第47話

動森高校の敷地は広く、所有する施設の数も多い。

 運動場とは別に設けられた野球部専用グラウンドや、一般にも開放された図書館、レストラン顔負けの食堂など通常の高等学校とは比べものにならない施設が揃っている。そこに通う生徒にとっては、さながら非日常の世界のようで、入学当初のあゆむなどは毎朝別の町に来たかのような気持ちでいた。


 毎日にぎやかな校内は、この日は冬のひやりとする静けさを孕んでいる。

 積もった雪に足跡はなく、見慣れた景色は輝く白で染められていた。


「いろいろ聞きたいことがあるでしょうが、まずは今日のことには私たち生徒会……もとい、会長と私が一枚噛んでいます。会長権限で、今日は校内を貸し切りにしています」

 柔らかい雪を踏みしめながら、風花が話し始めた。

「やっぱり。でも、なんでですか? 目的は? もう、あゆむは危険じゃないって証明されたんじゃないんですか?」


 千代が捲し立てるように言った。


「目的はまだ言えませんが、今回は早乙女くんを危険視したり、一方的に危害を加えるようなことはありません。そうですね……私の役割や笑えないメッセージなどの計画は会長がしましたが、今回はあのハイエナくんたちに協力しているだけだと聞いています」


 あゆむは目を丸くした。

 忠から千代に連絡があったことから、信一たちが関わっていることは想像していた。風花の姿を見たときに、あくまで伊織に協力している立場だと思っていた。

 だが事実は逆で、信一たちが伊織に協力を持ちかけ、なにかをしている。意外な真実に、あゆむと千代の頭に大量の疑問符が浮かんだ。


「なんで大野くんたちが?」

「それは私から話すことはできません。でも、すべてを知ったら野山さんは私と同じことを思うんじゃないかと思いますよ。男ってバカだなって」


 風花は白いため息をついた。


「それがなぜかっていうのも、教えてもらえないんですよね」

「そうですね。でも、すぐにわかりますよ。着きましたから」


 風花の案内でたどり着いたのは、敷地の東側にある第一武道場だった。


「ここ、ですか?」

「はい。どうぞ中へ」


 促されるまま、二人は扉を開けた。


「ようこそ! 待ってたわ、二人とも!」


 やたらとテンションの高い伊織が、孔雀の羽を広げて出迎えた。

 そして、うしろには忠と義雄が立っており、道場の中央では信一が正座をしている。

 全員制服を着ており、私服のあゆむと千代はどことなく居心地の悪さを感じた。


「あの、説明していただけますか?」


 靴を脱ぎ、道場の冷えた床板を踏んだあゆむが、真剣な顔で言った。

 伊織のテンションに誤魔化されそうになったが、神妙な面持ちの三人を無視することはできない。


「そうね、じゃあ」

「俺がする」


 信一が立ち上がり、あゆむを真っ直ぐ見つめた。


「悪いな、騙すようなマネして」

「うん……」


 いつもとは違うぴりぴりとした空気を纏う信一に、あゆむはゴリラになる前を思い出していた。


「ここに来てもらったのは他でもねぇ。早乙女、俺と決闘してくれ!」


 拳を握りしめた信一の声が、道場にこだました。


「え、ちょっと、意味がわからないよ!」

「そうよ。なんで大野くんが、あゆむと闘うわけ?」


 あゆむと千代は驚きながら、突然のことに疑問を投げかけた。


「それは……お前と、本当のダチでいたいからだ」

「……どういうこと?」


 あゆむは信一の言っている意味がわからなかった。

 あゆむは今まで、信一たちに何度も友情を感じてきたし、心を許せる友達だと思っていた。だが、信一の言葉にそれは自分だけだったのかと、悲しさを感じた。


「俺は、お前のことをマジですごいやつだと思ってる。ゴリラの強さもそうだが、野山を助けるために一人で乗りこんできたこともすげぇと思ったし、だれかのために戦えるお前を尊敬してる」


 真っ直ぐ語る信一に、あゆむは少しだけ照れ臭さを感じた。


「そんなお前と比べてよ、俺は……俺たちは糞みてぇな雑魚なんだとよ。今じゃ町中の笑いもん、卑怯者だ」


 まるで自分をあざ笑うかのように、信一は言った。


「そんなことないよ!」


 あゆむは思わず声を上げた。


 ミミたちに騙されたとき、信一たちに本当の友情を教えてもらった。

 生徒会に襲われたとき、信一たちが来てくれたから正気に戻ることができた。

 信一たちをいらないと思ったことなど、一度もない。


「大野くんたちに僕は助けられたよ! きみたちがいなかったら、僕は」

「いいや。お前なら遅かれ早かれ、ひとりでなんとかしてたはずなんだ。それができる力を持ってるんだよ。少なくともよ、お前のことを知った連中はそう思ってる。なのに、俺たちが出しゃばって、余計なことをしてる。考えてみれば、そう言われても納得することばかりだぜ」

「そんなことないよ! 僕は」

「そういうとこがムカつくんだよ!」


 あゆむの叫びをかき消すように、信一が吠えた。


「助けるつもりで行って、力の差を見せつけられるのがどれだけ辛いかわかるか? そこの変態相手に、何度も立ち向かってたのはどこのどいつだ!」


 伊織を指さした信一の顔は、泣きそうな悔しさに染まっていた。


「強いくせに、力があるのに弱いマネすんなよ! お前に持ち上げられる度に、自分が情けなくなってくるんだよ。周りの連中とお前の言葉の差があり過ぎて、気を遣われてるみたいでみじめになるっ」

「そんなつもりは……」


 あゆむはショックでうつむき、信一は荒い息を整えた。


「でも、俺はお前に負けてるなんて思ってねぇ」


 あゆむを見つめる信一の目に、静かに敵意が宿る。


「お前が強いのは認める。俺じゃできないようなこともできる。でも、俺がお前に劣るとは思わねぇ。周りの奴らに好き勝手言われるのも我慢ならねぇ! お前とこれからもダチでいるためには、このままじゃダメなんだ。お前に、俺たちを馬鹿にする連中に、俺たちの強さを見せてやる! 頼む、早乙女。俺と闘ってくれ!」


 あゆむは信一の目を見ることができなかった。

 恐怖と戸惑いが、あゆむの中で渦巻いていた。

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