第19話
「おはよう、早乙女!」
「あゆむくん、おはよー!」
「ゴリラの兄ちゃんだ! ねぇねぇ、また肩車してよー」
「おや。あゆむちゃん、おはよう。昨日は、荷物持ってくれてありがとうねぇ」
あの事件から数日後。
日常に戻った通学途中のゴリラに向けられるのは、好奇の目ではなくなっていた。
あゆむが意識を失ってすぐ、心配したタクシー運転手が呼んでいた、救急隊員と警察が駆け付けた。
千代や信一たちを含め、怪我人は全員病院へ運ばれ、水谷以下三十人の手下たちは逮捕された。特に水谷は余罪が多く、重い罰になることは確実だった。
あゆむは怪我と我を失って暴れたことで疲労が溜まり、一日中眠り続けた。
目が覚めると、目を泣き腫らした英梨に抱きしめられた。
申し訳ない気持ちになったが、母の口から出てきたのは意外な言葉だった。
「よく……よくやったね、あゆむ! よく無事で……強くなったね」
その言葉は、あゆむが幼い頃から望んでいたものだった。
守られるばかりだった自分が、だれかを守ったということ。
弱かった自分が、脅威と向き合い、戦ったということ。
そのことを認め、褒めてもらえたことがなによりもうれしかった。
思わず涙が流れ、母の体を抱きしめて泣いた。
水谷一味は地元では有名な悪党で、あゆむの武勇伝は尾ひれを増やしながら、水谷事件として町中に広まった。
その結果、中高生を中心にあゆむを知らない者はいなくなり、見た目のインパクトや日頃の善行もあって、評判は上がる一方だった。
「おはよう、あゆむ!」
かけられる挨拶を丁寧に返していると、背後から幼馴染の明るい声が聞こえた。
「おはよう、千代ちゃん」
あゆむは振り向くと、朝日よりも眩しい笑顔に目を細めながら挨拶を返した。
「怪我の具合はどう?」
「うん、大丈夫。千代ちゃんは?」
「わたしも大丈夫。痣が消えるまでもうちょっとかかるけど」
二人は談笑しながら、学び舎を目指した。
互いの呼び名も、向けられる笑顔も、互いを必要としていた幼い頃に戻っていた。あゆむが作ってしまった微妙な隔たりも消え去り、二人はだれが見ても、仲の良い幼馴染だった。
教室では、にぎやかに話したり席で寝ていたり、必死に宿題を写したりと、クラスメイトは各々の時間を過ごしていた。
その中で、あゆむはある人物たちのもとへ近づいた。
心なしか胸が高鳴り、緊張と喜びが混ざった気持ちになった。
「おはよう、三人とも」
「おう」
「おはよ、あゆむきゅん!」
「おう、早乙女。調子はどうだ?」
視線の先には、痛々しい傷跡が残る信一たちがいた。
あゆむが目を覚ましたあと、三人は揃って見舞いにやって来た。
その際、あゆむは信一たちのけじめとして、あることを提示した。
「僕は……その、三人にちゃんと学校に来てほしいんだ。先生に聞いたんだけど、このままじゃ出席日数足りなくて進級できないかもって。だから、そうしてほしいのと……その……これはよかったらなんだけど……僕と友達になってくれないかな?」
ベッドに横たわるゴリラの言葉に、三人は驚いた。
そんな条件など、謝罪になるとは思えなかったのだ。
「そ、そんなことでいいの?」
「いいんだぜ? しこたま殴っても」
戸惑いが頭を巡る中、最後に信一が口を開いた。
「お前がそれを望むなら、そうしよう。学校には真面目に通う。それに、お前とダチになるってのは、むしろ俺たちから頼みたいことだ。改めて、これからよろしくな」
そんなやり取りがあって、信一たちはこうして朝から登校しているのだった。
事情を知らないクラスメイトからは怪訝な目で見られているが、三人揃ってそんなことを気にするような性格をしていなかった。
「うん、もうほとんど大丈夫だよ。みんなは?」
「あぁ、俺たちはなんとか動けるって感じだな。体中痛くて仕方ねぇ」
「ホント、お風呂に入るのも一苦労だよ。まぁ、筋肉馬鹿はもう筋トレ始めてるんだけど」
「おい、忠。そりゃ、オレのことか?」
あゆむは、このときを夢のように感じていた。
今まで、ただ怖がっていた信一たちと、こんなふうに笑い合えるようになるなんて想像もしていなかった。
「あんたたち、学校に来るのはいいんだけど、ちゃんと残りのお金も返しなさいよね?」
うさ耳をぴくぴくさせながら、千代があゆむの背後から顔を出した。
「も、もちろんだ。必ず返す」
「男に二言はねぇ」
「でも……もちっと待ってくれませんでしょうか?」
あの一件で、信一たちは千代に頭が上がらなくなったようで、尻尾が力なく垂れ下がり、なにも言い返せなくなっていた。
「ち、千代ちゃん。そんなにきつく言わなくても大丈夫だよ」
「わたしだって、べつに信用してないわけじゃないけど、このくらいは当然よ。ちゃんと返し終わるまで、チクチク言っていくからね!」
「「「はい……」」」
三人は頭を下げ、揃って暗い返事を返した。
「おはよう、早乙女。もし、具合が悪くなったら言ってくれ。俺が保健室に連れていこうっ!」
「ありがとう、谷口くん」
「ねぇ、あゆむくん。大野くんたちって危ない噂があるんだけど、本当なの? 仲良くしてて大丈夫なの?」
「うん、心配ないよ。怖い噂は、ほとんど誤解みたいだから」
「早乙女、もし怪我の具合がいいなら、放課後バスケ部の見学に来ないか?」
あゆむが席に着くと、自然と人が集まってきた。
べつにアニマが来る前にもあったことだが、昔と今では状況が大いに違う。
容姿を愛でられるだけだったかつてと違い、今はあゆむが持つ様々な面を認め、話しかけてきてくれる。
あゆむは前よりも、ゴリラとなった今のほうが居心地よく感じていた。
いつもと変わらない予鈴が鳴った。
しかし、ゴリラになってから、あゆむにとって毎日が特別なものだった。
この体は、今日はどんな可能性を見せてくれるのだろう。
その期待に、あゆむの胸は躍っていた。
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