1.9 迫りくる足音

 顔や腕にあたる小枝や草を鬱陶しそうに払うグラッツの後ろから、獣道を踏みしめるようにウノが続いて歩いている。


「ウノ、雷紛弾はちゃんと持ってきてるか?」


 グラッツが振り返ることなくウノに問いかける。


 巨体の影から付いていくウノは、足元にだけ気を配ればよいのでなんとも楽なもんである。

 心の中でグラッツの巨躯に大いに感謝しながら、


「前に貰った分、全部持ってきてます」


 と大剣を背負う背中に向かって返す。


 腰に下げた巾着を上から押さえ、中身を確認する。

 丸みを帯びた拳よりもひと回り小さい塊が3個ちゃんとある。


 ああ言っといて忘れてたらどうしよう、なんて不安が一瞬よぎったが、大丈夫そうである。


「もうちょいで見えてくると思うんだけどなぁ……」


 グラッツは遠くを眺めるように手をかざす。


 ウノも背後から顔だけ覗かせ前方を見てみるが、ひたすらに木々と草しか見えない。

 今のところ獲物になりそうな動物の姿も全く見えない。


「今日はどこを目指してるんですか?」


「前とおんなじとこ、だな」


「ああ、泉ですか……。え、泉ですか!?」


 飲み込みかけた言葉をもう一度吐き出すウノ。

 前回、グラッツの狩りを見せてもらったときもそこだった。


 その時、グラッツは教えてくれたのだ。

 この泉には――、


「鹿がよく水飲みに来る、って言ってたとこですよね!? 鹿ですか!?」


「おうよ」


 グラッツが親指を立てて肯定。


 初めての狩りでいきなり鹿だとは思っていなかったウノは目を丸める。


 なんとなく兎を狩るものだとばかり思い込んでいた。

 いや、兎であってほしかった。


 グラッツにそれとなく兎にしないかと持ち掛けてみるウノだったが、


「チッチッチ。兎はダメだな。単価が安すぎる」


 と即却下。


「雷紛弾1個買うのに少なくとも兎丸1匹分くらいはかかっちまうからな。狩れば狩るほど赤字じゃ、生活できねぇ」


「な、るほど……」


 生きていくために、稼ぐために狩りを習っているのだから、そう言われてしまうと返す言葉は何もなくなってしまう。


「それに、雷紛弾での狩りだと案外兎の方がやりにくいもんだぜ? 的がちいせぇし、すばしっこいからな。――お、見えてきた見えてきた」


 グラッツは足を止め、ウノに横に来るよう促す。

 促されるままに隣に立ち、目をこらす。


 はるか前方。

 木々に囲まれていないそこは、朝日を一身に受け森の中とは思えないほどに明るい。

 水面を反射する陽光がきらめいていて幻想的ですらある。


 そんな森のオアシスで優雅に水を飲み、座り込み、寛ぐ鹿が3頭。


「――うんうん、3頭か。上等だな」


 グラッツが満足げに呟く。

 野生の獣に気取られないようにトーンを落とし、囁くようにウノに指示を出す。


「いいか、10メートルくらいまで近づいて雷紛弾を投げる。粉が落ちきるのを確認してから剣で鹿様の首をブスリ、だ」


 静かに頷くウノ。

 なんともざっくりした説明だが、前のときに実際に見せた通りにやれ、ということなんだろう。


 獲物がもう見えるところにいるのだ。

 四の五の言っていられる状況ではなくなった。


 心臓の拍動を耳奥で感じるが、頭の芯は冴えていて周りが良く見える。

 忘れかけていたが、今日のウノは最高に調子がいいのである。


 ――鹿の1頭や3頭、どんとこいだ。こんちくしょ。


 半ばやけくそながらも腹をくくったウノは、獣道を外れ、道なき木々の隙間を歩みだす。

 手を大きく振りかざし、胸をとんと叩き、全身を使って『頑張れ』を表現するグラッツを置き去りにウノは進む。


 見つかってしまわないように、ゆっくりと、静かに。

 1歩1歩踏みしめる。


 鹿の表情が見えるほどに近づいたが、向こうはまだこちらには気づいていないようだった。


 ウノは巾着の中に手を差し込み、手榴弾のような物を取り出す。

 雷紛弾――これで獲物を足止めしてるうちに息の根を止める。


 ウノは木の影で息をひそめ、瞬きするのも忘れるほどに眼前の3頭に集中する。

 ピンに手をかけ、様子を伺う。


 我が身を狙う狩人がすぐ近くにいるとは知らない鹿たちは、優雅に、優美に身を休めている。

 水のせせらぎと、野鳥のさえずりだけが聞こえてくる。


 時がそこだけゆっくりと流れているようで、ウノはただ見入ってしまう。

 耳を震わせ、尾を緩やかに振り、瞳に陽の光を湛えるその姿は生命を感じさせ、泉の神秘的な雰囲気と相まってとても美しい光景だった。


 今からこの命を奪わなくてはならないのか。

 自分が、生きるために。


 ――ごめんなさい……。


 声に出さずに懺悔し、唇を噛みしめる。

 罪悪感を押し込むように俯き、そして命へと目を向ける。


 指に力を入れ、ピンをひと思いに引き抜く。

 すぐさま獲物めがけて腕をしならせ、手首を返し、放り投げ……。


 ――しまった……!


 掌をじっとりと覆う汗が、狙いを狂わせた。

 3頭の中心を狙ったはずの雷紛弾は、少し右の方へ外れて放物線を描く。


 急な飛来物に気付いた鹿たちは、折りたたんでいた細い足をのばし逃げようとする。

 だが、雷紛弾が地へと落ち行く中で爆ぜる方が早かった。


 パァン、と想像よりも軽い爆発音で四散する。

 それにより、半径2メートルほどの範囲に黄色い粉塵がまき散らされた。


 狙いよりも右に逸れたせいで、舞い落ちる黄色の粉を被ったのは1頭だけだった。

 他の2頭は、瞬く間に森の奥へと姿を消してしまう。


 粉を被った牝鹿は、全身を痙攣させながら倒れ込む。

 思うように動かない四肢をそれでも懸命にばたつかせ、逃げる意思を見せつける。


 雷紛を浴びると、電気ショックを受けたように全身が痺れ、体の自由がきかなくなってしまう。

 粉を浴びた量によって麻痺の強度も時間も変わる仕様であり、あれだけ浴びていれば数分は逃げられないだろう。


 ウノは剣をゆっくりと抜き出し、自由を奪いとったその獲物に近づいていく。


 鹿は命を奪わんと寄ってくる人間を見て、警戒に身をこわばらせる。

 真っ黒くまん丸いその瞳で、虚ろにでも光を宿したその瞳で、きたる死神を見つめる。


 そしてまた、思い出したように空をかくことしかできない脚で駆けようと抗う。

 迫りくる死から逃れるために。


 獲物の真横まで辿り着いたウノは横たわる命を見下ろす。

 牝鹿は痙攣しながらも懸命に空を蹴っている。


 柄を両手で握りしめ、切っ先を首筋にあてがう。

 狙いを定め、垂直に剣を持ち上げ、


「――ごめんなさい」


 勢いよく振り下ろした。


 ドシュ、と鈍い音と手ごたえ。


 最期までもがき抗っていた四肢がだらりと力なく地面へと落ちる。

 切り裂いた喉元から赤黒い液体が流れ出てくる。

 流れ流れ、ウノの靴をも赤く染める。


 ウノはただじっとその様子を見ていた。

 剣の柄から手を離すことなく、ただじっと、鹿の瞳から、光が消えていくのを――。

 

「ウノ! 右だ――!」


 背後からグラッツが叫ぶように呼び掛ける。

 ウノはその声で、息絶えた生物から意識を切り離す。


 顔をあげ右側を確認しようと首を回すが、認知するよりも早く、


「――う、ぐぁっ!!」


 茂みから飛び出してきた牡鹿の角がウノの太ももをかすめ、えぐる。

 仲間を襲った敵への、文字通り捨て身の反撃。


 バランスを崩したウノは横たわる初狩りの成果物の横に倒れ込む。


 角から血を滴らせた鹿がもう一度飛びかかろうと踏み込む。

 が、


「”雷神聖槍ゼウスランス”」


 ――ドォオン!!


 爆発のような雷鳴が轟いた。

 空気を裂くように稲妻が牡鹿へと落ちる。


 身を焦がすほどのそのエネルギーは、瞬く間に牡鹿を鹿の丸焼きへと変えた。


「ウノ! 大丈夫か!?」


 グラッツがあちこちに草や葉をひっつけたままで獣道から姿を現す。


「かすっただけなので、大丈夫です。――すみません、ありがとうございました……」


 波打つように痛む足を押さえ、俯き、グラッツの顔を見ることなく返答する。


「いや、ウノは悪くねぇ。何が『俺がいる』だよ……。くそっ、情けねぇ」


 グラッツがウノの右手に回り支える。

 師に体重を預け少しよろめきながらも立ち上がるウノ。


 右足のズボンが赤く染まっている。

 傷口から血が流れ、足を伝うのを感じる。


 出来ればおぶられて帰りたいくらいには痛かったが、自責し気落ちしているグラッツにこれ以上心配はかけたくない。

 強がればなんとか歩けなくはなさそうである……多分。


「ありがとうございます、グラッツさん。1人でも歩けそうです」


 痛みに耐えながら、辛うじて笑顔を浮かべグラッツを見る。

 グラッツの顔にはいつものような自信はなく、しおらしく眉は下がってしまっていた。


「すまねぇ、包帯でもありゃよかったんだが……そうだ」


 何か思いついたようにグラッツが上半身の服を脱ごうと手をかける。


「え、グラッツさん? 何して――」


 上裸になろうとする師を止めようとした時だった。


 けたたましい鳴き声をあげながら、鳥たちが飛び去っていった。

 何十、何百もの鳥たちが一斉に飛び立つ光景は明らかに異様で、ウノとグラッツは2人して空を見上げる。


「急に何が……」


 原因は何かと耳をすまし、辺りを見回す。


 遠くで僅かにドォン……ドォン……という音が聞こえる。

 その音に合わせて地面が微かに揺れている。


 そして、内臓を抉るような、この、咆哮は――。


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