第36話

「うわっ!」


 鋭い風切り音が頭上で鳴った。


 全身の毛を怪しく撫でるような囁きのあと、容赦のない拳があゆむを襲った。

 咄嗟に身を屈めて避けることができたが、かすめた攻撃には殺気が感じとれた。


「な、なにを、ぐっ!」


 疑問と恐怖の混乱の中、黒いストッキングに包まれた左膝が襲いかかり、あゆむの鼻から血が飛んだ。

 上半身が反り、熱い痛みで顔を歪まぜながらもうしろに飛び、拳の追撃から逃れた。


「い、いきなりなにをするんですか!」


 あゆむは混乱しつつ叫んだ。


 目の前の女子生徒は、鋭い眼差しを向けている。

 可憐な容姿のままなのに纏う空気は冷たくなり、人の情が消えた獣のような冷酷さを漂わせていた。


「言ったでしょう。我が校の秩序のために、貴方には消えていただきます。素行不良の生徒の生活態度改善。そして、必要とあらば排除する。それが、私たち、生徒会執行部の仕事ですから」

「執行部……」


 あゆむの背に、冷水をかけられたような悪寒が走った。


 あゆむたちが通う高校生徒会執行部には、生徒の自主性と自立心を養うという名目で、いくつかの特権が与えられている。


 そのひとつが、学校の自治権。


 校内の問題に対し、生徒会の判断で行動を起こすことができる。校則の再考や設備更新の申し立てなどもあるが、最も強力なのが生徒に対する改善措置である。

 主に、不登校生徒やいじめ被害者などへのカウンセリングや悩み相談、そして脅威生徒への武力執行を行う。


 前者はアニマに伴う多様性に対し、同世代間で向き合うことで、大人が入りこめない繊細な領域をケアすることが目的となっている。


 一方後者は、アニマ後に現れる三大欲求の増大や、性格の凶暴化などによって起きる問題行動を早期に解決するための手段とされている。

 生徒や学校に対して看過できない被害を与え、学校生活の平和と秩序を乱すと判断された生徒を脅威生徒とみなし、武力を以って対応することができる。


 故に、生徒会に選ばれる者には戦闘力の高さが問われる。

 風花はその可憐な見た目に反し、女子生徒の中でトップクラスの強さを誇る文武両道の才女だった。


「いったい、僕がなにをしたっていうんですか!」


 鼻の痛みを感じながら、あゆむが叫んだ。


「言わなければわかりませんか? 英雄譚のように言われていますが、水谷事件と呼ばれる乱闘騒ぎ。素行不良のクラスメイトたちとの交流、備品の破壊や紛失まで。その姿になってからのあなたは、要注意人物です」


 風花は眼鏡を上げ、あゆむを威嚇するように睨んだ。


「ちょ、ちょっと待ってください! それにはいろいろと理由が……」


 あゆむは必死に反論しようとした。


 水谷たちの一件は間違ったことだとは思っていないし、信一たちとの関係を悪く言われるのも嫌だ。備品に関しては、暴走の影響で力の制御ができなくなったのが理由だし、そうでなくても、単純にゴリラの能力に物が耐えられなかったり、体育でボールを飛ばし過ぎたりした事故だったからだ。


「いかなる理由があろうと、起こした行為は事実です。それに、あなたは目立ち過ぎる。あなたをヒーローのように慕う者や、後ろ盾として利用しようとする者もいるんですよ」

「ヒーロー? ……僕が?」


 憧れの言葉に、あゆむは現実とは思えず固まった。


「ええ。だからこそ危険なんです。あなたの行動が、周りに影響を与えてしまう。あなたはその自覚もなく、また、そういった存在に相応しいとは思えません。この学校において正義と力の象徴は、我々生徒会。このバランスを脅かすあなたには、制裁を受けてもらいます」


 言い終わると、風花は後方に体重をかけ、前足を上下させリズムをとって構えた。


 その姿に、あゆむは身震いした。 


 風花の格闘スタイルがムエタイを基本にしたキックボクシングだと、校内の戦闘力事情に詳しい(オタクな)あゆむは知っていた。

 構え自体は噂通りであったが、その姿からはあゆむを圧倒する迫力が放たれている。


 制服の間から伸びる、淡い青色を帯びた灰色の尻尾は太く逞しく、第三の足とも形容される。同じ毛色の耳が頭部に生え、威嚇するようにピンと立っている。


 それは鍛え抜かれたアカカンガルーのアニマの姿。


 改めて見ると、ストッキングに包まれた足には無駄な肉がなく、鍛えられ引き締まったものだった。

 見た目には人間からの変化はないものの、カンガルー由来の強靭な筋肉が全身にまで及び、華奢な見た目に反して、運動部にも劣らない肉体を誇っていた。


「では、いきます」

「ちょっと待っ」


 あゆむが言い終わらないうちに、またしても風花の猛攻が襲う。


 カンガルーの跳躍であっという間に距離を詰められたあゆむは、絶え間ないジャブの嵐をくらった。

 賢明なガードも、尻尾に体重を乗せることで可能になる両足の前蹴りがその隙間を縫い、腹部を捉えた。


「がはっ!」


 自然界では繁殖期の雄が見せる攻撃だが、鍛えられた風花のそれも必殺と呼べるほどに強力な一撃。


 前のめりになったあゆむの顔面を、再び風花の拳が襲い、あゆむはなんの抵抗もできず仰向けに倒れ、巨体が床を揺らした。


「この程度なんですか?」


 鼻血を流すあゆむを見下ろして、風花が呟く。

 聞いていた実力はこんなものではない。少なくとも、悪しき武勇が通っていた水谷を、目の前で倒れるゴリラが倒せるとは思えない。


「……もしかして、馬鹿にしてるんですか?」


 風花は怒りをこめて、あゆむの顔を踏みつけた。


「うぐっ!」

「私は男が嫌いです。アニマを経た男は、欲望に負けて簡単に雄に成り下がる。そのせいで、どれだけの女性が傷ついてきたか」


 冷たい眼差しであゆむを見下ろしながら、風花はさらに体重をかけた。


「だから危険なんですよ。あなたといつもいっしょにいる、あの女子生徒が」

「ち、千代ちゃん?」


 あゆむは靴底の向こうの風花を見たが、スカートの中が丸見えだったので慌てて視線を逸らした。


「そうです。以前のあなたなら問題はなかった。でも、問題行動が増え、そんな恐ろしい姿になってしまっては、見過ごすわけにはいきません」


 あゆむの視線やスカートのことなど、風花は気にしてすらいない。

 それほど、彼女の胸には強い想いが燃え滾っていた。


 怒りと嫉妬という想いが。

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