第18話 家畜



「う……トイレ……」


 俺はベッドから下り、靴を履いて部屋を出た。そして宿の一階に移動し、共同トイレの男と書いてある入口から中へと入った。そして強烈な匂いに顔をしかめつつ、左側にある等間隔で穴の空いた箱型の長椅子を横目に右側の壁の前に立って用を足した。


 この壁の下には傾斜した側溝が掘ってあり、外へと流れるようになっている。


 ちなみに左側にある箱型の長椅子は便座だ。等間隔に空いている穴の上に座って大をする。囲いなんてものはない。昨日の晩にこのトイレで宿泊客のハンターと商人らしき人が隣同士で座り、用を足しながら談笑している姿を見た。下半身丸出しでだ。


 それだけならともかく長椅子の下に置いてあった、木の棒の先端にボロ切れの付いている物を水桶につけて尻を拭いていた。そしてそれをまた元の場所に戻した。共用という事なんだろう。その光景に俺はショックを受けて出るものも出なくなった。


「臭い……お腹痛い……」



 東街にたどり着いて翌日の朝。


 俺は街では良い方の宿に泊まったにもかかわらず、最悪の朝を迎えていた。


 昨夜は宿を探しながら、露店や様々な店に入って買い物をした。買った物は調味料とロープなどの小道具に、部屋着になりそうな服と下着を複数。そして大きな背嚢はいのうとブーツだ。今履いてる靴はビジネスシューズなのに何故か脱げないし破れないし、そして走りにくさも感じていなかった。しかしそろそろ洗いたいと思ってブーツを買った。


 下着はまあこの世界にゴムがないのか、綿っぽい物でできたトランクスを紐で縛るタイプの物を買った。部屋着も同じ生地のシャツとズボンを上下セットで3着買った。麻の物もあったけどアソコが常に刺激されそうだからやめた。綿は麻に比べてかなり高いうえに、古着しか無かったけど我慢だ。


 そうそう、店には女性の下着もあった。こっちは毛や綿っぽい物でできた紐パンや、太ももくらいまでのステテコのような厚い生地の物があった。多分これは生理用だと思う。色はベージュしかなかったけど紐パンいいよな紐パン。


 一通り買い物を終えだいたいの通貨の価値がわかった俺は、しばらく滞在できるほどのお金を持っている事がわかり心に余裕ができた。


 通貨の価値はあくまでも感覚的にだけど、日本円にするとこんな感じだ。


 鉄貨   10円

 銅貨   100円

 小銀貨 1000円

 銀貨   1万円

 金貨   10万円

 白金貨 100万円


 このことからEランク魔石が一個5千円で、Dランク魔石が1万円。Cランク魔石が5万円くらいじゃないかと思う。でも物の価値が日本とは全然違うから、もしかしたらこの倍くらいの価値があるのかもしれない。


 それというのも武器防具はともかく服がべらぼうに高い。でも食い物は一食銅貨2枚くらいだし、宿も安い宿だと食事なしで一泊小銀貨1枚から2枚。普通の宿で3枚程度なんだよ。これでも滅びの森が近く、この世界では最高に稼ぎの良いハンターが集まる街だからかなり物価が高いらしい。


 ああ、ちなみに例の治癒水なんだけど、下級が個数限定で銀貨5枚だった。そして中級が金貨5枚で、上級に至っては白金貨2枚だった。恐らく下級はハンターが死なないように安く販売しているんだろう。死なれて数が減れば中級以上が売れなくなるからな。


 しかしそれにしても高い。無茶苦茶高い。どうも教会ってとこが作ってるらしいが、金貨5枚。50万円もする中級は下級に比べ治癒力の速度がかなり上がるらしい。重傷を負った時にすぐ飲めば一命を取り留めることができるそうだ。


 上級に至ってはさらに即効性があり、どんな重傷でもその日の内に治すらしい。それが骨折でもだ。ただ、四肢などの欠損は治せないそうだ。


 うーん、そう考えれば高くはないのかもしれない。でもとてもじゃないが上級治癒水は手が出ない。


 それにこの世界では稼ぎの良いハンターでも、下級治癒水ですら安定して買えるようになるのはブロンズランクかららしい。それまでは装備代やメンテナンス費用で極貧生活を送るそうだ。治癒水なんてなかなか買う余裕は出てこない。チートがなかったら、俺は間違いなくその生活をしていただろう。その前にあんな水場のない場所スタートじゃ、この街に辿り着く前に死んでたか。


 その俺の所持金だけど、買い物をした後でも金貨4枚分は残ってるからこの街で数ヶ月は生きていけると思う。


 それはそうなんだけど……


「風呂の文化はねえし街は不潔だしトイレは最悪だし……森の中の方が健康に過ごせるんじゃないか? 違う意味で命の危険はあるけど……」


 俺は四畳半にベッド一つだけの部屋に戻り、1日目にして街での生活に嫌気がさしていた。


 俺が贅沢なだけなのはわかる。この世界ではこれが普通なんだ。でもこの世界で俺は、数日前まで日本にいた時と同等の部屋に住んでいたんだ。小銀貨5枚の宿だけあって食事は美味いけど、それ以外がダメダメ過ぎる。特にトイレが!


 昨夜怖いもの聞きたさでもっと安い宿のトイレってどんなのか宿の人に聞いたら、普通に『壺ですけど? 』って答えが帰ってきた。どうやらああして木の椅子に座るトイレは良い設備に入るそうだ。一般家庭や普通の宿は、壺の上にしゃがんで用を足すんだと。


「無いな。トイレだけは無いわぁ」


 森の中なら壁と土の便座を作ってここより快適に用を足せる。尻だって乾かしたウエットティッシュと、濡れたままのウェットティッシュで綺麗に拭ける。


 これは用を足すために森に行くしかなさそうだ。


「こんなこと5日も続けんのかよ。シュンランさん早く帰ってきてくれ」


 俺は憂鬱な気分のまま宿の一階にある食堂へと向かった。


 食堂に着くとハンターらしき獣人や、同じく獣人と人族の商人らしき人たちがそれぞれの席で談笑しながら食事をしていた。俺は手前にある二人用の丸いテーブルに座り、キッチンに向かって手を振った。


 すると狸の耳をした恰幅の良いおばさんが、おはようと笑顔で言いながらパンとスープを運んできてくれた。


 俺はおはようございますと返し、野菜と肉を挟んだ固いパン頬張った。


 美味い。どんな調味料を使ってるのか後で聞こう。


 そんなことを考えていると、隣のテーブルにいたハンターらしきライオンの耳にヒゲモジャの男と、狐耳の男の会話が聞こえてきた。


『昨日の特別招集は結果的に間に合わなくて良かったかもな。あと半日早く帰ってきたら受けてたかもしれねえな』


『なんでだ? 今日帰ってきた奴らは皆悔しがってたぞ? 』


『それがよ。昨日ギルドでオーガの目撃証言があったって聞いたんだ。そいつは単独行動していたオーガで既に狩られたらしいが、これはもしかするともしかするかもしれねえと俺の勘が言ってんだよ』


『オイオイ、そんな話は初耳だぞ? もしそれが本当なら、オーガがオークを追って来た可能性があるじゃねえか。危ねえ危ねえ』


「あ、あの。お話中すみません」


 俺はハンターの会話が気になり、席を立って獅子獣人らしき男に話しかけた。


「ん? 人……いやハーフか。どうした? 何か用か? 」


「あの……オークの巣の近くでオーガが目撃されたのは、そんなに危ないことなんですか? 」


「そりゃオークはオーガの好物だしな。あと人間の女もな。オークもオーガも人間の女。まあたいていがハンターの女なんだが、さらうからな。オークキングがいるような大規模なオークの巣を、オーガが狙わない理由はねえだろ」


「好物……オーガも人間の女性が好きなんですか? 」


「ああ、オークと違い繁殖用じゃなく食用としてな。人間の女の肉は柔らかいからか好物みたいだな。しかも新鮮な肉がな。オーガは賢い魔物だが、肉の保存の仕方までは知らねえ。だから攫った女の足首を切断して、逃げれないようにして生かしておくんだ。その際にできるだけ太らし、食いたいと思った時に殺して食う。まあ家畜みたいなもんだな」


 うげっ! エグい……人間が豚や牛にやってることとはいえ、逆の立場になるとくるものがあるな。


 しかしオークは繁殖のために攫って、オーガは家畜にして食うために攫うのか。異世界ってほんと女性に優しくねえな。


「そうですか。だからオークを追いかけてオーガが巣に来る可能性があるとおっしゃってたんですね」


「まあな。今まで無かった場所にオークキングがいるようなオークの巣が見つかり、そのうえあんな森の浅い場所にオーガが現れたってことは、そのオーガはオークの巣を探していたって考えた方がしっくり来るからな。もしそうならオーガの群れがそのあとやってくる可能性がある。そうなったら……まああくまでも俺の勘だ。本当にただのはぐれオーガの可能性もあるしな」


 獅子獣人の男がそう言うと、同席していた狐獣人の男も頷いて相槌を打っていた。


「なるほど……」


 可能性としては半々て事か。


「まあ別にオーガの巣を潰すわけじゃねえからな。オーガキングが現れない限り全滅なんてことにはならねえよ。それなりに犠牲は出るだろうけどな」


「オーガキングって強いんですか? 」


 なんかまた不吉な名前が出たな。フラグ重ねまくりだろ。


「そりゃBランクだし手下のオーガも引き連れてるからな。単体相手でもゴールドランク(Bランク)のパーティか、シルバーランク(Cランク)の最低5パーティのレイドパーティでやっと倒せるような奴だ。ブロンズ(Dランク)の50人程度のレイドパーティじゃ手も足も出ねえだろ。まあ滅多に巣から出てこねえから心配する必要はねえよ」


 オーガキングは巣から出てこないのか。まあ王様っていうくらいだからな。巣で下っ端が持ってくる獲物を食べて悠々自適な生活をしてるんだろう。


「そうなんですね。教えていただいてありがとうございます。お食事中すみませんでした」


 俺は知りたかったことを聞けたので、そう二人にお礼を言った。


「いいってことよ。しかしお前初めてみる面だな。角なしで黒髪の半魔とは珍しいな。その腰の低さからいってこの街は初めてか? だったら心配すんな。ここでハーフを差別するような獣人はいねえよ。俺たちも昔は迫害されていた種族だからよ。何かわからねえ事があったら気軽に声を掛けてくれ」


「あ、はい。お気遣いありがとうございます」 


 俺はそう言って頭を下げて席に戻りった。


 露天や店の人たちもそうだったけど、この街にいい人が多いのは俺がハーフだと思われていたからか。獣人が昔は迫害されていたなんて知らなかったな。


 しかしオーガか……俺が狩った一匹がただのはぐれか、オークの巣を探しにきていたオーガなのかは分からない。でももしもオーガの群れがシュンランさんたちを襲ったら……


 オーガキングは滅多に外に出ないと言っていたから、たとえかち合ったとしても50人もいるれば勝てるとは思う。でも討伐に行ったのはブロンズランク(Dランク)のハンターがほとんどだと言ってた。オークとオーガじゃ強さが全然違う。オーガと戦うくらいなら、オーク5匹と戦った方が楽に思えるくらいだ。


 シルバーランクがシュンランさん以外に1パーティいるとはいえ、オーガの群れを無傷で撃退できるかはわからない。たとえ撃退できたとしても怪我をする可能性もある。


 いやいやいや、考え過ぎだろ。いくらなんでもオークの巣を討伐に行く途中でオーガにかち合うなんてどんな確率だよ。


 でも……もしも本当にオーガの群れが近くにいたとして、オークとの戦闘で疲弊したところを狙われたら? かなりヤバいんじゃないか?


 何よりやたら湧き上がるこの不安な気持ちはなんだ? レベルアップして第六感とかに目覚めたのか? それともフラグ神のお告げってやつか?


 俺は昨日のギルドの受付の男性の話と今の獣人の話を聞き、妙な焦燥感に駆られていた。


 ただの杞憂かもしれない。けど明日の朝にはオーク討伐が始まる。もしもオークとの戦闘の後にオーガに襲撃されたら、討伐部隊は壊滅状態になるかもしれない。その時にギルドが助けに行ってももう遅い。2日も距離が離れてるんだ。ギルドの救援部隊が到着する頃には手遅れかもしれない。


 そもそもギルドが救援部隊を送るかも分からない。オーガの群れの討伐なんて、シルバーランク以上のハンターを相当数集めないといけないだろう。場所だけ確認して後日改めてってなる可能性もある。


 どうする? とりあえず何があってもすぐ動けるように近くまで行くか? 少し危険だが夜通し進めばかなり近くまで行けるはず。


 けど、もしも何かあったとして、俺一人で行って何ができる? いや、怪我をして動けない人の救助くらいはできるな。その中にシュンランさんがいるかもしれない。俺ならドームを作って怪我人を守りながら、助けを呼ぶことくらいはできる。


 行くか。杞憂だったらそれでいい。途中でシュンランさんとすれ違ったら、偶然ですねとでも言えばいい。ストーカーと思われたら終わりだ。


 どうせトイレをしに森に行くつもりだったんだ。近くまで行ってみるか。


 俺はそう決心し部屋へと戻り、買ったばかりの背嚢にリュックやロープなど小道具を詰め込み装備を身に付けていった。


 そして宿を出て街の北の森の入口に向かい、再び滅びの森へと足を踏み入れたのだった。

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