第14話

 千代は唯一自由に動く目で辺りを見回した。


 周囲には、下衆な笑みを浮かべた男たちが立っており、自分を見下ろしている。

 手足は縛られ、口にもガムテープが貼られて声も出せない。


 身をよじろうとすると、腹部に強い痛みが走った。運ばれる車内で抵抗したとき、男の一人に殴られたのだ。


 横たわる地面は、固いが平面で人工的に整えられたものだった。見上げると空はなく、星の代わりに古い電灯が千代たちを照らしていた。


「よお。ご苦労だったな」


 どうすることもできずにいると、奥から男の掠れた声がした。


「はい、水谷みずたにさん。連絡してた女を連れてきました!」


 見下ろしていた者の中から、つり目の男が頭を下げた。


「ほーう。いい女だな」


 水谷と呼ばれた男は千代に近づくと、うさ耳を乱暴に掴み、顔を覗きこんだ。

 黒い長髪が揺れ、前髪の向こうで怪しい瞳が光っていた。


「うぐっ!」


 耳と、腹部の痛みでねじれるような声が出た。


「ん? こいつ怪我してるのか?」

「そうなんすよ!」


 わき腹を押さえた茶髪の男が、水谷の問いに進み出た。

 千代を拉致した実行犯の一人だ。


「その女、抵抗して俺の腹を蹴りやがったんすよ! クソ痛くてムカついたから、こっちも一発入れてやったんですわ。俺、絶対折れてますからね。思いっきり蹴りやがって、クソ!」


 金髪の男は、悪態をつきながら千代に唾を吐いた。


「ぐおっ」


 その瞬間、水谷はなにも言わず、金髪が押さえている場所を思い切り殴った。


「うあああ!」


 そして、長く艶やかな尾が首に巻き付き、締め上げた。

 伸びてきた尾は言うまでもなく、水谷のものだった。


 しかし、その全身を目撃した千代は息を飲んだ。


 それは、尻尾ではなく水谷の下半身そのものだった。

 この半グレ集団のリーダー水谷斗真とうまは腰から下がすべて蛇に変異しており、足はなく、鱗が身を覆う大蛇の様相だった。


「お前はっ、なにっ、俺のっ、獲物にっ、手ぇっ、出してんだっ、なにっ、唾っ、吐いてんだっ、こらっ!」


 締め上げられ、身動きが取れない金髪の痛めた腹部を、水谷は何度も何度も殴った。


「す、すいま、せ、ゆ、ゆる、し、て」


苦悶の表情と涙で顔を染めた金髪の声は、だんだんと小さくなり、拳を防いでいた手は腫れあがっていた。


 その様子に、周囲の男たちはなにも言わず、ある者は目を逸らしていた。男たちの反応から、千代は水谷が恐怖と力で支配していることを悟った。


「ふんっ」


 飽きたように、水谷は一瞥もくれず蛇の尾で茶髪を放った。

 力のない身体は三メートルほど飛ばされ、苦痛に震えていたが手を貸す者はいなかった。


「北尾、お前は褒めてやるぜ。この女、ネザーランド・ドワーフのアニマだな。しかも、この毛色はリンクスだ。珍しいもん連れてきたじゃねぇか」


 名指しされたつり目の男が、体をビクつかせた。


「は、はい! ありがとうございます! み、水谷さん、詳しいっすね。うさぎ、好きなんですか?」


 機嫌を窺うように、北尾は低い腰で言った。


「あぁ、そりゃあそうだろ。俺は蛇だぜ? うさぎは大好物だよ」


 この人なら、本当に食べてしまうかもしれない。

 そう思わせる水谷の笑みは、その場にいた全員を震えさせた。


「さて、あの三人組が来てねぇが、先にいただくぜ。俺が楽しんだら、お前たちも好きにしろ」


 千代に未だかつてない悪寒が走った。


 先ほどまで水谷に怯えていた男たちに、下衆な笑みが戻った。さらに、狂気の手が、自分に伸びてきている。


 恐怖と絶望の中で、千代の中には僅かな光があった。


 とても弱くて、頼りない。


 しかし、千代をどんなときでも支えてくれた、あたたかな光。


 本人は覚えていないだろうけど、幼い頃、自分を守ると言ってくれたヒーロー。


 からかわれたときには、だれよりもはやく止めてくれた。

 一人のときは、そばで支えてくれた。

 苦しいときも、悲しいときも、いつも自分を助けてくれた。

 

 千代はずっと、彼のことが好きだった。


 今から起きる最悪の出来事。


 その間、せめて心は大好きなあの人ことを想っていよう。

 それが、千代にできる最後の抵抗だった。


 水谷の手が千代のシャツを掴み、ボタンを弾き飛ばし、下着をあらわにした。


「おほっ」

「ヒューっ」

「待て!」


 下衆な歓喜を断つように、廃倉庫に男の声がこだました。


 皆が注目した先には、息を切らした信一たちの姿があった。


「おぉ! お前らか。ちょうどいいところに来たな。今から、お前たちの捧げものいただくぜ。ちゃんとお前たちにもヤらせてやるから、安心しろよ。金もこれでチャラだ。生意気でムカつく奴らだったが、最後にいい働きを」

「そいつは、関係ありません!」


 自分の言葉を遮った信一に、水谷は不快な視線を向けた。


「……あ?」

「その女は、俺たちとは関係ありません。金の代わりに拉致ったなんて、俺たちはやってない。だから、解放してやってください。金なら倍払います。お願いします!」


 三人は土下座し、割れたガラスやゴミが散乱する地面に額を付けた。


「おーい、北尾。これ、どういうことだ?」


 名前を呼ばれた北尾は、短く息を飲んだ。


「い、いや、それがですね」


 北尾は何度も言葉に詰まりながら、あゆむへの報復、水谷への貢ぎ物、三人の完済。

 それらを狙ってやった旨をすべて話した。


「なるほどな、じゃあこの女はお前たちが寄越したもんじゃないのか」

「はい! だから」

「なら、単純に北尾からのプレゼントだろ。女はいただく、お前らは金を用意できなかったペナルティで、倍払え。話は終わりだ、消えろ」


 水谷は信一たちに唾を吐いた。


「は、はぁ? なんでだよ!」


 義雄が思わず顔を上げ、水谷に吠えた。


「うるせぇな、クソガキ。お前らは優しい先輩の心遣いを無駄にしたんだよ。この女一人で、なんもかも終わってたのによ。お前も大変だな、北尾。馬鹿な後輩を持つとよ」

「は、はい。まったくです」


 水谷のそばで、北尾がヘコへコと頭を下げた。


「つーわけだ。金がねぇんなら、とっとと消えろ」


 水谷は面倒くさそうに言ったが、信一たちは動かなかった。


「おら、なにしてんだ! お前らがいると楽しむもんも楽しめねぇんだよ!」


 取り巻きの一人が信一を無理やり起こし、頭を殴った。


「……わかりました」

「なら、さっさと出ていぶぅ!」


 信一は、頭を殴った男のみぞおちに肘鉄をくらわせ、膝をつかせた。


「なにしやがんぐはっ!」

「ぎゃあ!」


 忠と義雄も立ち上がり、それぞれ一番近くにいた者を蹴り倒し、殴り飛ばした。


「……なんのマネだ」

「決まってんだろ、返してもらえねぇなら、力づくで取り返すだけだ」


 三人は構え、水谷を睨みつけた。


「ふん、面白れぇ。なら、ゲームだ。お前たちのうち一人でも立ってる限り、女には手を出さねぇでやるよ。俺まで倒せたらゲームクリアで、女は解放してやる。俺抜きでも三十人くらいいるけど、せいぜい頑張れよ」

「うわぁ、思ったより多い……」

「ふんっ、関係ねぇだろ!」


 忠と義雄に続いて、信一が吠えた。


「待ってろ水谷! 速攻でラスボスまでいってやるよ!」

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