな薄型TVが目を引いた。壁に取り付けられたモニタの中で芸能人の不倫騒動について語るコメンテーターの声が誰もいない店内に響く。


「すみません、店主は今出てまして……」


 奥から顔を出したのは頬被りと作務衣さむえに身を包んだアリスだった。さっき関りを避ける、そう思ったばかりだぞ。

 俺の決意を知らないはずのアリスは手に付いた蕎麦粉を布巾で拭きながら頬を緩めていた。


「なんでここに? 会いに来てくれたの?」

「いや、偶然。……バイト?」

「そうじゃないけど、居候させてもらってるの。それより、裕司! 今日サボったでしょ!」


 腰に手を当てにらむアリスはいつも通りに見えた。いや、和装は初めて見るけど。それはどうでもいい。


「おかげさまでヒドイ目にあったからな」

「どういうこと? 私のせい?」


 とぼけているのか? 魔法が絡んでいるんだ。アリスの差し金なのは間違いない。それなのに意味がわからないと頬に手を当てる姿は演技には見えなかった。


「さっきまで拉致されてた。魔法を使えって脅されたよ。アリスが絡んでいるんだろう?」

「私は知らない。あ! もしかして――」


 言葉をさえぎるように店の引き戸が勢いよく開かれた。ずかずかと大股で入ってきたのはパンツスーツの女。さっきと違いサングラスがない。


「ただいま! 聞いてよ、お父ちゃん!」


 おいおい、なんの冗談だ? 会いたくないと思ったばかりだぞ。引きつっている俺に気づいた女の表情が消える。彼女は身構えたが、アリスが間に入った。


「花! 説明して!」

「アリス! 不用意に名前を出さないで! 身元も所属も明かしていないんだから!」

「今、お父ちゃんと言ってなかったか?」


 俺がツッコむと、クリっとした大きな瞳でにらまれた。こっちが素で、さっきまでが仕事中の顔か? 忙しいやつだ。

 職務の内容は話せないとそっぽを向いたので、代わりに俺が話す事にした。他言無用? 知るか、そんなもん。


「――というわけだ。これ以上俺に関わらないでくれ」


 あらましを聞いたアリスは勢いよく頭を下げた。


「私のせいだ。ごめんなさい」

「もういい。じゃあ、そういう事で」


 話は終わりだ。

 店を出ようとすると、待って、とアリスの悲痛な声で足が止まった。無視しようとすると今度は腕をつかまれる。パンツスーツの女だ。その肩越しに唇をかむアリスが見えた。


「そもそも、あんたたち何者だ?」

「答えられない」

「はっ! 質問には答えない、それで何を話すっていうんだ」

「拘束したのは組織の方針だ。ただ私としてはアリスのためになる事をしたい。話を聞いてくれないか? お願いします」


 やられた事は気にいらない。しかし話ぐらいは聞いてやっても良い。俺をそう思わせたのは顔を伏せているアリスだ。

 カウンター席に座り、話せよ、とうながす。アリスは落ち着くまで少しかかったが、じっと待った。やがてせき払いすると、おずおずと話し始める。


「日本に来てずっと引きこもっていたって言っでしょ? あれはそうしたかったんじゃないの。外出許可が下りなかっただけ。花が手を回してくれなかったら、まだあそこにいたと思う」

「あそこ?」


 横から女が口を挟んだ。


「その場所については話せない」

「ごめんね。そういう決まりなの。とにかく私は外に出たかった。この日本という未知の国を見たかった。花が頑張ってくれたおかげで外に出られるようになったの」

「アリスも監禁されてたのか。一体なんなんだ、あんたの組織は?」

「話せない」


 そう言うと思った。また表情を消した女に肩をすくめてみせる。アリスは苦笑いをして話を続けた。


「でも、それからあちこち行ったわ。驚きの連続だった」


 語りながら目を閉じているアリスは記憶の中の景色を見ているのだろうか? 文化も文明も異なる国から来た彼女の目に日本はどう映ったのだろう。


「その途中で、ここに来た。花の家族が見たかったの」

「その縁で居候させてもらったのか?」

「それもあるけど、ここの蕎麦が美味しかった。感動したわ。私もこんな蕎麦が打ちたいって思った。だから居候というより、住み込みで教えてもらってる感じね。こういうの日本語で何て言うんだっけ?」


 腕を組んで思い出そうとする姿を見て、思わず助け舟を出してしまった。


「弟子入り?」

「そう! それ!」


 アリスは顔を輝かし人差し指を立てる。俺の頬が緩んだ。


「他にもたくさん学びたいのよね。だから大学にも通わせてもらっていて。そして裕司に出会った。信じられないかもしれないけど、初めて気楽に話せる人に会えたの」

「日本に来る前は?」

「あそこでは腹の探り合い、私が声をかけるまで立っているだけの使用人、それから……」


 暗い顔で目を伏せるアリスの言葉をさえぎる。


「もういい。悪気がないとわかった。こんな事が二度となければ水に流してやる。あんたに言ってるんだぞ」


 花は真面目な顔で、善処する、と姿勢を正した。

 こんなもんでいいか。俺は手を叩き口端を上げた。


「よし、暗い話は終わり! 腹へってるんだ。蕎麦食べさせてくれよ。打てるんだろ?」

「え、あ、ありがとう! ちょっと待ってて!」


 アリスが店の奥に消えたあと、真面目な顔のままな花が頼みがあると言った。


「仲良くしてやってくれないか。あの子に友人といえる者はいない」

「……それには、あんたの協力が必要だ」

「組織の一員として特別な事はできない」

「そうじゃない。クリスマスにアリスと湾口水族館に行く約束してるんだ。チケットを二枚用意してくれないか? なにせ貧乏大学生なもので。頼むよ、花ちゃん」


 花は大きな目をさらに大きくしたあと、これまた大きなため息をついた。

 その姿が面白くて肩を震わせた。

 わだかまりが完全に消えたわけじゃないけど、彼女たちとなら良い関係を築けそうだと思った。だったら水に流そう。実害は授業を一日サボっただけだしな。

 そのぐらい安いものだ。

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