第50話

「あゆむー!」


 我慢できなかった千代があゆむに駆け寄り、飛びつき抱きしめた。

 あゆむはふらつきながらも体を支え、勝利を喜ぶ笑顔を支えた。


「ち、千代ちゃん」

「もう! 無理するんだから!」

「お疲れ様でした」


 千代のうしろから、風花がタオルを差し出した。


「あ、ありがとうございます」


 どこか羨ましそうな視線に戸惑いつつ、あゆむは受け取ったタオルで流れる汗と血を拭った。


「おーい、生きてる?」


 一方、信一のもとには忠と義雄が向かい、仰向けにした信一の頬を叩いている。


「……負けたんだな」


 目を覚ました信一は、体の痛みと幼馴染の顔ですべてを察した。


「うん、負けたね」

「お前らしくな」


 二人は笑顔を向けると、傷ついた体を起こし支えた。


「大野くん」


 立ち上がった信一に、こちらも千代に支えられたあゆむが声をかけた。


「……勝ったのに、なんてツラしてんだ。もっと堂々としてくれよ」


 信一の体を心配するあゆむの表情に、信一は苦笑した。


「なんだよ、本気で闘えたんだ。これでも楽しかったんだぜ? お前はどうなんだよ」

「……うん。僕も楽しかった。初めて、自分の意思でこの体を活かせたんだと思う。ありがとう」


 笑いながら、右手を差し出すあゆむ。


「俺こそ、ありがとうな。んで……これからもよろしくな、あゆむ」

「うん、うん! 僕のほうこそ! よろしく、信一!」


 晴れ晴れとした笑顔で、二人は力強い握手を交わした。


「はーい! それじゃあ、怪我人はこっち来なさい。ちゃちゃっと手当てするわよ。風花、お願い!」

「はい。野山さん、お手伝いお願いできますか?」

「は、はい! もちろんです!」


 指名を受けた千代は、なぜかうれしそうに敬礼した。


「あんたたちは、その間私といっしょに道場の片づけよ!」

「「えー!」」


 指名を受けた忠と義雄は、明らかに不満を口にした。


「……文句、あるの?」


 睨みと怪しい笑顔、そして鍛え抜かれた肉体を強調した伊織が、異様な迫力で凄んだ。


「い、いえ……」

「モップ取ってきます」


 一転して従順になった二人は信一を風花に任せ、伊織の指示に従った。


 あゆむたちの手当てと片づけが終わると、信一たちは伊織と風花に頭を下げた。


「ありがとうございました! その、無茶言ったり生意気言ってすいませんでした!」

「あら、素直になれるじゃない。いいのよ、諸々の出来事も私たちなりに申し訳ないと思ってたし。これで貸し借りなしよ?」

「「「はい!」」」


 運動部のような威勢のいい返事が、だれもいない道場に響き渡る。


「さ、じゃあ行きましょうか!」

「え、どこにですか?」


 あゆむがきょとんとして言った。


「なに言ってんの? 忘年会でしょ!」

「え! あれ本当だったの?」


 千代がうさぎの耳をピンとさせて驚いた。


「え、マジだったんすか?」


 驚いているのは信一たちも同じで、三人とも目を丸くしている。


「準備だって完璧よ! ね、風花!」

「はい。駅前の、焼き肉食べ放題のお店を七人で予約しています。ちゃんとスイーツもありますよ、野山さんっ」


 うれしそうな目で、風花が千代の親指を立てた。


「おお! マジっすか!」

「よっしゃ、血が足りねぇんだ。食べるぞ、あゆむ!」

「う、うん! 楽しみだね、千代ちゃん」

「うん! お肉は任せるから、スイーツは任せてね!」

「な、なぁ。ちょっといいか?」


 テンションの上がる一行の中で、なぜか義雄だけが浮かない顔をしていた。


「どうしたの? あ、もしかしてお肉苦手な虎さんだった?」

「あのよ、早乙女……オレもお前のこと、あゆむって呼んでいいか? その、オレのことも義雄って呼んでいいからよ」


 強面の義雄がもじもじする姿している。

 どうしても拭えないギャップがおかしく、全員吹き出してしまった。

「あっははははは! な、なによ、かわいいとこあるのね、あんた!」

「ふっふふふ」

「ご、ごめんね。これは笑っちゃう」

「そ、そうだね。おれも、あゆむきゅんって呼んでるもんね。じゃあ、おれも忠でいいよ……って、なんか黙ってると思ったらそんなこと。ぷっくくく」

「あははははは! や、やめてくれ、全身痛ぇんだから!」

「も、もちろん、好きに呼んでくれていいよ。三人みんな、僕の友達なんだから。改めてよろしくね、忠、義雄」


 思い思いの笑いを受けながら、義雄はあゆむの言葉に喜んだ。

 忠も照れ隠しのように義雄をいじり、その様子を見ていた信一の胸にもうれしさがこみ上げた。


「さ、行くわよぉ!」

「「「「「「おー!」」」」」」

「ちなみにハイエナくんたちは割り勘だからね」

「「「マジかよ!」」」


 体中の痛みや、心にあったしこりもすべて消えていく。


 あゆむの心と体にはこのとき、この場所で、友達と過ごす楽しさに満ちていた。

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