1.8 逢魔ヶ山


 あまりのブラコンっぷりに思わず突っ込んでしまったウノに3人の注目が集まる。


 ――しまった、我慢できなかった……。


 師の背に隠れ、フードを深く被り、極力人との関わりを避けるように過ごしていたというのに。

 弟兵の強烈なまでの兄愛のおかげでパアである。


 もちろん、口に出してしまった自分が悪いというのは棚にあげた上で、だ。


 弟兵がグラッツとの握手を切り上げ、巨躯に張り付くように隠れるウノに詰め寄ってくる。

 背後からチラと様子を伺ったその隙に、すぐさま弟兵は鼻先が触れる寸前まで顔を寄せてくる。


「お、おわ! なんだよっ」


「ブラコンじゃ、ない。すべて事実に基づく正当な評価を述べたまでだ。お望みなら、評価の根拠となる功績を夜まで教えてやろうか?」


 後ずさるウノにさらににじり寄り、でこをドリルのようにねじり合わせてくる。

 男の顔が超絶至近にあるという精神的ダメージに加えての、この額への物理ダメージ。

 最の悪である。


「いた、いたたた、でこが、焼ける……!」


 なんとか弟兵を引き剝がすことに成功したウノは、深刻なダメージを受けたでこを両手で覆う。

 熱を持った皮膚がジンジン痛む。


「ふん、軟弱ものめ。この程度で音をあげるとはな」


「強がるのはよせよ。でこ、真っ赤だぞ。お前だって痛いくせに」


 腕を組み、ふんぞり返りながら仁王立つサムの額にドリルのダメージが真っ赤に刻まれている。

 あのドリル攻撃は発動者にも同じだけ被害を与える諸刃の剣のはずである。


 強がっているだけで、あれは絶対痛い。


「ふふん、俺の額は厚くて丈夫なんだよ。お前と一緒にするな」


「ああ、サム、しょっちゅう怒られてハイゼン教官にデコピンされてたもんなあ。あれは確かに厚くもなる」


 兄兵が頷きながら言った。

 その言葉に、額以外の部分まで赤くなっていくサム。


「ぷぷぷー。なんだよ、不名誉な産物じゃねーか」


「んなっ!? ち、違う! あれは、自らを鍛えるためにわざとやられにいっただけで……」


「ぷぷぷー。言い訳とは見苦しいぞー」 


 額の敵を取るため、ウノはここぞとばかりに弟兵に口頭で仕返す。

 師の背中に隠れながら、というなんとも格好のつかない仇討ちではあるのだが……そこは気にしないでいただきたい。


「くっ……! だいたいな、『もどき』のお前に言われる筋合いはない! 転生者は技を使って街に貢献すべき存在だというのに、それすらできない腰抜けなんてな……!」


「まあまあ、一旦落ち着こうぜ」


 グラッツが過熱していくウノとサムの言い合いを止めに入る。

 それに習うように油を注いだ張本人の兄兵も、


「グラッツ様の言う通りだ。熱くなり過ぎだぞ」


 と弟の肩に手をかけ、なだめる。


 まだ言い足りない様子ではあったが、尊敬する兄の制止とだけあって渋々口を閉じるサム。

 ウノは睨んでくる弟兵の視線をグラッツを障壁とすることで華麗にかわす。


 ――サムを『逃げるべきヤバい奴リスト』に加えておかねば。


 と今度からは出会う前に逃げることを誓うウノ。

 弟兵が門兵のときに森へ行かなくてはならなくなったら、別の門まで移動するのも覚悟の上である。


「んでも、南側とはいえ、朝から門のとこ突っ立ってなきゃいけねぇってのは、大変そうだよなあ」


 グラッツを挟み火花を散らす2人の気を逸らそうとするかのように、グラッツがあからさまに話を変える。


「いえ、人々の安心、安全のためですので。このくらいなんてことありません。――それに、こちら側は森しかないのでまだ気楽なものです。北の門兵に比べれば……」


 リックはそう返答すると、グラッツの背後に視線を移す。

 街のはるか北の空を切り裂くようにそびえる山へと。


 ウノもその山を見やる。


「――逢魔ヶ山……」


 朝日を受けてもなお暗く黒い山肌。

 生を感じさせない岩と土のみのその塊は魔物の巣窟であり、魔物の王が封じられているという。


 魔物――。

 ウノは1年前に遭遇してしまった、おぞましい怪物を思い出し身震いする。


 それ以来、この街周辺に魔物が襲来したという話は聞かないが、それでも北側の門を守らなくてはいけない兵の恐怖は計り知れない。


 山を見つめる4人の間にしばしの沈黙が落ちる。


「――んじゃ、俺たちゃ、そろそろ行くとするぜ。通ってもいいか?」


 グラッツは暗くなってしまった空気を破るように、明るい調子でそう言って2人分の通行書を差し出す。


「あ、引き留めてしまい申し訳ありませんでした! ――通行書、確認しました。近頃はあまり出没情報は聞きませんが、変異種には十分お気を付けください」


「おう。ありがとよ。リックと……サムも、頑張れよ」


「ありがとうございます!」


 綺麗な敬礼で見送る兄兵。

 兄に続くように不満顔の弟兵も敬礼する。


 2人の敬礼に大きく手を振って返すグラッツの横で、ウノはリックだけを視界に入れて会釈。


 すぐさま前を向き、ウノは深呼吸する。

 削がれた集中を取り戻すために。


 眼前に広がる木々の群れ。

 来たのは初めてではないはずであるのに、感じたことのないいほどの威圧で足がすくんでしまう。


 そんなウノに気付いたグラッツは肩を組み、


「だぁいじょうぶだよ。俺がいる。気楽にいこうぜ」


 と笑いかける。


 ――そうだ、グラッツさんがいる。


 それに、1年間欠かさず鍛錬を積んできたんだ。

 不安に思う要素はどこにもないじゃないか。


 まっすぐに森を見据え、覚悟を決めたウノに向かってグラッツは付け足すように、


「まあ、なんも狩れなくても、今日の収入がゼロになるだけだからよ。問題なし、だ」


「――全然気楽にいけないですよ!!」

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