第3話
「ほぉ、これはまた鈍牛の大親分が出てくるとは意外ではないか」
大川端の料理屋、寒川で3人を待っていたのは北町の同心秋川小十郎であった。
大親分などと、侍である秋川の皮肉交じりの挨拶にも藤五郎はピクリとも動じない。
「そんなこたぁありませんよ」
と、軽く会釈しただけで恐れ入る様子もない藤五郎の振る舞いに五平は背中に冷たいものが滴るのを感じる。
「これはこれは秋川様、このようにお暑い中、御勤めの段まことにありがとうございます」
結果、五平の態度はそのせいでより卑屈になるのだが。
「別にお前にありがたがられる筋合いはない。して、そのガキはなんだ、五平」
まあ、そうだろうな。
五平は心中で独り言ち、その説明をしようとしたとき、いきなり藤五郎がぴしゃりとはねつけた。
「秋川様には関りのねえことでござんすよ」
言いながら藤五郎は、秋川と千勢の間に割って入るように身体を入れた。それを見て、千勢は藤五郎の身体を盾にして身を隠すと、その着物のたもとを絞るように握りしめる。
「ほぉ、拙者には言えぬこと、であるか」
藤五郎のあまりに無礼な様子に、秋川の声にピリリとした緊張感が走る。
「関わりのねえこと、と申し上げたつもりでござんすが」
そんな緊張感など、藤五郎には通じない。鈍牛の鈍い瞳の輝きは、同心風情の脅しで揺らぐことはないのだ。が。
五平はそうはいかない、結果、陸に上がった亀のごとく首を引っ込めてだんまりだ。
「まあ、しかし、とはいえこのようなところに幼子を連れてくるというのは感心せんな」
まったく、おっしゃる通り。五平は心中でそう答えながらもその場を取り繕う言葉をなんとか紡ぐ。
「いえね、預かった子供でございますんで、家に一人置いてくるわけにもいかないもんでして」
「それは異なこと、ならば長屋の隣家に預けるなど方法はいくらでもあるだろうに」
「秋川様、うちの親分がそんな心やすい隣人との近所づきあいなんてものをしているとでもお思いですか」
そこまで話して、やっと秋川は得心がいったようだ。
「さもありなん」
やっと秋川のこわばりが取れたと感じた五平がほっと胸をなでおろしたその時、台無しにするかのように藤五郎がでかい呟きを漏らす。
「秋川様こそ、えらくこの件にご執心のようで」
確かに藤五郎の言うとおりだ。
いくら北町の同心とはいえ、手下もつれずに一人でこんな所にいるのはおかしい。しかし、それこそ余計なお世話だ。同心が目明しに探索の理由を聞くのは許されても、その逆が許されようはずもない。
「それこそ、てめぇにゃ関りのねえことだ、なぁ藤五郎」
秋川の声に、いっそ怒気ともいえる色が乗る。
こうなるともう、五平がなにを言っても無駄だ。
「ええ、おっしゃる通りです。ですがね秋川様、浅草界隈での出来事はこの藤五郎の縄張りの内なんでさ」
そう言うと藤五郎は、秋川をぎろりと睨みつける。
「なにか知っているなら、教えていただきてぇもんですなぁ」
対して秋川も、小なりとは言え一端の役人、動じることはない。
「何も知らぬ。お前にとってここが縄張りであるように、わしにとってもここはねぐらの近くだ、気になってもおかしくはない」
そう答えたこの男。
役人連中のなかでもひときわ噂に登ることの多い御仁で、ほとんどの同心が八丁堀に居を構えている中、この寒川から歩いてほんの少しのところに常磐津の師匠と住んでいるという変わり者。そしてそれは、当然藤五郎も五平も承知の上だ。
「さいですかい、で、燕の彫り物は本当にこれまでと同じで?」
「ああ間違いない、この目で確かめた」
「ふうん、秋川様がそういったことに目利きとは存じませんでしたが」
「目利きではないが、見ればわかる、その程度の違いだ」
秋川がひるんだとみるや、藤五郎は矢継ぎ早に質問を飛ばす。
「で、死んだのはいってぇどういうやつで?」
「それも含めて五平に伝えたのであるがな」
「そこのそれは芯が馬鹿なんで、要領を得ない時もあるんで」
ひどい言われようだな、まったく。
五平は顔をしかめるが、藤五郎がそれに気をとめることはない。
「さようか、うむ、まあこの店の住み込みの奉公人で、流れ板をやっておった忠兵衛という小男でな」
「お知り合いで」
「知らぬ、この店には入ったこともない」
「亡骸は調べたんで?」
「わしは調べてはおらんよ、ただ背中から一刀のもとにバッサリだったそうだ」
そこまで聞くと藤五郎は「さいですかい」とつぶやくとほりほりと頬を掻き「ううん」とひとつうなって首を振るった。
そして。
「五平、帰ぇるぞ」
と一声かけると、秋川に乱暴な会釈を一つして千勢の手を引きながら店を出ていった。
「へ、あ、はい」
五平は、あわてて藤五郎の後を追う。
その後ろから「まったく苦労が絶えぬな、五平」という秋川の少しほっとしたような声が聞こえた。
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