第4話

 一週ほど過ぎた頃には俺の日常は激変していた。一気に寒くなってネックウォーマーとニットキャップが手放せなくなったのもあるが、それ以上の変化はアリスとの距離感だ。

 彼女は毎日電話なりメッセージを送ってくるようになり、一緒にいる時間も増えた。時々行われる魔法使い設定の会話も悪くなかった。真面目に授業を聞くようにもなった。惰性で通っていた大学が楽しく感じるようになったのも彼女の影響だろうか?

 そんな事を考えながら大学へ向かう足取りはとても軽く思えた。その足は黒塗りのセダンに阻まれて止められる事になったが。

 俺の道を塞ぐ車の後部席のドアが開き、パンツスーツの女が降りてきた。女にしては背が高い方で、化粧っけはなく、長すぎない髪を後ろで縛っていただけ。オシャレではなく、機能的だからそうしている。そう見えた。

 彼女は表情がない顔で、乗れ、と短く言った。

 唐突な言葉とサングラスのせいで誰に言っているのかわからずに辺りを見回すが、他に人はいない。


「お前だ。手荒にはしたくない。大人しく同行しろ」


 ふざけた話だ。こういうやつは相手をしないに限る。

 無言で脇を抜けようとしたら腕を捻り上げられ、あっという間に倒された。冷たいアスファルトを頬で感じ、怒りが込みあがる。


「おい!」

「黙れ」

「放せ! 痛いって!」


 為す術もなく後ろ手で親指同士を縛られ、硬い物が肉に食い込む。抗議の声を上げるために開いた口に猿ぐつわをかまされ、止めにアイマスクで視界を塞がれた。車に押し込められた後はヘッドフォンが付けられ、大音量の般若心経で外界の情報を得る術はなくなった。微かに発車するのがわかる。

 本当に日本の出来事か? 俺が何をしたっていうんだ?

 どこをどう走ったかなんて知りようがなく、何度目かわからない般若心経のループのあとに車は止まる。

 抵抗する気にもならない力で運ばれ乱暴に座らされた。ひと時の静寂の後、首から上の拘束具が外れ落ちた。突然の明るさで目が痛い。ずっと開きっぱなしだった顎の感覚もおかしい。手足が拘束されたままなので顎を擦る事もできなかった。

 窓もない真っ白な部屋にあるのは座らされているパイプ椅子一つ、周囲にビデオカメラが四つ、それと天井のスピーカー。

 スピーカーノイズがブツブツ鳴った後、ボイスチェンジャーを介した声が響いた。


『鈴木祐司、魔法を使え』

「魔法? 人違いじゃないか?」

『鈴木祐司、20歳。奈郷大二年。祖父と二人暮らし。これで十分か? 魔法を使え。我々は君が魔法を使用したとの情報を得ている』


 何の冗談だ? いや魔法? まさか……


「アリスに関わりがあるのか?」

『質問は許可していない』

「使ってやってもいいが、準備が必要なんだ。奈郷大、談話室の自販機を持ってきてくれ。あれでないと駄目だ」


 スピーカーノイズが消えた。マイクを切ったな。説明も指示もないまま五分ほどたった後、乱暴にドアが開き、さっきのパンツスーツ女が入ってきた。険悪な表情だが怒りたいのはこっちだ。

 手足を縛られていた結束バンドが切られ、投げられたアイマスクをつかんだ。


「それを付けろ」

「説明ぐらいしてくてれもいいんじゃないか?」

「そうか、また拘束されたいのか」


 女か指をパキパキ鳴らすのを見て、そっとアイマスクを着けた。

 そして移動。外していいと言われるまでアイマスクには触れなかった。抵抗しても勝てる気がしない。右へ左へ揺れる車内で何もすることがなく、少し口を開けば、黙れ、と短く返されるだけ。

 うんざりしてきた。文句の一つも言わなければ気が済みそうもない。今は静かにしておくが。

 車が停まると、相変わらず高圧的な声で命令された。


「アイマスクを外せ」


 ここは……大学の談話室から見える場所か。車が停まっている位置に覚えがある。そうか、この車、どこかで見たと思ったんだ。雨の日にアリスを迎えにきた車だ。

 つまり、これにはアリスも一枚かんでいるという事になる。車を降り、乱暴にドアを閉めた。

 そうか、俺は今の扱いよりアリスに裏切られた方がこたえているのか。


 背を押され、無言で足を進めた。パンツスーツの女が付かず離れずに付いてきている。途中で知り合いが、女連れかよ、とにやけた顔で手を上げたが、俺の表情を見ると上げられた手は力なく下ろされた。

 無人の談話室に入り自販機の前に立つ。


「やって見せろ」


 小銭を入れてコーヒーのボタンを押す。中からモーターが回る音だけが聞こえてきたが、いつも通りカップは落ちてこなかった。


「見てろ。これが俺の魔法だ」


 バン! 苛立ちからか大きい音が談話室に響いた。時間差でコトンとカップが落ちてきてたった今れられたばかりのコーヒーが注がれていく。


「恐れ入ったか? あまり俺に強い魔法を使わせるなよ。世界のバランスが崩れる」


 アリスに付き合ってたせいか、それっぽい台詞がスラスラ出る。

 俺のあおりをうけた女は顔が真っ赤にしていた。


「……他言無用で頼む……」


怒りを必死に押し殺した震える声だった。辛酸をなめるってこんな感じなんだろう。ほんの少し、気が晴れた気がした。


「拉致されて魔法を使えっておどされたって? 言わないさ。こっちが恥ずかしい思いをするだけだ。もういいか?」


 相変わらず、にらまれていたが、さっさと背を向けた。


 魔法、アリス、正体不明の組織。きな臭い気もするが俺を魔法使いと間違えるような組織だ。大した事ないだろう。

 それでもやぶを突っつく気はない。金輪際関わりたくなかった。

 それは、アリスとの決別を意味していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る