第8話 会計課
私は今、会社の掲示板を見て、愕然としていた。廊下に貼られた掲示板には次の記載がされていた。
「右の者、本日付で会計課へ異動を命じる」
で、右の者というのが、
「営業部 綾瀬友香」
つまり、私ね。
一体どういう事。人事異動ってまず内示があるわよね。引継ぎとかあるし。朝会社に来たらいきなり異動命令ってどういう事。
事情を聴きにやってまいりました総務部。久保総務部長の前へ行き、訊ねる。
「一体、どういう事ですか、あの人事異動は本当ですか」
「綾瀬さん、落ち着いて。あれは私たちも驚いたんです。昨晩急に社長からメールが入ったんです。私たちも知らなかったんです」
「本当ですか」
久保部長がコクコクと頷く。気がついたら久保部長のネクタイを引っ張っていたらしい。すみません部長。そんなつもりは無かったんです。
久保部長へ頭を下げて、営業部へ向かう。社長に問い質そうにも日本にいないので無理だ。電話してもいいが、どうあっても覆らないだろう。恐らくお姉ちゃんだ。あの人がパパに何か入れ知恵したに決まっている。
「友香ちゃん、行っちゃ、やだよ」
「しぇんぱーい。私も行きたくないでしゅ」
水川先輩が私を抱きしめてくる。えーん。先輩と離れたくないよ。
「先輩、私が会計課に行っても仲良くしてくださいね。嫌わないでくださいね」
「それは約束できないわね。奴らは敵よ」
水川先輩の会計課嫌いはよっぽどの様だ。私と会計課どっちが大切なの。
「先輩、いろいろとお世話になりました。先輩の事は忘れません。いつまでもお元気で……」
「待ちなさい。ちゃんと引継ぎをして頂戴」
ちっ。ばれたか。流石、水川先輩ね。といっても一般職の私にはそんなに難しい仕事は割り振られていない。水川先輩から引き継いだ仕事ばかりだから、私が今、積み残している仕事だけ説明をしてしまう。
いよいよ、営業部を去る時が来てしまった。皆からはご愁傷様と言われ、送りだされた。この死への階段を登るのもこれで最後ね。今日からは死刑室の中での仕事よ。気合をいれなきゃ。
恐る恐る会計課の職務室へ入る。
「ようこそ会計課へ」
西園寺課長が出迎えてくれる。
「本日よりお世話になることになりました、綾瀬友香です。経理、会計の事はほとんど分かりませんが、頑張りますのでよろしくお願いします」
課の皆さんへ挨拶をする。営業部からの異動にも関わらず、皆さん暖かく出迎えてくれた。
皆さんからも自己紹介をしていただいた。
会計課は私を含め5人だ。
西園寺課長をトップにして、キャリア採用、33歳の宮澤さん(男性)。既婚者で5歳と2歳の二人の子持ち。現在、主任さんだ。
47歳、私と同じ一般採用の
最後は、27歳、キャリア採用の本郷さん(男性)。独身、彼女なしだそうだ。見た目は至って普通。可もなく不可もなくといった感じ。熱い視線を感じるわ。私を狙っても無駄ですよ。既に売約済みですよ。公表できないけど。
つまり、この中では私が一番年下ね。だったら、やることは営業部とさして変わらないはずだわ。お茶くみ、コピー、書類整理、電話対応。まずはこの辺りからかしら。
「来瀬さん、まず何からいたしましょうか」
同じ、一般採用の来瀬さんにお仕事を伺おうとした。
「綾瀬さん、綾瀬さんの仕事は私がお教えしますからこちらにお越しください」
西園寺課長からお声がかかった。
え、たっくん直々に教えてくれるの? 課長さんよね。大丈夫なのかしら。
「皆、それぞれの仕事があるので、手が空いている私がお教えするのが一番効率がいいんですよ」
私の心配に気付いたのか西園寺課長がフォローを入れてくれる。
お茶くみとかたっくんが教えてくれるの? 確かにお茶入れるの上手だけど、スーツを着てお茶を入れるたっくんを想像するとシュールね。
「それでは、こちらに座ってください。綾瀬さんには、各部署から上がってくる請求書の支払業務をして貰います。時には数億のお金が動きますので振込先の間違いには気をつけてくださいね」
えっ。いきなりそんな大きな仕事を振ってくるの? お茶くみは? コピーは?
「あのー。課長、お茶くみとかの仕事はしなくていいんですか?」
「そんなのはそれぞれ自分ですることになっていますよ。お客様が来られた時にだけ、お願いすることがあるかもしれませんので、その時はお願いします」
なんと、会計課ではお茶、コピー、書類整理はそれぞれ自分でするそうだ。じゃあ、部長の湯飲みを温めて、朝一番にお茶を入れたり、課長にはコーヒーを淹れたりしなくて良いってこと。会議のたびに数十部のコピーを取ったり、会議の後片付けとかしなくてもいいの? なんて良い部署なのかしら。自分の仕事に集中できるってことよね。
「それで、振込の方法ですが――」
いけない、いけない。しっかり聞いておかないと叱られちゃうわ。
真剣に説明してくれる彼の横顔を眺めながら、話を聞く。彼氏と同じ職場っていいわね。しかもそれを隠している状態。秘密の恋って感じで……。
そっと、デスクの下で彼の手を握ってみる。
「綾瀬さん、ちゃんと話を聞いてください」
「は、はい。すみません」
こ、怖い。怒られてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます