第26話 おかえり

日の出の時間も早くなり、日中の陽射しも少し暖かくなった。

ポカポカ陽気と少し肌寒い風がせめぎ合うなか、木々の蕾はどっしりと膨らみ、暖かい風が吹くのを今か今かと待ち望んでいるようだ。

芽吹きの季節、春にもうすぐなる。


この時期アレックスは、カレードの自宅で過ごしていた。


『サリチル酸C7H6O3、無水酢酸C4H6O3結合...。アセチル基吸着..。97%...98%...99%...エンド。...アセチルサリチル酸C9H8O4生合成完了..。...結晶化、瓶封入。...防腐...保存。』


キラキラ光る生成の魔法陣に化学式を描き記し、いつもの解熱鎮痛剤を作っていた。

薬師の仕事もここ2年の間に定着した。


もうすぐ、ネフィの学園の卒業式があるみたいだ。

ここ1年連絡を取ってないから確実な日にちは知らないが、街で噂を聞いた。

そのほかにも、ネフィの噂がここ最近たくさん飛び交っていた。


いわく、

ネフェルティ様は、王子に大事にされていないようだ。

ネフェルティ様は、夏の感謝祭ですごく素敵なドレスを着て、女神のようだった。

鞭1本で、牛追い祭りの暴れ牛を捕まえた。貴族の間では『牛遣い』と揶揄されてるらしい。

ネフェルティ様は、騎士科で一番強い。最恐の王子妃が誕生するのではないか。

ネフェルティ様は、魔術も右に出るものがいなく首席魔道士も返り討ちにしているようだ。

ネフェルティ様は、結婚後は王子妃であるが、特例で騎士団に席を置いて戦う妃になるようだ。

ネフェルティ様は、平民の娘に王子との逢瀬を邪魔されていて、王子は平民に入れ上げてるようだ。その平民は、回復魔法が強力で聖女と言われているようだ。

ご結婚後は、その平民を愛妾としておくのでは?可哀想なネフェルティ様....。

などだ。


学園の話なんぞ、普通は聞けない。閉鎖的な空間だからだ。

ましてや、平民街にまで噂が回ることなんて滅多にない。今まで生きてきて一度も街で学園の噂なんぞ聞いたことがなかった。

だから、これらの噂はネフィが意図的に流してると思われる。


アレックスは、自分へのメッセージだと勝手に思うことにしていた。


「それにしても、断罪されようと動く予定だったくせに、平民女を虐めてる噂がないじゃないか?あいつ、本当に断罪される気あるのか?」

アレックスは、薬を作りながら思案した。


現実では、ネフィは魔術師首席との魔術対決やエド様を虐め鍛えるのが忙しくて、ほとんど平民女を虐めていなかった。

たまに、婚約者の肩書きにキャンキャン吠えてくる平民女に煩わしい犬ねっと鞭で撃退をするくらいだった。


「隣国で傭兵?それとも、騎士団で騎士になる?どっちだ?今のままでいくと、騎士団に入って王子妃になったネフィ付きの近衛か?

俺、顔イケメンじゃねぇから近衛にはなれないなぁ。」


「まぁ、あと数日で俺の将来がどっちにしろ決まるか。家の掃除でもして荷造りしておこう。」


荷物整理を始めたアレックスだが、作りすぎた毒消し薬の過剰在庫を前にして頭を抱えるのだった。



木々の花がようやく5分咲きになった頃、それは急にやってきた。


アレックスは、この時期に王子妃についての新聞が出ないことを不思議に思いながら過ごしていた。

卒業パーティーで第2王子の婚約が内定になるはずだった。

しかし「婚約内定!式はいつになる。」って号外がいつまで経っても出ないのだ。

カレードは王都の隣だから、新聞の情報はすぐに出るはずなんだが.....。

うーんと、考えながら今日も荷物整理を淡々としていた。


チリンチリーン.....


店のドアが開いて、誰かが入ってきた。


「はーい。いらっしゃいませ〜。なんの薬が必要ですか〜?」


アレックスは、カウンターから顔をひょっこりだして入口を見た。

アレックスは、その人物を目視して、ひゅっと息を飲んだ。


ネフィだった。


光を背負ったネフィに後光がさし、どこか神秘的な邂逅だった。


アレックスは、しばらく放心していた。

だが、腰に手を当てたネフィが腰高な態度でニヤリと不敵な笑みを浮かべた瞬間、我に返った。


アレックスは、変わらない様子のネフィを見て胸が安堵でいっぱいになりホッとしたのだった。


「.......ネフィ。...元気そうだな?...おかえり....」

アレックスは、ほわっと泣き笑いのような顔をして再会を喜んだ。

暖かな春の日差しが直接アレックスの体の中に照らし眩くような、なんとも言えない充足感が胸の奥の方からじわりと漏れ出してきて切なくなった。


....ははは、....久しぶりのネフィだ....。

更に美人になったかな。髪も伸びたなぁ....懐かしいなぁ、ちゃんと腰にブルウィップ挿してある。

いつものネフィだ.....


アレックスは、ぎゅっと胸が鷲掴まれてどこか切ない気持ちになり感慨深く感動していた。


「...アレク....。ただいま...。」

ネフィも目を潤ませアレックスに声をかける。


互いにノスタルジックな雰囲気のなか再開を喜んだ.....が、次の言葉で哀愁の空気を思いっきり霧散させた。


「今日から、私ここに住むから!!」

ネフィがグッとサムズアップしてウィンクをかましてきた。


........。はい?今なんて言った?

......聞き間違いかな。


「え?今なんて言った??」

アレックスはキョトンとしながら聞き返した。


「ふふふ、やだなぁ。ネフェルティちゃん、アレクのこの店に間借りするのぉ。」

おわかり?とネフィは断られることは想定してないのか終始笑顔で押しきった。


アレックスは、当然困惑した。

いきなり何言ってんだ、コイツ?っと、胸にあった感傷的な気分が一気に吹き飛んで、怪訝な顔をした。

頭の中でぐるぐると目まぐるしく疑問が生じて、とりあえず浮かんだ順に疑問を次から次へと投げかけた。


「なぁ、俺は何から聞いたらいいかな?

まず、婚約はどうした?断罪イベントはどうした?乙女ゲームの世界はどうなった?隣国へ追放はどうした?傭兵になるのか?騎士になるのか?

俺は、どんな味方になればいい?どうしたら死なない?

なぜ、ここに住むんだ?ヴァンキュレイトの屋敷はどうした?

食事当番は?掃除当番は?お風呂に入る順番は?何を決めればいい?」


「うん、会えなかった1年分を話さないといけないね!ルームシェアなら役割分担も必要だよね。

うーん、ネフィ家事全般苦手だけどいいかな?

とりあえずまず、お茶でも飲もうか。さっきケーキ買ってきたから食べよう。

あ、その前にアレクの2階の寝室横の部屋もらうね。荷物たくさん持ってきたんだぁ。あ、でもベットは後で買いに行かないとないんだ。屋敷のベットめちゃくちゃでかいから置いてきちゃった。

それではお邪魔しまーす!そして、ただいまぁ!!」

ネフィは、大きな荷物を軽々持ち上げてトコトコとアレックスの横を通過して階段を登り始めた。


「.............。」

はっ!意識とんでた!


「ちょっと、待てぇいっ!!なに勝手にネフィの巣を作ろうとしてるんだ!俺、許可してねぇよ!」


「えー、だって店の前にいっぱい荷物あるよ?

とりあえず、中に仕舞わないとご近所さんの迷惑になるジャーン?

あっ!もしかして、物置の中にいかがわしい本があったりする!?

大丈夫だよ、私そんな本より際どい格好してSM嬢やってたんだから。

なんなら、水着でも着て画家でも呼ぼうか?私結構いい体してるよ?ふふふん♪」


「なっ!?何言ってんだ!?

女とは、貞淑であるべきだ!

つーか、鼻歌歌いながら荷物を勝手に運ぶなぁぁぁ!」


チリンチリーン....


「おや、取り込み中かね。

まぁまぁまぁまぁ!アレックス?

嫁さんもらったのかい?こりゃすごい別嬪さんじゃないかい!?

おったまげたの〜。」


「ハンナばあちゃん、違うんだ!嫁じゃないんだ!」

アレックスは、慌てて果物屋のハンナばあちゃんに否定の言葉を伝えた。


しかし、ばあちゃんは耳が遠いのかわざとなのかそのまま嫁認定を続ける。


「それにしても、キツそうな奥さんじゃのう。尻に敷かれる未来が見えるぞい、ふぉふぉふぉっ。こりゃ、街中の妙齢のおなごが泣くのぉ。」

ほれ、いつもの腰の薬をよこさんかい?とカウンターに瓶とお金を置いた。


「別嬪だなんて、ありがとう!おばあちゃん、よろしくね!私、ネフィ♪」

ネフィはネフィで、嫁設定に乗っかってタチが悪い。


アレックスは、目を片手で覆ってはぁーと天井を見上げた。


...こうなるんだよなぁ....。

ネフィは、いつも嵐なんだよ...。

拒絶したら、死の魔法陣が発動しそうだし間借りさせる一択しかないじゃないか。

でも、嫌じゃないんだよな....。

結局、俺はネフィに甘いんだよな。

しょうがないか...。


アレックスは、諦めて薬師の仕事をすることにした。

「はい、ハンナばあちゃん。いつもの薬だよ。だけど、ネフィは嫁さんじゃないからね。」


「ふぉふぉふぉっ。照れるんじゃないよぉ。2人で愛称で呼び合って、すごくイチャイチャ甘い雰囲気たっぷりじゃ!ちゃんと、宣伝してあげるから任せんしゃい!」

話を聞かずに、でわのぉっと手を振ってハンナばあちゃんが帰っていった。


アレックスは、懸命に手を伸ばして

「待って。ハンナばあちゃん!!本当に嫁じゃないんだぁぁぁっ!!」とハンナばあちゃんの背中に叫んだ。


「あぁぁぁぁぁぁぁ....。どうすんだ、これ。」

アレックスは、床にうずくまって頭を抱えた。


ネフィは、階段からトントン降りてきて

「アレク〜、この部屋にあったカーテン変えてもいい?もう少し日光が入らない厚手のカーテンにしたいんだけど?」と、今あったことがまるで自分は関係ないかのように普通に話しかけてきた。


「はぁぁぁ、ネフィ。

俺、今世も結婚できなかったらどうしてくれんだ?俺、自分の子供欲しいんだけど...。」

ゆっくりと顔をあげネフィを見上げ、結婚願望を語った。


「あー。アレク、知らなかったみたいだけど...なんというか、...言いにくいんだけど.....。」

ネフィが、神妙な顔で躊躇しつつ溜めを作りながら意を決したように、


「子供は、童貞では出来ないんだ!!」と、叫んだ。


「知ってるわぁぁぁっ!!!!」

アレックスは思わずバシッと頭をはたいた。


「だよね☆知ってるよね?

いやー、今世も30まで童貞拗らせるんじゃないかと思ってさ。」

ネフィは、頭をさすりながら、はははと笑った。


「まずは、嫁だ!

嫁を作らないといけないんだっ!

わかるか?ネフィが嫁っぽい認定になると、俺の運命の相手が素通りするかもしれないだろうっ!?」


「あははは!

素通りする時点で運命の相手じゃないね☆

何言ってんのさ〜。

大丈夫、私がいても運命なら奪略愛上等でかかってくるよ〜。

否定するのも疲れるから、笑っておくね!否定するなら、アレクが頑張って。」

ふふんとスキップするかのように引き続き荷物を運ぶネフィだった。



俺の嫁ぇ〜!!ギブ ミー よーめぇぇぇ!!

I don’t need you!!

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