第38話

 風花の背後でいたずらをした生徒は、あゆむとの間に立ち塞がるように進み出た。


「会長!」

「そう、あとはこのあたし。生徒会長、進藤伊織しんどういおりに任せなさい」

「い、いえ! こうなったのは私の責任です。会長は、見ているだけの予定だったじゃないですか。この場は私が」

「いい加減になさい。そんな体で、なにができるっていうの? それに、部下のミスをカバーするのも、仲間のピンチを助けるのも、生徒会長の仕事なんだから。気にしなくていいわよ」


 明るくウインクをしてみせる伊織に、風花はそれ以上なにも言えなかった。


 風花は数歩下がると、目の前の背中に言葉にできない安心感を感じた。


 あゆむよりも大きい一九〇センチの巨体。

 鍛え上げられた、プロレスラーのような筋肉。

 一本の三つ編みに結ばれた、艶やかな黒髪。


 ピンク色のリップクリームが塗られた唇は、目の前の強者に怪しい笑みを送っている。


「はじめまして、早乙女あゆむくん。あたしは動森高校生徒会執行部会長、進藤伊織。男であり女。性を超越し、美しさと強さを兼ね備えたあたしを、人は生徒と呼ぶわ!」


 見た目のインパクトをさらに強めるように伊織はブレザーを脱ぎ、タイを投げ、両手を羽ばたかせた。

 その行為は見る者をある意味釘づけにするものだったが、それ以前に伊織が出てきた時点で、あゆむの足は止まっていた。


 獣の本能が、目の前の存在を危険だと判断していた。


「あら。大人しいのね」


 伊織は不敵に笑い、顎を上げ、見下すような視線を送った。


「ほら、かかってきなさい、ぼうや。あたしをなんとかしないと、うさぎちゃんがどうなるか、わからないわよ?」

 挑発が効いたのか、あゆむの目に再び凶暴な光が宿り、伊織に襲いかかった。

「ウホオオオオオオ!」

「……ふふん」


 飛びかかってきたあゆむに対し、伊織は美しくも重く鋭い回し蹴りを、カウンターのタイミングで繰り出した。

 あまりの衝撃に、あゆむの巨体が押し下がる。


「あら、終わりなの?」

「オオオオオオオ!」


 その後も襲いかかるあゆむに対し、前蹴り、ブーメランフック、ハイキック、ローリングソバットなどで迎撃し続けた。


「すごい……」


 風花は、まるでダンスを踊るように華麗で堂々とした伊織の姿に見惚れていた。


 並の者ならその雄叫びに震え、大地を揺るがす突進に恐怖するだろう。しかし、伊織はまったく臆することなく、子どもを相手にするかのようにあしらっている。


「たしかにパワーはすごいわねぇ。でも、ただ向かってくるだけの獣なら、カウンターを狙いやすいわ」


 そんな簡単にできるのはあなたくらいだと、風花は思った。


「ウゥ……」


 幾度となく攻撃をくらい、それでも攻め続けたあゆむだったが、ついに膝をつき動けなくなってしまった。


「あらら。やり過ぎちゃったかしら」

「チ……ヨ……チャ……」


 しかし、動けなくなってなお、噛みつくような視線を伊織に向けた。


「……なるほどね。うん、いいわ。これなら……」

「「「うおおおおおおおお!」」」


 廊下に三つの咆哮がこだました。


 信一たちが怒りに顔を染め、あゆむの後方の階段を駆け上り、傷ついた友の下へ参上したのだ。


「あら、あの子たちは」

「てめぇ! 早乙女になにしてんだこらぁ!」

「これはやり過ぎだろうがっ!」

「ぶっ殺す!」


 三人はあゆむと伊織の間に、壁のように立ち塞がった。


 そして。


「あゆむ!」


 背後から聞こえた声に、あゆむの意識は暗い水底から引き揚げられた。


「あゆむ! 大丈夫? しっかりして!」


 腫れあがった瞼をなんとか持ち上げて、あゆむは声の主を見た。

 涙を浮かべた千代が、あゆむの体をさすり顔を覗きこんでいる。


「千……代……ちゃん?」

「あゆむ! よかった」


 千代は傷ついた体を優しく抱きしめた。


「なんで……」


 あゆむのか細い問いに、信一が伊織を睨んだまま答えた。


「悪いとは思ったんだけどな、あのあとみんなで学校に戻ったんだよ。でも、どこにいるかわからねぇから、手当たり次第に探してたんだ。そしたら、吹奏楽部の連中が生徒会に音楽室空けろって言われた話を聞いてな。なんか臭えと思ってたら、窓からお前が戦ってるのが見えてよ。慌てて来たってわけだ」

「そう……なんだ。よかった、千代ちゃんも無事で」

「無事って?」


 千代はきょとんとした顔をあゆむに向けた。


「生徒会が……千代ちゃんにも刺客を向けてるって。よかった、ほんとうに」

「あゆむ……」

「おい、いったいどういうことだ。てめぇがストーカー野郎なのか?」


 信一は伊織を睨みつけたまま言った。


「ストーカー? うーん……そうね。なんか勘違いがあるみたいだし、イチから説明しましょうか。まず、あのラブレターはもちろんウソ。あゆむくんを呼び出すために、この子が書いたものよ」


 指さされた風花は、痛めた体を庇いつつ信一たちを睨み返していた。


「なんで生徒会がそんなことを? どうしてあゆむがこんなに傷つく必要があるんですか!」


 千代が怒りを乗せて叫んだ。


 矛先となった風花が、悲し気に目を逸らした。


「その子について、いろいろ良くない話が聞こえてきてね。それで、学校にとって危険かどうかを、生徒会として判断しようと思ったのよ。手荒な真似なのは百も承知よ。でも、このくらいしなきゃ、その大きな力は推し測れない。この状況を見ても、必要だったと思ってるわ」


 風花の壁になるように、伊織が進み出て言った。


「てめぇ……」


 信一たちが牙を剥いた。


「……それで、私のことはどういうことなんですか? とくに問題を起こした記憶はないんですけど」

「そ、それは……」


 風花が言い淀む。


「野山さんだったわね? 早乙女くんにとってあなたが大切な幼馴染で、水谷事件にも関与してるのはわかっていたから、利用させてもらったのよ。どうしても、暴走状態の彼が見たかったから。怒りを誘発するために嘘をつかせてもらったの。だから安心して」


 風花の気持ちを知ってか知らずか、またもや伊織が口を開いた。


「ひどい」


 千代が伊織に軽蔑の眼差しを向けた。


「……あなたも身を以って知っているはずです、野山さん。アニマの力に溺れた人間が、どれだけ危険かを」


 千代の眼差しを遮るように、風花は自ら進み出た。


 自分を守ってくれようとする伊織に、これ以上迷惑をかけたくない。

 そして、どれだけ辛いことだろうと、自分が始めたことに責任を取る。


 たとえ、好きな人に軽蔑されたとしても。

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