第41話

「……あん?」


 奇襲を受けた伊織の足下に、折れたモップが転がった。

 木片で傷がつき、左の瞼からは血が流れいる。

 しかし、ダメージを意に介さず、伊織は男子生徒を睨んだ。


 その眼光は重く冷たく、先程あゆむたちに向けていたものとはまるで別物だった。


「うぐうっ!」


 そして素早く胸ぐらを掴み、軽々と持ち上げ身動きを封じた。


「なんなの? あんた。あたしの顔に傷つけて、生きて帰れると思ってないわよね?」

「ぼ、ぼくは、あゆむくんの、運命の男だ!」


 足をバタつかせながら、男子生徒は伊織を睨んだ。


「……あぁ、あの子が言ってたストーカーって、あんたのことね」


 伊織は自分の言葉に納得したように頷いた。


「ス、ストーカーじゃない! ぼくは、あゆむくんの」

「風花、こいつのことわかる?」


 男子生徒の反論など聞く耳を持たず、伊織は後ろに控えた風花に聞いた。


「はい。野山さんたちと同じクラスの轟博とどろきひろし。ヒキガエルのアニマで、伸縮自在の舌と横に大きな口。それと、指先が吸盤のように張り付く変異をしています。中学時代に後輩の男子生徒へのセクハラやストーキングで、厳重注意を受けた過去があります。現在も早乙女くんに対して、その舌と指を使って物を盗んだりしているようですね。今日も、体育のとき早乙女くんが脱いだ制服に、なにかしていたみたいです。知りたくもありませんが」


 風花の淡々とした説明に、博の顔はみるみる青くなっていく。


「な、なんでそんなことを」

「生徒会には、過去に問題のあった生徒の情報はすべて入ってくるんです。あなたも要注意人物として、マークしていたんですよ」


 風花は片手で制される博の姿に、軽くため息をついた。


「飛んで火にいる夏の虫ってやつね。急に襲ってくるなんて、いい度胸じゃない」

「う、うるさい! あゆむくんは、アニマが来る前から気になっていたんだ! ずっと見守っていたのに、あゆむくんは全然気づいてくれなかった。せっかくアニマが来て、いっしょの話題ができたと思ったのに、あんなビッチや不良と仲良くしちゃって……もう、我慢できなくなったんだ!」


 千代をビッチ呼ばわりしたことで、風花の目つきも鋭くなった。


「お前らもラブレターなんて送って、あゆむくんを弄びやがって! それどころか、あんなに傷つけやがって! ずっと見てたんだからな! 生徒会がなんだ! 許さないぞ! ぼくの愛を思い知れ! 離せ!」


 博が伊織の顔に唾を撒き散らしながら、裏返った声で叫び続けた。


「少なくとも、その気持ちはあゆむくんには伝わってなかったわよ。むしろ、気味悪がってたと思うんだけど?」

「それは周りのやつらのせいだ! ぼくの愛を邪魔をするから!」


 博の抵抗に動じることなく、伊織の手は一切緩まない。


「愛ですって?」


 伊織の声が太く低く、重みを増した。


「相手の気持ちを無視して、傷つけることのどこが愛じゃ! そんなもんただの欲望よ! 自分の行動で相手がどう思うか、なにを感じるか。それを考えて、喜ぶことをするのが愛ってもんでしょ! そうじゃないなら、風花みたいに嫌われるのも覚悟したうえで行動して、初めて愛になるのよ!」


 伊織の怒号が、博にゼロ距離で浴びせられる。


「ぼ、ぼくとあゆむくんは運命の糸で」

「歯ぁ食いしばれ」


 伊織の右腕の筋肉がみるみる盛り上がり、頑強な拳が握られた。


「へぶう!」


 殴られた博は意識を失い、胸ぐらを掴まれたまま伊織の腕にぶら下がった。


「お疲れ様でした。このまま連行して、あとは他の役員に任せましょう」

「そう、ねっ!」


 すっきりした表情を浮かべていた伊織だったが、電気が走ったように顔が歪んだ。


「どうしたんですか!」

「ちょっと、足首が。あらら……」


 痛んだ右足首は、痛々しく腫れていた。


「これは……」

「あの子相手に、蹴り過ぎたみたいね。やっぱりあのタフさは反則ねぇ。もし、戦い方を覚えたらって考えると、ぞっとするわね」


 言葉とは裏腹に、伊織の顔には怪しい笑みが浮かんでいた。


「ふふふ。これからが楽しみねぇ」


 ストーカー事件は思いがけず解決し、あゆむたちは翌日、自宅謹慎になったクラスメイトの存在と伊織からのドヤ顔の報告で顛末を知ることとなる。

 あゆむにとって、それは大きなニュースであったが、校内では別の話題が衝撃を伴って広まり、ほどなく近隣の学校にも知れ渡った。


 早乙女あゆむという名のゴリラが、この町で最強の存在に認められたと。

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