姫乃との初デート①

 時刻は一五時五一分。代行の依頼時間まで残り一◯分を切っていた。

 龍馬は白シャツのインナーに革ジャンを羽織り、黒のスキニージーンズに白のスニーカー、主張の激しくない銀のネックレスをつけ、緊張の面持ちのまま歩みを進めていた。

 カヤのアドバイスはしっかりと聞き入れ、白色を採用して清潔感のあるファッションを意識した龍馬だ。

 今回の集合場所はランニング場所としても有名な東公園の噴水前。

 会社からは一六時ぴったりに到着するようにとの指示を受けているだけでなく、依頼主の情報も伝達されている。

 名前は柏木かしわぎ姫乃ひめの。年齢は一九。身長は一四七センチ。銀の髪色に黒を基調としたワンピース、リボンのカチューシャを着用していると。

 龍馬が一番に驚いたことは依頼主の年齢が一九歳であったこと。二十代から三十代を相手にするだろうと思っていたばかりに会社からのメールを数十回と見返したほど。ようやく状況を理解すれば『ませてそう……』なんて失礼な感想を抱いてしまっていたが、代行目前になればその件すら頭の中には入ってこない。いや、その件を考えられるほどの余裕がなかったのだ。

「……」

 表情を硬くしながらカヤから受けたアドバイスを脳裏で反復させながら東公園に入っていく。

 ここから噴水前までは一◯◯メートルほど。集合場所に到着までの間にスマホを内カメラにして容姿に乱れがないか最終確認をする。

「よし……」

 大学時の容姿とは違い、コンタクトを通した視界からはワックスとスプレーでセットした髪に乱れは見られなかった。そうして噴水前に到着した時刻が一五時五四分。

 予定よりも少し前に着いた龍馬は遠目から一人の女の子を視界に入れていた。

 その女の子は噴水前のベンチにポツンと座り、黒のワンピース姿でスマホをいじっていた。情報通りの服装で銀髪の頭には黒のリボンカチューシャがつけられ白のストッキングを履いている。会社からの情報通りあの女の子こそ依頼主の柏木姫乃である。

 女の子を全開に出した服装。そんな姫乃の横顔を見た瞬間に龍馬は感じた。――初めての代行にして大当たりを引いたと。

 顔は幼いが色素の薄い白の肌。細い眉にかかった長さでぱっつんに切った銀髪。長いまつ毛に紫色の大きな瞳。彼氏がいない方が信じられないほど。

 『レベルが違う』と即判断してしまうほどの相手に生唾を飲み込む龍馬。心臓は破裂しそうなほどに激しく鼓動し息苦しさを感じる。

 差を感じれば感じるだけ『役得だ』なんて言葉も『嬉しい』だなんて感情も湧き上がらない。

『こんな女の子とデートって立場悪すぎる……』『むしろ罰ゲームだよこれ……』と思ってしまうのが不思議なところだろう。

 立ち尽くすほどの不安に包まれる龍馬は今すぐにでも現実逃避をしたくなる。打ちひしがれるように目元に手を当てたその矢先――タンッ。

「ん?」

 なにかが地面に落ちたようなそんな軽い音が龍馬の耳に届いたのだ。無意識に音の根源に目を向ければ、原因をすぐに見つけた。

 依頼主、姫乃が両手に持っていたスマホを落としたのだと。

 なにごともなくスマホを拾い上げた姫乃だが、そこからは様子は打って変わっていた。

「え……」

 小さな肩を縮こませると首をキョロキョロと動かしたり、もじもじと体を動かしたり、両手で?を触ったりしている。

 集合時間である一六時に近づけば近づくだけ挙動のおかしさが増しているのだ。

「ぷっ」

 こうして吹き出してしまうのは大変失礼だが、緊張が取れたからこそ笑うという感情が前に出る。

 態度に出るほど相手も強く緊張している。それがわかっただけで肩の重荷が取れた気分だったのだ。

「そろそろ……か」

 大きく息を吸いこみ、吐く。深呼吸をすること三回。腕時計が記す時刻は予約された一六時になる。

「よし、いくよ」

 独り言で気合いを入れ、今着いたことを装うようにして噴水前のベンチ、姫乃の元に近づいていく。

 距離が縮まったところで小さく咳払い。その後、親しみやすさを感じ取ってもらえるように明るさ意識して声をかけた。

「すみません。柏木姫乃さん……で合っていますでしょうか?」

「っ!!」

 スマホをいじっていた姫乃はいきなり声をかけられたことで肩をビクつかせた。透き通った紫色の瞳を見開いて龍馬に視線を送ってくる。

 近くで見れば見るだけ見惚れてしまいそうなるほどに整った小顔。庇護欲が湧き出るくらいの可愛らしさがある。

「あ、は、はい。……姫乃、です。あなたが……シバさん?」

 ボソボソと小さな声だが、澄みきった綺麗な声色がスッと耳に入ってくる。

「はい、初めまして。私、斯波しば龍馬りょうまと申します。この度は代行のご利用いただきありがとうございます。よろしくお願いいたします」

「ん、よ、よろしく……おねがいします」

 チョコレート色のぺたんこ靴を地面につけて姫乃はゆっくり立ち上がる。二人の身長差は二◯センチ以上あるだろう、見上げるような形になってしまう分、自然と上目遣いになる姫乃である。

「それで……えっと、まずは口調をお変えした方がよろしいですよね? このままでは姫乃さんが接しにくいと存じまして」

「ん。口調、崩してほしい」

「で、では…………う、うん。こんな感じでいいかな?」

 これは恋人の代行。距離を感じるからと堅苦しい口調を嫌がる依頼主は多く、代行者側から先にこの件を促すのが暗黙のルールとなっている。

 初対面の相手にフランクな口調を使うのはなかなかに勇気のいることだが、仕事として割り切らなければならない。龍馬は口角を意識的に上げ、なんとか自然な笑顔を浮かべる。慣れないことばかりで神経をすり減らしているが、このバイトを成功させたあかつきには報酬として大金をもらうことができる。龍馬にとって意地になるのは当然。

「すごい」

「え?」

「距離縮めるの、すごいと思った」

「あ、あはは。それはどうも。不快だったらいつでも教えてね。要望にはできるだけ答えるから」

「ん、大丈夫。……それがいい」

「ありがとう。それじゃあこのままでいかせてもらうね」

 寡黙で表情もあまり変えない。そんな独特な個性を持つ姫乃だが少ない言葉で気持ちを伝えてくれる。特段扱いにくくはないと感じる龍馬である。

「えっと、それで……姫乃さん」

 そんな龍馬が今日の行き先を聞こうとした最中、最初の壁にぶち当たることになる。

「……姫乃のことは姫乃って呼んで」

「ん!?」

 突として難易度の高い要求をしてくる姫乃だが、おかしなことはなにも言っていないのが現状。恋人の雰囲気を感じられるよう呼び捨ては当然ように行われるのだから。

「どうしたの?」

「あぁ、ごめん。なんでもないなんでもない」

「なら、姫乃って呼んで」

 今一番にしてほしくない追撃。それでもお金をもらうためにはこちらが合わせるしかない。

 姫乃のまるっこい瞳を見る龍馬は勇気を振り絞って口を開いた。

「ひ、姫乃。……でいいかな?」

「ん……。姫乃はシバって呼ぶ」

「あ、あれ? 俺のことは名前呼びじゃないんだ?」

「……」

「ど、どうかしたの?」

 その疑問に対し無言になった姫乃に冷たい汗をかく龍馬。なにか気に障ったことを言ってしまったのではないかと不安になるがそれは杞憂だった。

「名前で呼ぶの、姫乃は恥ずかしい……から」

「そ、そっか。それなら仕方がないね」

「だからシバだけ、呼んで」

「わかった。じゃあそうするよ」

 視線を外して顔をほんのり赤らめる姫乃に快諾する龍馬だが、内心は荒れていた。

『俺も恥ずかしいんだよ!? ずるいよ!』と。しかし姫乃は今回の依頼主、文句をいう権限はこちらにない。

「今日は、イヨンにいく」

「イヨンっていうとバイキングが目の前にあるところだよね?」

「そう」

「了解。それじゃあ時間ももったいないしそろそろいこっか」

「ん、いこ」

 代行には慣れている風に接した方が姫乃も安心するだろうと個人的見解をする龍馬はどうにかこうにかスムーズに話を進められていた。

 安堵の思いを浮かべながら姫乃と共に歩き出そうとしたその時、またしても要望が出されることにある。

「シバ……はい」

 唐突に姫乃が名を呼び――龍馬が首を動かせば目に入れることになる。差し出された雪色の小指を。

「小指……?」

「いきなり手を繋ぐの恥ずかしい……から、まずは小指を繋ぐ」

「あ、会っていきなりだけど姫乃は大丈夫?」

 こうして聞き返してしまうあたり龍馬は不慣れさを大いに出したも同義。慣れた代行者ならこうした許可を取ることもなく小指を握っていることだろう。しかし、姫乃は今回の利用が初めてなのだ。このような確認は当たり前にされることだと勘違いをしたのが救いである。

「だ、大丈夫」

 そして自ら要求したことでも確認をされたら羞恥に襲われるもの。特に姫乃は今までに彼氏を作った経験もないのだから。

 耳まで真っ赤にぎこちない声を出しながら顔を伏せるも小指を直したりはしなかった。

 恋人という体験を満喫するためには当然の行動。依頼者として今日はどうしても手を繋ぎたい姫乃だったのだ。

「そ、そっか。そう言ってくれると嬉しいよ。じゃあ繋ぐね?」

「……ん」

 そのセリフを最後に龍馬は差し出された小指を優しく繋いだ。姫乃の指はしっとりと柔らかい感触。この気温に当てられたのかひんやりと冷えてもいた。

「ぁぅ……、あ、ありがとう……」

「いやいや、お礼をいう必要はないよ。それじゃこのままイヨンに向かおっか」

「いこ……」

 手を繋いですぐのこと、姫乃が硬くなったことを見抜いた龍馬はリードするように動いた。すぐにその思考に切り替えられたのは代行者として合格だろう。仕事のスイッチを早速入れた龍馬はカヤとのアドバイスをどこで活かそうか考えていた。

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