愛羅の学校⑤

「ただいまー」

 誰もいないウチ。パパママは帰ってきてない。挨拶が返されないこともわかってるけどちゃんというのがアーシの日常。

 挨拶しなかったら少し気分が下がる気するし。

 玄関で靴を脱いでアーシは二階にある自室に向かう。もう十数年と住んでる家。明かりがなくても感覚でわかる。

『ガチャ』

 部屋のドアの取っ手を引いて明かりのスイッチを押す。明かりがともった一室。

 アーシはバックを床に置いて――

「今日大収穫したしーっ!」

 そのままベッドにダイブした。

 布団に顔が擦れて少し痛いけど、センパイに送ってもらった時からずっとニヤニヤしてたからちょうどいい。

「どんだけ嬉しがってるんだっての、アーシは!」

 念願のお兄ちゃん作れたとかマジでヤバい。嬉しいし、恥ずかしいことめっちゃしたし顔から火が出そう……。足をジタバタさせちゃうくらい今の気持ちを抑えらんない。

 アーシは身体を反転させて顔を触ってみる。でも、まだニヤけてる。でもさ、こればっかりはどうしようもないって。

 ずっとほしかった存在捕まえちゃったわけだし。それもセンパイがお兄ちゃん役してくれるとか宝くじで一等当てるくらいの運を使ってると思う。帰り際に連絡先も交換できたし嬉しいことだらけ。寂しくなった時とか、構ってほしい時はいつでもメールができるってことだしさ!

 最初にセンパイがこのマフラー貸してくれて助かった。顔を隠せるものがなかったらセンパイにからかわれてたから。『なにニヤけてんだよ』みたいにさ。

「……あんがとね。センパイに変な目で見られずに済んだよ」

 メルヘン的になっちゃうけど、アーシは首に巻いたマフラーを取っていう。

「あっ!?」

 そこで気付くよね。アーシがそのままセンパイのマフラーを持って帰ってきてること。マフラーを返してなかったことに。

 しかも、タグ見てびっくりした。

「これブランド品じゃん……」

 あったかかった理由がやっとわかった。多分だけど値段にしたら二万くらいするやつ。でも、センパイってケチだしこんなブランド品買わないはずなんだけど……。

 ってなったら誰かにプレゼントされたとか?

 正直、可能性はめちゃあるんだよね。センパイってケチだしひねくれるけど妙に大人っぽいし。いちお、顔とか性格も悪くないし。

「んー」

 なんかモヤモヤする。オンナの匂いがするっていうか。

 マ、お姉ちゃんがいるっていってたからその可能性もないことはないんだけど。……ってかセンパイ、なんでマフラー返してって言わなかったんだろ。

 マフラー返されてないことには気づいてたはず。

 確信があるってわけじゃないけど、あのセンパイって貸し借りのことは絶対覚えてる人だから。ケチだから自分が損することは忘れない性格だし、特にこれ高いマフラーだし。じゃあなに?

「今日はこのマフラーで寂しさ紛らわしとけ的……な?」

 な、なんとなくそんな気がする。なんかそう考えたら思い通りに動かされてるようでウザいけど……あることにこしたことはないんだよね。

「うん、棚からぼた餅ってことにしてあげる」

 思いついたことわざ。

 思いがけない好運を得ること。労せずしてよいものを得ること。今の状況だとピッタリ。

「くんくん……。マフラー巻いた時から思ってたけど、めっちゃいい匂いするよねコレ。どんな洗剤と柔軟剤組み合わせてんだろ。それともセンパイの家に置いてる芳香剤とか?」

 アーシはマフラーを畳んで、もうちょっとだけ匂いを嗅ぐ。

 センパイの服がクサいとかいっちゃったけどそんなことない。実際はめっちゃいい匂い。匂いに気を遣ってるのがわかるくらい。

 オンナかって感じだけど、そんなところに手を回してるからモテてる感じもする。なんかそうなるとアーシも手を打つしかないんだけどさ、お兄ちゃんには手を出すな的なやつを。

 だって契約したのに『今日は他のオンナとデートだから』みたいに断れられるのは最悪だし。

「マ、今日はこれ渡してくれたから大目に見るけど。……とりあえずアーシの匂いだけはつけとこ」

 貸してくれたってことは自由に使っていいってことだしね。ならいろんなことに使っちゃう。この匂いがあればすぐ寝れそうでもあるし。

 アーシの匂いがついてるって気づいた時が楽しみ。センパイどんな感じに怒ってくるんだろってね。

「にしし、お兄ちゃんかぁ」

 今になって実感が湧いてくる。アーシは無意識にベッド棚の中からとある漫画を取り出した。

【寂しがり屋の妹は恋愛感情ヌキ!? お姉ちゃんの彼氏に甘えます】

 題名で引き寄せたい感満載だけど、これはアーシが初めて買った漫画。お兄ちゃんがほしくなった理由になった漫画。

 アーシがファンなんだけど、ラノベの絵も書いてラブコメ漫画も描いてる漫画家のでびるちゃんがいいねを押してた本。アーシのツイットのアカウントにまで流れてきたやつ。

 四コマの試し読みして続きが気になったからすぐに買った。

 内容はタイトルの通り、寂しがり屋の妹ちゃんがお姉ちゃんの彼氏に甘える話。妹ちゃんはその彼氏をお兄ちゃん呼びで、本当のお兄ちゃん相手のように甘えてんの。

 その度にお姉ちゃんは嫉妬したり、怒ったりする。

 妹ちゃんが甘える理由は、お姉ちゃんに構ってもらえなくなったから。

 現実なら妹ちゃんはサイテーなことしてるけど、フィクションだから違和感なく読み進められた。

 妹ちゃんは好き勝手し放題。

 なにかと理由をつけてお姉ちゃんの彼氏とお出かけにいったり、膝枕を要求したり。姉の気持ちになってみたらモヤモヤするかもだけど、アーシは妹ちゃんに感情移入してたんだよね。妹を応援してた。

 アーシも寂しい思いをしてる一人だから。構ってほしいって気持ちは痛いほどわかるから。面白くてすぐに二巻、三巻って買って気づけばあと一巻で最新刊に追いついてた。勉強もサボりそうになるくらいにどハマり。気持ちわるって思うかもだけど、妄想もしてたくらい。

 その漫画のせいでお兄ちゃんの存在がどんどん羨ましくなった。

 だからさ、ホントビックリしたんだよね。

 最新刊の漫画を買おうとしてあの書店に寄った時、その漫画に出てくる姉の彼氏がいた……じゃなくって、それくらいに似た書店員がいたから。

 髪のセットの仕方も一緒だし、身長も同じくらいだったし。

 その書店員がセンパイになるわけだけど、アーシの思考がおかしいのは承知でこの人と関わってみたいって思った。

 もしかしたら漫画に出てくる妹のように構ってくれるんじゃないかって。

 だからアーシはどうにかセンパイと関係を作りたかった。仲良くなりたかった。

 仲良くなるには会話する以外にないから、ネットからお兄ちゃんモノを適当に調べてセンパイに質問しにいったわけ。これで自然と会話ができるじゃん? お兄ちゃんモノばっかり選んだ理由はできるだけアーシの印象に残るようにね。

 その書店で見たこともなかったセンパイだったから新人だと思った。

『その漫画はどこにあるかなぁ』なんてセンパイの声を期待して『一緒に探そ』とか引き抜けるセリフを考えてたけど、あのセンパイはスラスラと答えやがったんだよね。一年も働いてるからっていわれたらそれまでだけど、センパイめっちゃ仕事できる人で、めっちゃ丁寧な接客をしてくれた。

 でもね、それはちょっと残念だった。漫画に出てくる彼氏の性格が全然違ったから。

 顔とか体格が似てるだけで偶然すぎるんだけど、やっぱ漫画の通りの性格じゃなかった。

 だけどね、だけど……センパイが素を出した時にわかったわけ。性格まで似てるってさ。

 ウザそーにするけど、なんだかんだお願いを叶えてくれる。メンドくさそーにするけど、なんだかんだ優しくしてくれる。

 漫画の妹になったつもりはないけど、アーシの中でお兄ちゃんはこの人しかいないって思った。

 最初は関われたらいいなって思ってたけど、いつの間にかこう考えてた。

 だからホントに嬉しい。狙ってたセンパイ落とせたしさ。

 一五万は使ったけど、アーシにとっては妥当な金額。

 パパはいってた。『お金は自分を守るためにある』って。『だから貯金しときなさい』って。

 今までお金を使うものがなかったから意味わからなかったけど、その通りだった。

 センパイはお金がなかったらアーシのお兄ちゃんにはならなかっただろうから。でもそれが普通。対価もなしに要求を飲むのは漫画の中の勇者くらい。そんな都合のいい話があるのはフィクションの世界だけ。

 現実はそう甘くない。甘くないけどセンパイがアーシのお兄ちゃんをしてくれるだけでチョロくなった感じもする。

 頑張ったことがあれば褒めてくれる。悪いことしたら叱ってくれる。お喋り相手にもなってくれるとか最高。

 これで毎日が寂しいわけじゃなくなる。それどころか、センパイにいっぱい甘えられる。

「どうしよ……なにしてもらおっかなー。やっぱ膝枕とか? あ、おんぶとだっこもしてほしーけど」

 フィクションとかいってもリアルを参考にして漫画は描くっていうくらいだし、世の中の妹はお兄ちゃんにこんな感じ甘えてるはず。変な要求じゃないよね。

 でも……おんぶとかだっこってふつーに胸が当たりそうだけど、どうするんだろ。

 アーシは胸に手を当てる。自慢じゃないけど周りのクラスメイトと比べたら成長早い方なんだよね。

 やっぱり漫画みたいに押しつけるもんなの? ってか、押し付けなくても当たると思うけど。心臓の音バレないならなんでもいいんだけど……マ、漫画の通りにすればいっかな。

 兄妹の教科書といえば漫画だし。

 あー……。アーシ、これからセンパイにいっぱい甘えられるんだ。やっば、めっちゃ恥ずくなるし緊張ヤバ……。

 妄想しただけなのに心臓めっちゃ早く動いてる。

「センパイ……」

 アーシはセンパイのマフラーに顔を埋めてベッドに寝転がる。

 早くセンパイに会いたい。とりあえず今日はマフラーで我慢するけどめっちゃ甘えたい。

 センパイとこれからのことするって考えるとめっちゃ顔が熱い……。今耳まで赤くなってる気がするし。

 なんかラブコメの世界に入り込んだみたい――

「あっ!」

 ラブコメで思い出した。今日はでびるちゃんの新作漫画がツイットに投稿される日だってこと!

 漫画をベッドの上に置いてすぐにスマホを触る。でびるちゃんのアカウントに移れば二時間前に出されてた。

 すぐにタップして内容に目を通す。

「ん? 『ほんとのことかもしれない』が題名? なにこれ。でびるちゃんのリアルを元にしてるってこと?」

 マ、気にすることはないけどね。フィクションでもノンフィクションでもでびるちゃんの漫画はホントに面白いし。二時間前なのにいいねがもう二万を超えてる。アーシが画面をタップしてすぐに読んでいく。

「うっわ、この設定スゴ……」

 簡単に説明すればカップルがいちゃいちゃデートする内容なんだけど、そんな単純な話じゃない。ヒロインが会社を通じて彼氏役のオトコを買ってるんだよね、お金で。

 なんかアーシと似たようなことしてる……。

「って、えっ!? この服装って……」

 一人でいるのに声が出るくらいに驚いたことがある。ヒロインが買った彼氏役、今日センパイが着てた服と一緒なんだけど……。

 最後まで漫画を読めば、ツーショットの写真を撮ったところで終わってた。

 ほんとのことかもしれない(一)って書いてるから続きがあると思うけどかなりリアリティーがあった。

 なんか内容だけ見ればホントっぽい。リプにもそんなの多く書かれてるし……。って、さすがにアーシみたいにセンパイを買ってる人はいないか!

 とりあえずいいねを押して『満足!』ってにっこり絵文字と一緒にしてでびるちゃんにコメントを残す。

「さてっと。でびるちゃんの漫画も堪能したし、お風呂に入って早く寝よっと」

 スマホとマフラーをベッドに置いてアーシは立ち上がる。

「にしし、とりあえず明日はこのマフラーつけてガッコいこ」

 バレたら絶対怒られるだろうけど、寒かったからって伝えたらイチコロだしねセンパイは。

 そんな性格だからアーシみたいなのに絡まれたりするって気づかないのホントバカ……つってね。

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