第6話

 蕎麦そば屋の一件から二週間が経った。

 花ちゃんに用意してもらったチケットでクリスマスの湾口水族館に来れたのは棚から牡丹餅ぼたもちと言っていいだろう。いや、怪我の功名か? まあ何でもいい。こうしてアリスと楽しめているんだから。


「クリスマスイブなのに意外と人が少ないな」

「平日だからじゃないの? おー! 凄い!」


 ステージ奥のプールではBGMに合わせてイルカが連続でジャンプした。二頭が空中で交差し、飛沫しぶきを上げてプールに消えていく。水中にあるカメラが追いかけ、大型ディスプレイに映し出した。

 トレーナーがプールに飛び込むと追従するイルカが彼を押し、高速で水面を滑る。信頼あってこその芸当なんだろう。

 はしゃぐアリスが俺の腕を何度もたたいた。


「あれ、絶対に魔法よ。魔法もなしに魚を操るなんて無理に決まってるわ!」

「イルカは哺乳類だ」

「哺乳類ってなんだっけ?」

「人や犬と同じって事。形は全然違うけど頭が良い……らしい」


 ショーが終わってもアリスの興奮は冷めずに、もう一度見ようとスケジュールを確認していた。どうせ花火が上がるのは夜だ。気が済むまで見ればいい。

 どうやら最後のショーを見てから花火と決めたようだった。それまでに全部回るから、と急ぐアリスは本当に楽しそうだった。


「裕司! こっちよ!」


 呼ばれるまま後を追うと、そこは暗いフロア。様々な形の水槽の中を泳ぐ熱帯魚がいた。完璧に整えられた環境の中にいる色とりどりの熱帯魚は実に優雅だった。テンションが高いまま説明文を読んでいたが、次第に彼女がまとう空気が冷えていく気がした。

 アリスは壁に埋め込まれた小さい水槽に手を触れ、ぽつりとこぼす。ショーベタが彼女の指先に近づき、黒くて長い尾びれを揺らしていた。


「この魚達、水温が少し変わるだけで生きられないのね」

「詳しいな」

「そこに書いてあったわ。限られた環境でしか生きられないんて、まるで昔の私だわ」


 彼女が言いたい事はわからない。それもそのはず、俺は彼女の国についてはほとんど知らない。聞き出そうとは思わないが、話してくれるなら真摯しんしに向き合うべきだ。そう、思った。


「故郷ではね、私は美しい方らしいのよ。日本は奇麗な人ばかりだからそうでもないけど」

「ここでだって注目されてるだろ」

「ふふ。ありがとう」


 アリスは力なくほほ笑み、言葉を続けた。


「父は私を政権争いに利用するつもりだった。だから悪い虫がつかないように、と屋敷に閉じ込めた。出られるのは社交の場だけ。私はね、自由に生きたかった。たくさん出会い、学びたかった。でもできなかった。一人で行動を起こす力もなかったしね。それが嫌で逃げ出そうと策を講じたら失敗して、日本に飛ばされたってわけ」


 自由、そんなものがあるのか? 人は何時だって、何処にいたって、何かに縛られている。


「気にしすぎなんだよ。本当に自由な人なんていない。それに、不自由さの中で見つかる楽しさだって、ある」

「例えば?」

「そうだな……贈り物とか? 身に着ける物を贈られるのを嫌がる人もいるらしい。縛られていると感じたら、それは自由じゃない。でも、それがうれしければ不自由とは感じないんじゃないか?」


アリスが背にした天井まである水槽の照明が淡い赤に変わる。その前で瞬きを繰り返していた。

 わかったような、わからないような顔をしてるな。俺もよくわかってない。

 多分、心の在り方なんだと思う。彼女はこれをどう受け止めてくれるだろうか?

 俺は内ポケットの小さな包みに手をかけた。

 渡すなら今だ。そう思った時、爆発音と共に建物が揺れた。水槽の魚が激しく泳ぎ回り、警報が鳴り響く。エントランスから悲鳴と喧騒けんそうが伝わってきた。

 立ちつくしていると、アリスに腕をつかまれた。


「裕司! 逃げて! 巻き込みたくない!」

「落ち着いて。こういう時は慌てたらダメだ」

「……駄目、間に合わない。これを!」


 血相を変えたアリスをなだめようとしたが頭を振り、ネックレスを外すと俺に押し付けた。


「これを着けていて。裕司を守ってくれる。一緒にいて楽しかったわ。ありがとう。さようなら」

「ちょっと待て!」


 アリスはフロアの入り口に走るが、すぐに足を止めた。金属が擦れる音が近づいてくる。現れたのは西洋よろいに身を包んだ兵士? 騎士? どっちでもいい。それが十人程フロアに入ってきた。

 むき出しの剣を持つ彼らが左右に割れ、続いて現れたのは西洋貴族? 魔法使いみたいなのまでいる。貴族然とした男は大袈裟おおげさに両腕を広げ、アリスに向かって大股で歩み寄った。


『アリス!! 見つけたぞ! 喜べ! 父、自らが迎えに来てやったぞ!』

『うれしいものか! なぜ今更呼び戻す!』


 アリスと父親の会話は日本語ではない。それなのに何故か理解できた。ポケットの中で握りしめていたペンダントが微かに振動している。これが関係しているのか? まさか、本当に、魔法なのか?


『喜べ、第二王子が失脚したぞ。第三王子とのつながりを強固にするためにお前が必要だ。追放は免除してやる。さあ一緒に帰ろうではないか』


 彼は指輪やら腕輪で飾り付けられた手を伸ばしたが、アリスは後退る。水槽に背が当たり熱帯魚が跳ねるように動いた。


『早くしろ! わしは忙しいのだ!』

『嫌!』


 何もかもが想像を超え、思考が止まっていたが、顔を歪めるアリスで我に返った。止めさせないと。踏み出すが兵士の剣に阻まれる。細かい傷が無数にある使い込まれた剣の先端が照明を反射していた。リアルに命を奪うそれへの恐怖は強く、声を上げる事しかできなかった。


「アリスを離せ!」

『誰だ? そうか、こいつのせいで帰りたくないのか。やれ。いなくなればアリスも大人しく帰るだろう』

『御意』


 答えたのは黒ローブの男。俺に向けるつえの先端が青白く光る。どういう原理だと思った瞬間、杖から放たれた何本もの稲妻が激しく暴れまわる。それはフロアマットを焦がし、水槽を割り、俺を吹き飛ばした。電気が作るイオン臭をフロアに広がる海水の匂いが消していった。


「裕司! 裕司!!」


 アリスが叫んでいるが、倒れている俺には応えられそうになかった。

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