第11話

 あゆむが千代と下校した翌日の土曜日。

 駅前のファストフード店の前には、緊張したゴリラの姿があった。


 言うまでもなくあゆむだが、向けられる好奇の視線など気にする余裕がないほど、彼は緊張していた。


 今から、千代とデートなのだ。


 その理由は、昨日の放課後に遡る。


 公園で二つのお礼をもらったあゆむは、千代の家まで荷物を運んだ。


「「おかえりなさい! 千代姉ちゃん!」」


 玄関を開けると、辰樹たつき夏樹なつきの双子の兄妹が勢いよく飛び出してきた。

 二人はまだアニマを迎えてはおらず、幼さが残る笑顔で出迎えた。


「ただいまー。ほら、手伝って」

「ゴリラがいるー!」

「ホントだー! すっごーい!」


 千代のお願いなど聞くことなく、二人はあゆむに興味津々で靴下のまま外に出た。


「こら! 靴くらい履きなさい!」

「あははは。こんばんは、たつくん、なっちゃん。僕だよ、あゆむだよ」


 小学四年生のこの双子を、あゆむは赤ん坊のときから知っている。

 二人にだけは怖がられたくないあゆむは、できるだけ優しい笑顔で言った。


「あゆむ兄ちゃん? ホントに?」

「ぜんぜんちがーう! すっごーい!」


 二人はこの劇的な変化を受け入れ、あゆむが荷物を置くと、こぞっておんぶや肩車を要求した。


「こら、あゆむが困るでしょ」

「いいよ、このくらい。むしろ、やっとお兄ちゃんらしいことができてうれしいよ」


 二人に腕相撲で負けかけた経験があるあゆむは、誇らしげな笑みを浮かべた。


「どうする? いっしょに晩ごはん食べていく?」

「いや、そこまでは悪いよ。お母さんも、たぶん用意して待ってるし」

「そっか……ねぇ、あゆむ。明日ってヒマ?」


 双子が買ってきた荷物を順に持っていくなか、千代が聞いた。

 心なしか潤んだ瞳が、上目づかいで見つめてきた。


「う、うーん。実は、この姿になって着るものがほとんどなくてさ。お母さんが何着か買ってくれたんだけど、足りないから買い物に行こうかと」


 あゆむの言葉に、千代の顔がパッと明るくなった。


「ほんと? じゃあ、お礼その三。いっしょに買い物行こうよ!」


 突然の申し出に、あゆむは慌てた。


「えええ! そ、そんな、もうこれ以上お礼なんていらないよ。それにほら、なっちゃんたちのこと見てないといけないんじゃ」

「明日はお父さんが休みだから、二人のことは任せられるよ! ちょうど、わたしも買い物に行きたかったんだ。わたしもいっしょに選んであげるからさ~」


 千代の笑顔を見ながら、あゆむはその裏に秘められた思惑を察した。


「……まさか、そのときも荷物は」

「力持ちの幼馴染に頼みたいな~」


 千代は舌を出して、再びいたずらな笑顔を向けた。


 突然の提案だったが、ゴリラとなったあゆむにとって、荷物持ちなど断る理由にはならなかった。


 むしろ、休日に千代と出かけられるというメリットのほうが大きく、待ち合わせの場所と時間を決め、承諾した。



 そして、朝から全身にブラッシングをかけ、母親に不貞を働かないよう余計な世話を焼かれたゴリラが、待ち合わせの一時間前から待機していた。


 あゆむと千代は付き合いこそ長いが、こうして二人きりで出かけたことは一度もなかった。幼い頃は必ず親が同伴していたし、成長してからは気恥ずかしく、何人かの友達といっしょに遊んだことしかなかった。


 やってきた一大イベントに、あゆむの心臓は信一たちに挑んだときとは違う鼓動を響かせていた。


 時間の流れは遅く感じるのに、時計を見ると「もうすぐだ」と焦ってしまう。暇つぶしにスマホをいじることすらできず、あゆむは、待っている間直立の姿勢で固まっていた。


「あれ? この店、ゴリラのキャラクターとかいたっけ? リアルな人形だなぁ」

「すいません、生きてます」

「うわあ!」


 時折、こんなアクシデントを挟みつつ、時間は刻一刻と進んでいった。


「あゆむー!」


 待ち望んだ明るい声が聞こえた。


 人ごみのなかに、ミルクティー色の耳が見えたかと思うと、明るく元気な待ち人が、あゆむの前に現れた。


「ごめん、もしかして待った?」

「い、いや、僕も今来たところだよ」

「そっか、よかった!」


 うれしそうに笑う千代に、あゆむは釘づけだった。


 久しぶりに見た、私服姿。


 白いシャツにピンクのカーディガンを羽織り、紺色のジーンズを穿いている。薄く化粧をした顔は、いつもよりも大人びて見えて、彩られた笑顔から目が離せなかった。


「えっと……そ、そんなに見つめられると恥ずかしいな」


 あゆむはハッと我に返り、なにもない足下に視線を落とした。


「ご、ごめん! その、野山さんがかわいくて。い、いや! 普段がかわいくないわけじゃなくて! いつも以上にっていう意味で!」


 慌てふためくゴリラに周囲の視線が集まるなか、千代が吹き出した。


「あははは! ありがとう、あゆむ。ほら、はやく行こうよ!」


 千代は目的の方角を指さし、歩き出した。


「ま、待ってよ~」


 あゆむは慌ててあとに続いた。


 歩き出した千代はしばらく振り返らず、うれしさにほころんだ顔と、実はあゆむより前に来ていたのに、時間まで出ていけなかったことを隠し通した。


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