姫乃との初デート⑤

 時は過ぎ、一八時五五分。

「シバ、今日は楽しかった」

 代行終了まで残り五分を切っていた。日はすでに沈み、上弦の月が星々と共に浮かび上がっている。

 ここは最初の集合場所だった東公園の噴水前。

 冷たい風に当たりながら姫乃と龍馬は恋人繋ぎをしたままベンチに座り、最後の時間を過ごしていた。

「シバも最後まで楽しかった?」

「もちろん。姫乃が依頼主で本当によかったよ」

 この会話で別れがすぐそこまで近づいていることを感じる両者だ。代行のルールによって連絡先の交換をすることもできないため、こうした空気になるのも仕方がないこと。

「あっ、こう少し時間があるけど姫乃は最後にやり残したことはない?」

「一つ、ある。シバと写真撮りたい」

「お、いいね! じゃあ姫乃のスマホで撮ろっか。俺のスマホで撮ったら送るのに手間がかかるもんね」

「連絡先交換の禁止、もやもやする」

「あはは……こればっかりは仕方ないけどね。その分、楽しく写真に映らせてもらうよ」

「わかった」

 刻々と時間が迫っている。姫乃はそそくさとショルダーバッグの中からサボテンのシリコンカバーをしたスマホを取り出した。

「写真はスノウで撮っていい? 加工して撮れるアプリ」

「全部姫乃に任せるよ」

「ん」

 スノウとは加工された状態で撮ることのできる珍しい写真アプリである。顔認証スタンプというシステムを使って動物やキャラクターの顔になれる若者に人気のアプリだ。

「スタンプは猫にした」

「猫好きなんだ?」

「動物は全部好き。ヘビとかトカゲも好き」

 と、口を動かしながら腕を斜め上に伸ばす姫乃。内カメラが二人の顔を認証したと同時に猫耳と逆三角になった猫鼻、左右の?に三本ずつヒゲが生え、動画のように滑らかに動いていた。

「もう少し近づいた方がいいよね……?」

「ん、きて」

「了解」

 恋人繋ぎした手を少し宙に浮かせた龍馬は、その空いたスペースにお尻をつけて肩が触れ合うくらいに距離を縮める。

「じゃあ撮る」

「いつでもどうぞ」

「……ん。三、二、一」

 そのカウントダウンで親指でシャッターボタンを押すと内カメラの画面が止まり、撮った写真がスマホの画面いっぱいに表示される。二人はすぐに顔と顔を近づけ仲睦まじく確認を始める。

「おぉ! いい感じに撮れたね」

「ん、シバがかわいく撮れた」

「姫乃も可愛く撮れてるよ」

「っ……、シバは可愛いっていうの禁止。恥ずかしくなる」

「あはは……俺も今恥ずかしいかも」

「しっかりして」

 写真を撮ったこの至近距離で目を合わせながら会話を続ける。周りから見たら完全にカップルとして見られることだろう。それくらいに今日一日で随分と打ち解けたものだ。

「……この写真、大切にする」

「そうしてくれると嬉しいよ」

「写真見たい時は教えて。いつでも見せる」

「あははっ、それはどうも」

「そ、それで次にシバが空いてる日はいつ……?」

「空いてる日っていうと代行ができる日で合ってる?」

「ん」

 今日が初めての代行だからこそ龍馬は今の段階でなにも気づいていない。次の予定を聞かれた時点で、リピーターになってくれる可能性が高いということに。

「えっと、木曜と土曜日以外ならってところかな。あとは俺に用事がなければってところだけど」

「え、今日は土曜日……だよ?」

「土曜日は二週間に一回が午後が空くことになってて、今日がその日だったんだよね」

 龍馬は代行バイトだけでなく書店のバイトもしている。そのシフト日が木曜と土曜の二回なのである。

「わかった。木と土……」

 姫乃は小さな声で復唱をしながらサボテンカバーのスマホを両手で持って文字を打ち込んでいる。

「えっと……なにしてるの?」

「シバの空いてる日、メモ取った」

「それは……ありがとう、でいいのかな?」

「ん、次もシバとデート……したい」

「本当っ!? それはありがとう、本当にありがとう!」

 空いてる日を聞かれた理由。話が繋がった瞬間でもあった。そしてリピーターを獲得した喜びは言葉に表せないほど。

 そんな喜びも束の間、腕時計の針は一九時を示す。恋人代行の終了時刻だ。

「シバ」

 姫乃もスマホで時間を確認していたのだろう。そんな一言を漏らす。龍馬も腕時計を見る動きを見せて一息。

 契約時間が終われば恋人の関係も終わる。口調も戻すことになり、支払いの義務が生じる。

「コホン……。それでは姫乃さん、一九時になりましたので代金の方を頂戴いたします」

「ん」

 その言葉に姫乃の反応は早かった。

 ハイブランドのロゴが入った黒エナメルの長財布を開け、すぐに渡してくる。小さな手に握られた一万円札を。

「ありがとうございます。三時間の代行となりますのでお釣りが四◯◯◯円ですね」

「違う。全部あげる」

「え? ぜ、全部……?」

「ん、これはシバの。取っておいて」

「えっと……」 

 龍馬が困惑するのも無理はない。今日の代行は三時間。

 このバイトの時給は二◯◯◯円。姫乃の支払い金額は六◯◯◯円だが、お釣りなしで受け取るように言っているのだ。

 お金は一銭でも多くほしい。その気持ちがあれど年下相手にはどうしても遠慮が前に出てしまう。

 しかし、これが恋人代行というバイト。雪也が言っていたこと。

『もっといえば依頼主にお小遣い的な追加報酬ももらえたりするらしい。金やらプレゼントやら』と。今回の四◯◯◯円は追加報酬に当たるわけである。

「遠慮しないで。姫乃、学生だけどお仕事してる。これは楽しませてくれたお礼」

「そ、その言葉信じるよ? 無理はしてない?」

「うん」

「じゃあ……ありがとう姫乃。お言葉に甘えさせてもらうね」

 通常金額以上のお金を出された驚きでデート時の口調に戻っていることに気づいていない龍馬、姫乃の手から一万円を受け取って頭を下げた。

「シバ、そろそろ姫乃は帰る」

「送らなくても大丈夫?」

「平気。もうお金も払った」

「わかった」

 ベンチから立ち上がった姫乃を見て、龍馬も立ち上がる。

 いよいよ別れの時。

「それじゃあ気をつけて帰ってね、姫乃」

「シバも。ばいばい」

「バイバイ」

 片手を振り、振り返されたことを確認した姫乃は口元を少しだけ上げて公園から去っていく。その小さな背中が見えなくなった瞬間、龍馬の仕事のスイッチはプチんと落とされる。

「はぁ~~……。めっちゃ疲れたぁぁ……」

 崩れるようにベンチにへたり込む龍馬は、月夜に光る空を見上げながら疲労を含んだ大息を吐く。足をだらしなく伸ばして困ぱいを露わにしていた。

「やっぱり金を稼ぐって楽じゃないよ……」

 デート中は口調から態度を偽っていた。今までずっと素を隠し続け、話題を探し、気を遣い、代行者としてふさわしく思われるように振る舞いにも気をつけていた。

「あぁ、疲れた……」

 楽しかったのは事実だが、それ以上に心身的な負担が襲いかかっていた龍馬だった。


 ****


 白の絨毯じゅうたんに薄ピンクのカーテンが下ろされた一室。

 茶色のL字型机には二◯インチ弱のデスクトップPCと一三インチのノートパソコン、ペンタブレットの三つ機械が置かれ、ピンクのゲーミングチェアが備えられている。

 壁の一面には縦一二五cmの本棚が二つ並び片方には小説、もう片方には漫画がびっしりと入れられている。その他にあるのは大きなシャチのぬいぐるみ置かれたシングルベッド、衣服が収納されているクローゼットである。

 この必要最低限のものしか置かれていないシンプルな部屋が、姫乃の仕事部屋兼寝室である。

「ふぅ……」

 お風呂上がりのこと。パジャマに着替えた姫乃はベッドに横になる。いつも使ってるシャチのぬいぐるみを抱いてスマホに触れる。

「あれが、デート……」

 姫乃は今日のことを忘れない。ううん、忘れられない。すごく楽しかったから……。

 もともと羨ましく思ってたカップル。でも、あんなデートができるってわかったらもっと羨ましくなった。もっと彼氏がほしくなった。

 姫乃はシバと撮ったツーショットの写真を見る。

 もう二、三枚写真を撮りたかったな……。そう思ったのはお風呂に入ってた時。やっぱりデートに慣れてないとこんな後悔をする。それでも、この写真があるから不満はなかった。

「変……なの」

 彼氏がいないのに、男の人とのツーショット写真を持ってる。こんなのをしたのも初めてだからすごく変な気分。

 まじまじとその写真を見てたら姫乃のスマホにツイットからの通知が届く。姫乃はこのツイットに仕事用のアカウントとプライベートのアカウントの二つを登録してる。仕事上の連絡かもしれないからすぐに確認を始める。

 その通知は仕事用のアカウントにはメールは届いていなかった。姫乃はプライベートのアカウントに切り替えてもう一度確認する。

 通知の相手はすぐにわかった。

『ひめのー! 今日のデートどうだったー?』

『お持ち帰りされてない!? いや、されてる!? されてるのか!』

「……」

 メールを送る時間を決めてたんだと思う。同じ時間にグループのダイレクトメッセージが二件。それはデート中に会った亜美と風子からだった。

『しつこい』

 それだけ送るとすぐに既読のマークがつく。

『お、返信きた! ねーひめのってばやっぱり彼氏いたんじゃん! ずっと秘密にするのよくないよ!? 結局、彼氏なしはウチだけってことだし!』

『アミどんまーい!』

『どんまいじゃないっての!』

 亜美と風子らしく最初から盛り上がってる。でも、本当は姫乃には彼氏がいないから会話に入りづらかった。

『あのさー、ひめのと別れてからずっとふーこと話してたんだけど、彼氏のりょうまさんめちゃめちゃカッコよくない!?』

『ね! 本当思ったー! スタイルもよかったしオシャレだしあれと付き合えてたら勝ち組だね』

『シバを狙うのはだめ』

 なんでこんなメール送ったのか姫乃はわからない……。でも、狙われてるって思ったらモヤモヤした。

『いやいや、ふーこじゃないんだから狙わないって! 親友の彼氏を取ろうとするとかどう考えてもヤバいし!』

『はぁー!? あたしだって狙わないんだけど! そもそもカレシいるんだから狙う以前の問題だし』

『ふーこはいちいちマウント取るな!』

『マウントじゃなくて事実なんだよーだ』

『へー! ならふーこが彼氏よりりょうまさんの方がカッコよかったとか言ってたのバラそうかなー』

『ちょ、それ反則! ケンカになっちゃうじゃん!』

 かっこいい。そんな文字はすぐ目に入る。

「亜美と風子も……本気で思ってたんだ」

 姫乃も思ってた。シバがかっこいいって。だから、最初はすごく緊張した。こんな人と今日はデートするんだって……。

 シバは気づいてたかな。手を繋いでた時、姫乃が女の人から嫉妬されてたこと。姫乃が女の人から睨まれたりしたこと。

 でも、シバの彼女をしてた姫乃はちょっと気分がよかった。

 代行者さんをシバにできてほんとに運がよかったと思う。シバとデートしてわかる。シバは人気の代行者さんだって。今日は偶然選べたんだって。

 木曜日と土曜日に代行ができないのは、もう固定で依頼をする人がいるからだと思う。

 姫乃以外ともデートしてる女の人がいるって思うと、それもモヤモヤする……。でも、シバとデートしたくなる気持ちは今日わかった。

『って、そろそろ真面目な話に戻すけど、龍馬さんレベルになると狙ったところで落とせないから安心してよ姫乃っち。アミもあたしも狙ったらいけるみたいな感じで話し進めてたけどまずそこからおかしいし』

『ウチならまだしもふーこならチャンスあるでしょ? その持ち前の勢いで今の彼氏だって落としたんだし』

『姫乃がいるところでする話じゃない』

 シバは姫乃の彼氏じゃないから怒らないけど、もしシバが彼氏だったら姫乃は怒ってる。好きな人を取るのは絶対だめ。取っていいのはフィクションの世界だけ。

『いや、あのレベルは本気のムリだから。あたしなんかが攻めたら逆にカウンターもらうって』

『ふーこが無理とかいうの珍しいじゃん。いつもなら余裕とかいうくせに』

『冗談でも余裕とか言えない相手なんだってー姫乃っちのカレシは。あたしがいうのもなんだけど、初対面なのにあの勢いに普通に対応してくるとかマジでおかしい! アミには言ってなかったけどあの時、軽くあしらわれたと思うし』

『え? それどういう意味?』

 シバの話で持ちきり。姫乃は少ししか返信してないけど既読を続ける。風子の言いたいことが気になってたから。

『確証はないんだけど龍馬さんってあたしの狙いに気づいてわざと乗ってきたんだと思うんだよねー』

『ごめんもう少し詳しく』

『だから! あたしが龍馬さんをからかって姫乃っちのことを大好きっていわせたやつだよ』

『ん? ますます意味がわからないんだけど』

『メールで伝えるの難しいなぁ。簡単に説明すると大好きって言わせたのあたしのおかげじゃないってこと! 龍馬さんがあたしを上手く利用しただけ! からかおうとしたのにレベルの違い見せられたのマジで悔しい。あれはバケモノの域いってる。今までやばいくらいモテてたタイプ』

『めっちゃ長文で送ってくるじゃん』

『それくらい悔しかったわけ!』

『あとまだ理解できてないんだけど、りょうまさんならふーこを利用しなくてもよくない? 化け物レベルなんだから一人で思い通りの展開に転がせるでしょ』

『アミはまだまだだなぁ。姫乃っちの印象を落とさないように、そしてデート時間を削られないようにするためにはあたしが適材だったわけ』

「ん?」

 亜美と一緒。姫乃も風子の言ってることがわからない。

 でも、『姫乃もわからない』って送るのはやめる。送らなくてもすぐに教えてくれるから。

『アミは思わなかった? 龍馬さんがきてから姫乃っちと別れるの早かったなーって』

『それを言われたら確かに早かったけど、デート中だったしひめのに言われたからじゃん? どっかいけーって』

『アミわかってるじゃん! それが答え!』

『いやいや、それがわからないんだって』

『龍馬さんはあたしが大好きって言わせたいことを察した→察したからわざとその流れに持っていきやすくしてあたしを調子づかせる→大姫乃っちに大好きっていう→姫乃っちが照れるのは計算済み→結果、姫乃っちがあたし達を追い出した。これを龍馬さんが一人で作ったってわけ』

『いやいやいやいや、それはどう考えてもありえないでしょ。行動から考えまで全部読んでるってことになるし』

『多分そうだよね姫乃っち? これは姫乃っちが一番わかると思うけど』

「……っ」

 促されて考える。風子の言ってることは間違ってないことかもしれない。だってシバは代行者さんだから。デートをするのがお仕事でプロの人だから……。

『そう、かも。可能性はある』

『ひめのまで!?』

『だよねー! 親友のあたし達にデートの邪魔だからとか文句言えば姫乃っちからの好感度が下がるかもだし、そのあと喧嘩するかもだし。そうなることを考えたら姫乃っちを動かす方がリスクもないだろうしね。プラスでデート時間まで確保できるし』

『なんか、ホントのことみたいに思えてきたんだけど』

『とりあえず姫乃っちは愛されてるよ、龍馬さんに。デートの時間を一秒でも伸ばしてくれたってこれ以上に羨ましいことしさ。あたしだったらみんなに自慢するレベルだし』

『風子、恥ずかしいこと言わないで』

 なんだか、デートの時みたいにまた顔が熱くなる……。

 シバが姫乃に教えてくれたのはほんとのことだったんだ。ぶらぶらしてお話しかできなかったったけど『姫乃とのデートが楽しい』って……。

『ぶっちゃけあたしのカレシは龍馬さんに完敗してるわー』

『はい出ました! それは雪也さんに報告しよーっと!』

『もういいよーだ! 負けてても大好きだしー!』

『あ、クソッ! またマウント! なにこの二人! もうこのリア充グループ抜けよっかな!』

『隙を見せる方が悪い』

『隙なんて見せてないじゃん!』

 そこからのメールを姫乃は見なかった。その代わり今日のことを深く思い出してた。

「……」

 シバの手。ゴツゴツしてて大きくて、安心した。最初は小指しか繋げなかったけど、最後には恋人繋ぎができた。

『手を繋ごう』って勇気を出してよかった。

 また……手、繋ぎたいな。

 なんだろう、不思議な感じがする。でも、いやな感じじゃない。ほわほわする。どんどん顔が緩んでる気がする。

 誰にも見られないのはわかってるけど、恥ずかしい……。姫乃はシャチのぬいぐるみに深く顔を埋める。

「なに……これ」

 彼氏がいる人ってみんなこんな気持ちなるのかな。

 今日のこと、ここまで引きずるなんて思わなかった。今度はいつシバに会おうかなって無意識に考えてた。

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