第4話
「親分、いったい親分はそのガキをどうするつもりですかい」
長い寄り道の後、くたびれる様子もなく長屋に帰った藤五郎に五平はうんざりといった風情で問うた。
「おめえの思っている通りさ」
藤五郎はそう言いながらどかりと畳に腰を下ろし、やはりぴたりと寄り添う千勢の頭をなでながら大あくびをひとつかました。
「……吉原に売っ払う気で?」
すっかりくつろいでいる藤五郎に五平がいぶかしげにたずねる。
というのも藤五郎は、帰りしな、なぜだか町内をぐるり一周りし、千勢をこれ見よがしに見せびらかしながら「花魁にでもすりゃいい稼ぎになるだろう」などという、普段の藤五郎からは考えられないような台詞を言いまわってここまで帰ってきたのだ。
「金がな、いるんだよ」
なんの感慨もない、そっけない口ぶり
その一言、その態度に、さすがの五平もとうとう声を荒げる。
この男、小さな生き物と子供に関してだけは血の気の多い男なのである。
「てめぇ藤五郎!」
五平は土足のまま片足を畳にかけ、食い殺すような眼光を光らせて啖呵を切った。
「黙って聞いてりゃいい気になりやがって!じゃぁなにかい、あんたはそのガキを廓に売っ払ってその金で旨々(うまうま)しようって、そういう算段だってのか!」
確かに、五平という男の格では藤五郎には遠く及ばない。しかし、心根のところで負けている男ではない。
「なんとか言いやがれ、藤五郎!」
「そこまでだぜ、五平」
「なにぃ?!」
五平の剣幕に、藤五郎は大きく一つため息をつくとあごの先で戸口を指した。
そして、押し殺した小さな声でつぶやく。
「……客人だ」
言われて五平が戸口に気を遣ると、確かにそこに人の気配を感じた。
しかも、これは。
「侍……ですかい?」
戸口の男が発する、何ともよくない気配に、五平は藤五郎とのいさかいのことなどスパッと切り捨てて尋ねる
「おめぇの良く知っている男だ」
そう答えると、藤五郎は五平をぎろりと睨み、そのまま自分の後ろにある押し入れへと目を遣った。
「親分ひとりで平気ですかい」
「てめぇいってぇ誰の心配をしてるんだ」
「おっと、こいつは失礼」
そう言うと五平はそそくさと四畳半に上がり込み、千勢の手を引いて押し入れの中へと入ろうとした。が、それを藤五郎が止める。
「千勢はそこでいい」
藤五郎の言葉に、五平は一瞬ためらったものの、いかに五平と言えど緊迫した空気の中で藤五郎と言い争う気などなく「へい」と即答してそのまま押し入れに身を隠し、半寸ほどの隙間から覗く。
そして、それを見た藤五郎が心胆寒からしめるような堂馬声でどなった。
「へぇってきな」
その声を待っていたかのように、長屋の薄い戸板がスッと横に開く。
そこにいたのは。
「遅かったですねぇ、秋川様」
北町の同心、秋川小十郎その人だった。
「なにが遅かっただ。いやらしく撒餌なんぞ散らしおって、武士は魚ではないわ」
秋川の言葉に、藤五郎はにやりと笑って答える。
「二本差しなら蒲焼のウナギ、武士ならカツオと相場が決まってるんでね」
藤五郎の軽口に秋川は苦々しげな表情を作ると、低い声で聴いた。
「いつ、気がついた」
「モノのとっかかりは、木彫りの燕でさ」
「ほぉ、それがどうした」
問われて藤五郎はのっそりと答える。
「あっしも前の件で同じ木彫りを見たんだが、あれは見て同じかどうかの判別がつくようなしろもんじゃありませんぜ。せいぜい子供の小細工程度のもんだ、それに」
藤五郎はそう言うと、苦虫をかみ殺したような表情ではき捨てた。
「間借りの黒服で燕ってのは、少々頓智が利きすぎてまさぁな」
それを聞いて秋川は笑っている。しかし、頬の肉が引きつっているところを見ると、見た目ほどの余裕はないようであった。
「で、得心がいったのは、さっき旦那にあったとき。旦那、あんたしゃべりすぎだ」
「なに?」
「うちの五平はね、ああ見えて頭の回る出来た男でね。あっしが『全部話せ』といやぁひとつ残らずきちんと全部話す男なんでさ」
押入れの内で、五平はほりほりと額を掻く。
もちろん声を押し殺して、だが。
「それでどうした」
「その五平が、北町の同心方から死体検めに立ち合った八助まで、漏らさず聞きまわったことを漏らさずこの藤五郎に伝えた。しかし、あんたは」
藤五郎はそう言うと千勢の頭をなでて続けた。
「五平が伝えたよりも多くを知っていた」
そう、五平が聞いたことのすべては、今、北町がつかんでいることのすべて。
今回の件が燕の仁助の仕業であることも、そこで忠兵衛という名の流れ板の小男が殺されたということもすべて北町のつかんでいること。そして五平は、それをあまさず藤五郎に伝えた、のだが。
「背中からバッサリ、あれはまずかったですなあ」
「なんだと?」
「五平はそんなことは一言も言わなかったんでね。それを知っているのは死体を見聞した人間か……」
藤五郎の言葉に、秋川はにやりと笑って答えた。
「燕の仁助、つまりこのわしというわけか」
秋川の言葉に、押し入れの五平は心の臓が口から飛び出しそうなほどに驚いた。とっさに口を抑えてなければ、きっと声を出してしまっていたことだろう。
しかし、藤五郎は、表情一つ変えない。
「まあ、そういうことですな」
死体検めに付き合う同心は多くて2人、そして検めた死体はすぐに荼毘に付されるのが通例だ。そうなれば、役人と言えども殺された町衆の死体が一体どのようであったかなどは、五平と同じ程度でしか知り得ない。
そして、あの時秋川は死体検めには臨場していなかったと白状している、となれば。
「しゃべりすぎ、か」
「ええ、まあそういうわけで」
死体検めに臨場していない秋川が、刀傷の場所を背中だとわかるはずがないのだ。
「で、その五平はどこだ」
「裏から番所に使いを出しやした」
それを聞いて、押し入れて汗をかき始めていた五平は心中で「どっこい、本当は押し入れに雪隠詰めで滝の汗でさ」とつぶやく。
どうやら親分は、早めに決着をつけたいらしいぜ、と確信しつつ、だ。
「そうか、であれば、急がなければいかんな」
そう言うと秋川は、藤五郎の思惑通りに腰の長いものをずるりと引き抜くと、藤五郎に向けてゆっくりと構えた。
と、その時だ、そこまで一言も発することなく藤五郎の後ろに隠れていた千勢が藤五郎と秋川の間に割って入ると、五平にとって今日この日一番の驚きとなる一言を口走った。
「もうやめなよ、父ちゃん」
その一言に押入れの中で、さすがに五平は声を漏らした
「な、なんだって」
その声に、藤五郎は「あの阿呆が」と小さく呟いて頭を掻き、秋川は口の端に笑みを浮かべる。
「大した手下だな藤五郎」
「面目次第もねぇ」
しかし、五平の失態で一瞬緩んだ空気を、千勢がまたしてもキュッと引き締める。
「あたいのために人まで殺すなんて、やりすぎだよ」
そう言うと千勢はその場に正座をすると背筋をしゃんと伸ばして秋川を見上げた。
「確かに、人さらいなんぞにかどわかされちまったのはあたいのしくじりさ。父ちゃんが、そんなあたいのために、忠兵衛の後を追ってあの男の流れた先の料理屋を次々襲ってまで探してくれたことには感謝はする。あたいをかどわかして酷い目に合わせたうえで売り飛ばそうとした忠兵衛を始末してくれたこともありがたいさ、ありがたいんだけどね」
なんと、そういうことだったのか。と、押し入れの五平は得心が言って膝を打ったのだが、どうやらこの場でそれを知らぬのは五平ひとりであるらしいことは確かのようだ。
証拠に、誰も驚いた様子は、ない。
そして、そんな五平の心中を知る由もなく、千勢は冷ややかな声で続けた。
「とはいえ、やっていいことと悪いことがあるだろ」
そう言うと千勢はギリッという音でも聞こえそうなほど秋川を睨んだ。
「父ちゃんは、お江戸の御政道を守る役人じゃないか、いくら血を分けた娘のためだからって、夜盗のまねごとをするなんてどういう了見だい、そんなざまで、お天道様に恥ずかしくはないのかい!」
小さな千勢の啖呵に、押し入れの中に縮こまっている五平は「うへぇ」とため息を漏らす。
秋川様のお相手は、確か常磐津の師匠で朝菊って姐さんだったはず。噂にゃ、かなり威勢のいい姐さんだとは聞いてはいたが、十やそこらの娘がこんなに育っちまうんだ、こりゃ相当に勇ましい姐さんに違いない。
一度会ってみてぇや。
と、押入れに隠れていることは先刻バレてしまってはいるものの、ばつが悪くて出ていけない五平がのんきにそんなことを考えているとはつゆ知らず、千勢の啖呵は続く。
「初めは父ちゃんの仕業とは思えなかった。変り者と噂されてはいても、十手持ちの父ちゃんが御政道に背いて押し込みを働くなんて思えなかったからね。でも、忠兵衛の野郎が燕の仁助はおめぇの親父に違いないってこぼしたとき、あたしも合点がいったのさ。それで、おびえる忠兵衛の隙をついてあたしは逃げ出した」
ここで、千勢の啖呵を秋川が奪った。
「で、そんなお前がなぜ藤五郎といる」
それは、いかにも恐ろしげな声だったが、千勢はひるむことなく言い切った。
「それで家に帰っちまったら、父ちゃんは腹を切るだろう?」
そこまで言うと、千勢は立膝になって床をどんと一蹴りした
「父ちゃんは、あたいを父親殺しの畜生にしようってのかい!」
なるほど、こりゃ役者が違う。
五平は納得して感心する。
きっと自分の前ではだんまりだったのは、藤五郎の言いつけで普段はあまりしゃべるなと言われていたのだろう。親分はしゃべる女が (つまりはまあ女が)大嫌いだから、それを見て黙っていたに違いない。
しかしその本性はどうだ、ありゃ間違いない
「で、どうします、旦那」
と、千勢が気持ちのいい啖呵を切り終えるのを待って、藤五郎が話をしまいにかかった。
秋川は「そうか、そうであるか」といっそ清々しいような声をあげて納得すると、「とはいえ、行き着く先は獄門台、ならば」とつぶやいていっそ憑き物の落ちたかのような顔で刀を正眼に構えた。
「父ちゃん、まだ罪を重ねる気かい!」
そう怒鳴った千勢を、秋川は一蹴する。
「黙れ千勢、これは武士の落としどころだ。悪意はないとはいえ、ただの町人が我が娘をとらまえて策に落とし込み自らを愚弄したとなれば、そのメンツにかけて『はいすいません』というわけにはいかぬ」
確かに、この後秋川の浮かぶ瀬はない。
捕まれば切腹も許されない獄門だろうし、ここまで話が大きくなっては逃げおおせることもできまい。
ならばいっそ、目明し風情に虚仮にされたその一点の汚名をすすぐうえで、この藤五郎を斬るというのがわかりすい始末のつけ方ではあるのだが。
いかんせん、藤五郎に全くひるむ様子はない。
「あっしはぜんぜんかまいませんぜ」
「そうであろうさ、腕は立つと聞いておる。よって手加減はかなわぬ、死んでも恨むなよ」
そう言葉を交わすと、藤五郎はのっそりと十手を手に取り、そのまま少しだけ腰を浮かした。
「よいのか」
「おたくの流派じゃ、斬り込む前に断るんで?」
「ぬかせ!」
そう叫んだ次の瞬間、秋川は一足の元に藤五郎に迫った。
はやい!
万が一のことを考え、五平は押し入れから飛び出し、千勢の着物をつかむと一気呵成にその体を引き寄せて抱え込む。
と同時に、藤五郎は秋川よりさらに早く、火皿に火種を落とした後の鉄砲玉の如く影も残さずに秋川に突進すると、頭の上に低く掲げた十手でそのみぞおちあたりを深く突き込んだ。
秋川の刀は振り下ろす間もなく中空に遊ぶ。
「ぐぅ、かぁ、じ、十手で、う、うけず、つきこんでくる。とは、な」
「旦那はあっしの通り名を何だと思っておいでで、あっしは」
そう言うと藤五郎は秋川の身体を床にたたきつけて見下ろした。
「牛ですぜ」
「合点……いった、わ」
そう言うと秋川は、ガクリと力を失い完全に沈黙した。
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