第30話
「ず、ずるいぞ大野! ほ、他の奴らにまで手を回すなんて」
「うるせぇ!」
上島の声を、信一の咆哮がかき消した。
「もうてめぇらの茶番には付き合ってられねぇんだよ! ダチを苦しめられて、傷つけられて、土下座までさせられて! こっちはとっくに限界なんだよ!」
信一、忠、義雄の三人は、肉食獣の唸り声で怒りをあらわにした。
睨みつけ、牙を剝き、狩るべき相手を逃がすまいとした。
「な、なぁ、おい。どうしたら……」
飯田が、上島にかすれた声で言った。
「なぁ」
その声に、上島ははっきりとした口調で返した。
「俺たち、一心同体だよな?」
まるで覚悟を決めたような、晴れ晴れとした表情に、飯田は固い友情を感じた。
「……あぁ、もちろんだ!」
答えが返ってきた瞬間、上島は一心同体の相手を殴った。
「うぐっ!」
ボディーブローを入れられ、悶絶した飯田は、そのまま制服を引かれ、信一たちに向かってゴミのように投げられた。
「て、てめぇ!」
信一たちが怯んだ瞬間、上島は車道に飛び出し、逃走を図った。
「クソが! 仲間じゃねぇのかよ!」
「汚ねぇぞこらぁ!」
罵詈雑言と追手に対し、上島は悪い笑顔で言い放った。
「トカゲの尻尾切りって知らねぇのかよ! 俺には尻尾は生えてないが、一心同体ならそいつが俺の尻尾代わりだ!」
上島は振り返り、舌を出して笑った。
だが、前を向き直した瞬間、全身から血の気が引いた。
「じゃあ、きみが二人分受けても文句はないよね?」
上島が逃げた先には、拳を構えたゴリラが待ち構えていた。
あゆむは飯田が殴られたと同時に走り出しており、上島よりもはるかに速い速度で駆け、先回りをしていた。
「さおっ!」
止まることも躱すこともできず、上島は殴り飛ばされた。
恐らくこの町で、もっとも膂力のある生物の。
怒りと悲しみとありったけの力がこめられた。
フルスイング、全力のパンチ。
上島の体は逃げてきた方向に吹っ飛び、追いかけていた信一らの頭上を超え、道路に跳ね、転がり、沈黙した。
この場のだれもが、ボールのように飛んだ上島に目を奪われ、憂さを晴らした爽快感と言葉にできない驚きを感じていた。
上島と飯田は念の為、織部が知り合いの病院へ連れて行き、検査してもらうことになった。
被害者たちも異論はなく、先ほどのあゆむの一撃で、チャラにしてやるとのことだった。
「みなさん、本当にごめんなさい!」
あゆむは、被害者の面々に改めて深々と頭を下げた。
「いや、もういいって」
「そうそう。俺らの分も殴ってくれたしな!」
「うん、きみも利用されてたみたいだし、気にすることないよ」
皆、口々に許してくれたが、心の中は穏やかではなかった。
(あんな化け物、敵に回してたまるか!)
(恨まれでもしたら洒落になんねぇ)
(もう帰りたい……)
一件落着の空気に包まれたとき、寺田が口を開いた。
「女どもはどうするんだ?」
二人は力が抜けたように地べたに座りこんでいた。
寺田の声に古賀はビクッと体が跳ね、ミミは泣きながら、近づいたあゆむにすがった。
「お、お願い……謝るから。もうしないから。許してください」
古賀の少女は土下座の姿勢で言った。
「あ、あゆむくん。お、おねがい、本当に、本当になにしてもいいから。あゆむくんの奴隷になるから。おねがい、なんでも言うこと聞くから。た、たすけて」
ミミはあゆむの裾を掴み、涙を流した。
「本当になんでも言うこと聞くんだね?」
あゆむの言葉に、二人の少女は強く頷いた。
「じゃあ金輪際、今までみたいなことはしないって約束して。そして、僕や千代ちゃん。大野くんたちに、一切関わらないこと」
あゆむの口からは淡々と、要求だけが語られた。
「はい、わかりました」
古賀の少女は再び頭を下げて言った。
「え、いや、その、約束はします。で、でも、まったく関わっちゃダメなの? 本当に? なにしてもいいんだよ? ミミが奴隷になるんだよ?」
対照的に、ミミは承諾しなかった。
謝罪やへりくだる態度は示すものの、歪んだ形でも繋がりを残そうと必死だった。
「うん、奴隷もいらないし、きみたちとこれからの人生で、接点を持とうとは思わない。もうこれ以上の謝罪もいらないよ。いい? 支倉さん。きみの気持ちは関係ないんだ。もし、さっき言ったことが破られたら、僕はどうするかわからない。これ以上、人を嫌いにさせないで」
あゆむはそう言うと、ミミたちに背を向け、信一たちのもとへ進んだ。
「あ……あぁ……」
ミミは捨てられ弱った子猫のように、力なく、か細い声で泣いた。
「……さようなら」
呟いたあゆむの声は、かすかに震えていた。
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