プロローグ③

 恋人代行サービス会社、ファルファーレの利用目的は名の通りに一貫している。引っ越しの手伝いや、コンパのパーティーの数合わせなどには対応しておらず、サービスの用途はデートただ一つ。異性と関わり合いたい、デートをしたい相手にサービスに提供している会社だ。

 もちろん、恋人代行をする際には依頼主にも代行者にもルールが定められている。

 依頼主に対するルールが大きくわけて三つ。

 始めに指定した時間に遅れないこと。事情により遅れる場合には必ず会社に連絡を入れること。

 次にデート費用は全額負担をすること。

 最後に依頼主は代行者の手を繋ぐ、または腕を組む以外の過剰な接触はしてはならないこと。


 代行者側に対してのルールも依頼主と同様に三つ。

 必ず時間の指定に必ず遅れないこと。恋人の代行者側であるためこれは厳守とされている。

 ツーショットの写真の保存や連絡先の交換は禁止。特殊なサービスを提供しているだけにさまざまなトラブルが起きる原因を減らすためである。 

 代行者は依頼主のことは異性としての好意を抱いてはならないということ。恋人の代行なのに? と、矛盾している点ではあるが、これは仕事の一環として括られていること。言葉を悪くすれば好意があるような演技をしろとの意味合いがある。

 代行者の使命は依頼主を楽しませること。楽しませることでまた指名したいとリピーターがつく。結果、お金をたくさん稼ぐことができる仕組みになっていた。


 ****


 ガチャ――ドン。聞き慣れた玄関の開閉音が響き、リビングに足音が近づいてくる。

 その人物は龍馬が一番に知っている相手。

「ふぅ~」

「おかえりカヤ姉。仕事お疲れさま」

「ただいま。リョウマも大学お疲れさま」

「今日寒くなかった? 俺が帰ってくる時にはもう肌寒かったから」

「普通に寒い! 今日は一段と風が冷えてたよ」 

 時計の長針と短針が数字の『七』に重なった時間、一九時四◯分。

 十一月の気温に当てられた龍馬の姉、カヤは冷えているだろう手をさすりながらリビングに入ってきた。当然ながら代行の件は秘密にしている龍馬である。

「今日はカヤ姉が好きなカレー作ってるから元気出してよ。お鍋いっぱいに作ってるよ」

「本当!? それは嬉しいことしてくれるねぇ!」

「でもまだ作り終えてないから先にお風呂に入ってきてほしいな。上がってくる頃にはちょうど完成してるだろうから」

「了解! でも別に急がなくていいからね? 慌てた拍子に怪我でもしたら大変だから」

「心配ありがとう」

 両親がいない暮らしにはもう慣れている。

 龍馬が二◯歳でカヤが二四歳。お互いが成人を迎えていることもあり、喧嘩をすることもなく落ち着いた関係を築けている。

「お風呂は貯めてあるからゆっくり入ってきてね。ラベンダーの入浴剤も置いてるから」

「あいっかわらず気が利くねぇ。さすがはアタシの弟! じゃあお言葉に甘えて堪能してくるよ」

「いってらっしゃーい」

 仕事用のカバンをソファーの上に置いたカヤはバタバタと足音を響かせて風呂場に向かっていった。浴槽に張った熱々の風呂が大好きなカヤは少しでも冷めないように時間短縮しているのである。

「やっぱり凄いな……カヤ姉は」

 カレーをかき混ぜながら一人になったリビングで龍馬は独り言を呟いていた。

 龍馬にとってカヤは目標にしている人物であり、尊敬する人物。

 カヤの勤めている企業は朝九時からの出勤で残業も少なくはない。時には二二時前後の帰宅にもなることもある。

 疲労が溜まっているのは間違いないのだが、それを顔や態度に出したことは一度も見せたことはない。仕事に対して嫌なことや不満があるだろうが、家で愚痴をこぼしたりすることもないのだ。

 表情も声色もいつも通りに『今日も頑張った~!』なんて明るく振る舞い、ネガティブな言葉を出さないことで龍馬を心配させないようにしている。一生懸命に働いたお金は龍馬の学費と二人の生活費に回してくれている。 

 そんな頭の上がらないカヤに対し、料理、洗濯、掃除。家事の負担をかけさせないようにサポートしているがそれでもまだ足りないと感じている。

「俺も頑張らないとな……」

 なにを頑張るのか、一番はお金を貯めること。

 今の稼ぎ口は書店。そして五日後に迫る恋人代行のバイト。金額のことだけを考えたのなら優先順位は短時間で高収入を稼げるのが後者になる。直接の収入に関わってくるために失敗は絶対に許されない仕事。

 どうすればリピーターをつけることができるのか、全ては気に入られるために料理の味付けをしながら考えていた。


「え? 異性から好意を持ってもらう方法?」

「そ、そうなんだよね。いきなりなんだけどアドバイスがあれば教えてほしくて……」

 夕食のカレーライスを食べ終えたあとのこと、龍馬はこんな質問をカヤに投げかけていた。

 今の今までずっと熟考していた龍馬であるが、情けないことにいい案は全く浮かばなかった。ような話題を血の繋がりがあるカヤに聞くのは恥ずかしいばかりである……が、聞かざる負えないほどの危機感に襲われているのだ。

 龍馬にとって初めての恋人代行のバイト。一般的なバイトとは違い職場の先輩に指示を受けるわけでもなく、なにかを教えられることもなく、全て一人で考え行動に移さなければならない。

 不安を拭い、安心を獲得するには恥を捨てる以外になかったのだ。

「えっと本当にどうしたのよリョウマは。もしかして好きな人でもできた?」

「……う、うん。そうなんだよ」

 苦笑いを作りながらぎごちない返事をする。『好きな人がいる』なんてのは真っ赤な嘘。全ての目的は恋人代行のバイトでリピーターをつけるため。女性のことは女性が一番わかること。龍馬からして身近に相談できるのはカヤしかいなかったのだ。

「ははぁん、そっかそっか。アタシに恋の悩みをしてくるだなんてかなり本気なんだ?」

「は、恥ずかしいんだけど……ね? あはは……」

 世の中、二十歳の弟が姉に恋愛相談をすることはなかなかに珍しいだろう。こんなアドバイスを求めるのも今日が初なのだ。

「別に教えないこともないけど常識的なことしか教えられないよ?」

「ありがとう、それで十分だよ。じゃあさっそく教えてもらえる?」

 龍馬はポケットからスマホを取り出し、すぐにメモアプリを起動させる。

「え? まさかのメモ取るの?」

「うん。聞くだけじゃ吸収できないから」

「必死じゃん。目もガチだし」

「本気にならないと結果はついてこないから」

「いうねぇ。確かにその通りだ」

 恋愛に対してここまで本気になるのは不思議ではないだろうが、その中でも龍馬は特殊な部類に入っているだろう。龍馬は代行で依頼主に気に入ってもらうために真剣に聞こうとしているのだから。恋愛感情とは全くの別ものであり、リピーターをつけてお金を稼ぐ。ただそれだけ視野に入れていない。

「それじゃ、異性から好意を得る方法を簡単に挙げていくけど……」

「うん」

「褒められるところは褒める。服装や髪型の変化に気づく。他には……そうだね、見返りを求めない小さな親切とかも大事かな。仕事終わりにコーヒーをどうぞくらいの」

「ちょ、いうの早いよ! もう少しゆっくりお願い」

 早口でまくし立てるカヤ。今のところでメモを取れたのは、『褒められるところは褒める』と『服装や髪型の変化に気づく』だけ。

「だから、カリギュラ効果とかザイオンス効果とか認知的不調理論、類似性の法則、吊り橋効果――」

「さっきと言ってること全部変わってるけど!? なにその難しい言葉!」

 一応、今カヤが述べたことは好意を掴むための心理学的なもの。

 もしこれを全て説明できたのなら『お前はなんなんだ!?』と必ずツッコミをいれられることは間違いないだろう。

「リョウマ、女性から好意を得る方法なんて三つ四つが分かっていればいいのよ。コレを強調させたかったからさっきいろいろ言ったわけだけど」

「えっ? 三つ四つでいいの……? もっとたくさんありそうだけど」

「アタシがいうのもなんだけど女性ってのはめんどくさい生き物なのよ。好意を持ってもらう方法なんて細かなところを挙げたらキリがないわけ。だからみんなこういうでしょ、女心を理解しろって」

「あぁ……それはいうかも」

「それは説明したところで男性が飲み込めないくらいの情報量があるから。だからみんな『女心を理解しろ』の一言で終わらせるのよ。実際にはしてほしいのに説明するのはめんどくさいとか、説明する気になれないとかそんな理由でね」

 女性のカヤがいうからだろうか、説得力の塊をぶつけられているようである。

「アタシの感覚的にはさっきも言った二つ、褒められるところは褒めると服装や髪型の変化に気付く。あとは清潔感を出して空気を読んだ話題を振ってあげれば普通にイケるかな。男は単純っていうけど、女も似たようなとこはあるからまずはそこを意識して頑張ればいいと思う。それができたらまた追加で教えてあげるから」

「わ、わかった。ありがとう」

 最初にメモを取った『褒められるところは褒める』と『服装や髪型の変化に気付く』の他に、『清潔感を作る』と『空気を読んで話題提供』を追加した龍馬。カヤの言葉を信じてまずはこの四点を目標にする。

「まぁ、自分の持つ特技をどこで見せて落としにかかるのかが一番重要なんだけどね。リョウマの場合は相手と親密になってからじゃないと使うことができないけどその家事スキルを見せるのが一番強いから……んーそうだね、相手さんが風邪で寝込んでる時に白身魚のおかゆを作って看病でもすればイケるだろうね」

「え? なんで白身魚のおかゆって断定なの? 卵のおかゆの方が作り勝手がいいと思うんだけど」

 こう聞いてしまう辺り龍馬はまだまだ未熟である。カヤが白身魚をチョイスするのにはちゃんとした理由があるのだ。

「手間暇かけて相手を気遣う。コレを見せるのよ。卵のおかゆだったらパカってして終わりだけど、魚だったら小骨を取る手間が入るでしょ? ここで大事なのは抜いた骨はゴミ箱に入れずにあえて三角コーナーの中に入れておくこと」

「それだと相手に労力をかけさせるって。相手は風邪引いてるんだから放置しないでゴミ箱にちゃんと捨てないと」

「確実に好感度を上げるなら仕方がないことなのよ。台所って必ず目に入れる場所だから小骨を取ってくれたことに必ず気づくでしょ?」

「あっ」

「そうそう。つまり相手はこう思うのよ。『風邪を引いてるアタシのために一生懸命小骨を取ってくれたんだ。食べやすくなるように気を遣ってくれたんだ』ってね」

「い、いくらなんでも策士すぎじゃないそれ!?」

「恋愛ってのは知識戦なのよ。知識があればあるほど好感度を上げられるし、相手がウブなだけ効くし。風邪なら特に狙い目。弱ってる時に感じる優しさは言葉にできないくらいに強力だからね」

「もう単純に怖いんだけど……」

 計画的に好意を抱かせる方法。『怖い』なんて口にする龍馬だが、お金を稼ぐには一番必要な術。

「もう一つ、靴のプレゼントしようと考えた時はまずボウリングセンターに連れていくことかな。これはすぐにでも使えるから覚えてた方がいいよ」

「もう意味がわからないけどなんでボウリングなの?」

「まずボウリングシューズをレンタルをする時にある程度の足のサイズがわかるでしょ? そこから自然に『足小さいねー、サイズどのくらい?』とかいえば簡単に情報聞き出せるから」

「っ!?」

「それ以外で靴のサイズの話題を出したらプレゼントされるんだろうなって察すし、そうなったらもらう時の嬉しさも半減するでしょ? 中身がある程度わかってるわけだから。反応に気を遣わせた時点でそれはもう失格」

「……」

 龍馬はこの瞬間に思い知る。恋愛の奥深さを。

「カヤ姉……。カヤ姉は今までどんな恋愛経験してきたの?」

「アタシ? それは内緒。とりあえずリョウマはリョウマなりに頑張りなさいな。アタシレベルになるとこうした知識を使ってある程度の男は簡単に落とせるから」

「…………」

 簡単に言ってのけるカヤに絶句である。口を半開きにさせながらもこの情報もしっかりとメモに追加する。

 そうして濃密な時間を過ごすことができた龍馬は、依頼日である土曜日まで必死に復習を繰り返していたのだった。

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