第34話

 嫉妬と好奇心の入り交ざった表情で、義雄が薄桃色の封筒を取り出した。


 そこにはきれいな細い文字で『早乙女あゆむくんへ』と書かれていた。


「うおっ! マジでラブレターかよ!」

「ちょっ、こら義雄! 本当に破ろうとするな! あゆむきゅんあゆむきゅん、おれらもいっしょに見てもいい?」


 信一と忠がテンションを上げる中、千代は黙ったまま丁寧な文字の宛名を見つめていた。


「ダメだよ、私たちが見たら」


 先ほどまでとは打って変わって、千代は落ち着いた声で言った。


「千代ちゃん?」

「その人は、きっとたくさん考えて、勇気を出してあゆむに手紙を書いたんだよ。茶化したら可哀想だよ」


 千代は義雄から手紙をもぎ取り、あゆむに手渡した。


「はい。ちゃんと読んで、その先輩に答えてあげて。どうするかは、あゆむ次第だよ」


 千代は笑って言ったが、その表情はどこかぎこちなかった。


「ち、千代ちゃん。僕は」

「ほら、あんたたちも帰る帰る! この前行ったラーメン屋さんに行こう!」

「お、おう」


 有無を言わさず、荷物を持って歩き出した千代を、信一たちは慌てて追いかけた。


「じゃ、じゃあな。あゆむ」

「待ってよ、千代姫~」

「野山もそんなに気に入ってくれてたのか……」


 あゆむが呼び止める暇も与えず、四人は教室から出て行ってしまった。


「……千代ちゃん」


 ラブレターをもらったこと自体はうれしかったが、背中を押すように去って行った千代の行動は、あゆむの心に少しの悲しさを落とした。


 本当に好きな人に別の恋を応援されても、ただただ虚しい。

 しかし、自分に好意を抱いてくれた相手を無下にはできない。


 ちゃんと向き合って、自分の気持ちを伝えよう。

 自分には好きな人がいて、あなたの気持ちには応えられないと。


 あゆむは太い指で、優しく丁寧に封を開いた。


『大事なお話があります。今日の放課後、第二音楽室で待っています』


 名前も書いていなかったが、宛名と同じきれいな文字が書かれていた。


「音楽室か……」


 あゆむは荷物を手に取り、緊張した鼓動と足取りで音楽室へ向かった。


 第二音楽室のある北校舎には、工作室や理科準備室など、普段はあまり使われない教室が並んでいる。それ故、用もないのにうろついている生徒は珍しく、緊張したゴリラはだれともすれ違うことはなかった。


「着いた」


 入口に掲げられたプレートを見上げて、あゆむが小さく呟いた。


 大きく深呼吸をしたあと、扉に手をかけようとしたとき、ふと心に疑問が浮かんだ。


(あれ? ここって、放課後は吹奏楽部が使ってるんじゃなかったっけ)


 しかし、ここまで来て引き返すわけにもいかず、浮かんだ疑問を飲みこみ、扉を開けた。


 扉の正面には立派なピアノが置かれ、黒板には五線譜が引かれており、書きかけの譜面が残されている。

 奥には準備室に繋がる扉があり、歴史上の音楽家たちの肖像画が壁の上方から見下ろしていた。


 外に面した窓から明るい日の光が差しこんでいる。

 その部屋の中央に彼女はいた。

 長く美しい黒髪を見せるように、あゆむに背を向けて立っている。


「あ、あの」


 あゆむの声に、彼女は振り向いた。


「待っていました、早乙女あゆむくん」


 透き通った、きれいな声。


 茶色い縁の眼鏡の奥に、穏やかな瞳が輝いていた。

 金色の日の光を浴びた姿は神々しく、ただ美しかった。


「あの、ドアを閉めてくれますか?」

「は、はい!」


 あゆむは慌てて扉を閉め、中に入った。


 音のない空間で二人きり。

 ほこりがきらきらと舞い、どこか幻想的な雰囲気を作り出していた。


「手紙、見てくれたんですね?」

「は、はい。その、あなたはもしかして、生徒会の?」


 話したこともない相手でありながら、あゆむは目の前の女子生徒のことを知っていた。

 いや、あゆむでなくても真面目に学校に通っている生徒なら、彼女のことは皆が知っている。


「はい。生徒会執行部副会長。南風花みなみふうかです」


 涼し気に見つめる年上の女性は、可愛らしさと美しさを兼ね備え、あゆむの視線を釘づけにした。


「あ、あの、えっと、南先輩が、その……」


 文武両道、容姿端麗。

 そんな全校生徒憧れのマドンナが、南風花その人である。


 男女問わず彼女の魅力は讃えられており、めったに見せない笑顔を自分だけのものにしようと撃沈した勇士は大勢いる。


 そんな彼女から好意を持たれるなど、この学校において名誉に他ならない。それだけに、断ることを決めていたあゆむの心中も混乱し、現実を信じられずにいた。


「えぇ、早乙女あゆむくん。あなたに言いたいことがあるんです。言っても……いいですか?」


 困ったように首をかしげ、顔を覗きこむ姿は、先輩だというのに幼さが垣間見え、母性本能をくすぐった。


「は、はい!」


 この短い時間の中で、風花の魅力に翻弄されっ放しではあったが、決めてきた覚悟は変わらなかった。


 ちゃんと気持ちを聞いて、正面から向き合おう。

 自分の気持ちを正直に伝えよう。


 あゆむは、生唾を飲みこんで待ち構えた。


「早乙女あゆむくん」


 次の瞬間、風花の姿が消え、続きの言葉が耳元で囁かれた。


「我が校の秩序のために、消えてください」

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