1.7 2人の門兵

 まだ空が明るみ出して間もない早朝。

 鳥のさえずる声だけが遠くで響いている。


「ふん……ふん……ふん……」


 朝日の当たることない薄暗い裏道で、剣を振る少年がいた。

 ほの暗いその場において黒髪は保護色となり、うち振るわれる鈍色の刃が淡く光を反射している。


 昨晩、月に決意表明をした彼の胸の中はやる気に満ち溢れ、体中を程よく興奮と緊張が支配している。


「おかげであんまり寝れなかったけど……」


 だが、睡眠不足など毛ほども気にならないくらい冴えわたっている。

 柄を握る指一本一本の感覚が、伝達する神経が、すべてが研ぎ澄まされていく。

 空を裂く刃に血や神経が通っているかのように感じられる。


「うおぉ……今なら熊でもライオンでも倒せる気がする……! 多分、恐らく、あわよくば……」


 みなぎりすぎている自信と尻すぼんでいく可能性に苦笑しながらも、剣を振る手は止めない。

 心なしかいつもより素振りにキレが増しているように感じる。


 秋の近づきを微かに感じさせる爽やかな風が、額に滲む汗をさらっていく。


 空は快晴。

 心は快調。


 最高のコンディションだ。


「おうおう、朝っぱら元気だなぁ、ウノ」


 裏口から顔だけ出しそう声をかけてくる、寝ぼけまなこの巨漢。

 寝起きのままのようで、髪がいつも以上に荒れ狂っている。


「グラッツさん! おはようございます」


 ウノは背後からの呼びかけに剣をしまい応じる。


 その返答を聞くや否や、グラッツは隠すことなく大あくびして、


「朝飯食べたらすぐ出発するぞぉ」


 と言うと、店の中へと引っ込んでいった。


 ほぼ閉じたままの目で起きだすその姿は、とても”英雄”と呼ばれる男のものには見えない。

 どこにでもいるごく普通のお父さん、と言った方が似合うだろう。


「お父さん……か……」


 ウノはポツリと言葉を落とした。

 哀愁の笑みを、もうそこにはない師の姿に向ける。

 が、すぐに気を取り直し、元気で軽やかな足取りでトミーの店へと入って行く。


「腹が減っては戦はできぬってね」


 朝食に思いを馳せながら。


ーーーー    ーーーー    ーーーー 


 東西に延々とのびる石壁。

 高さ10m以上はあるであろう街の最南に存在する防壁の前にウノとグラッツはいた。


 ヴィエンデンバートルの南側はどこまで続くのかわからないほどに深く広い森が存在している。

 その森がウノとグラッツの目的地であり、記念すべき初狩の場ともなるわけなのだが、そのためには壁と壁を繋ぐように存在する門をくぐる必要があった。


 南側の門は非常時以外は開け放たれており、門兵に通行書を見せれば容易に通過することができる。

 はずなのだが、グラッツたちは門の前で足止めを食らっていた。


 というのも、


「早くからお疲れ様です! グラッツ様と朝からお会いできるとは、光栄であります!」


 2人いる門兵のうちの1人が、銃を横に掲げ直立の敬礼でグラッツを迎えた。


 彼とは、以前グラッツの狩りを見せてもらうために森に行こうとしたときにも会ったことがある。


 確か名前はリック。

 夏仕様の軍服とベストがよく似合う好青年。

 全体的に色素の薄い印象のうける風貌をしており、グラッツ崇拝が物凄かったのを覚えている。


 現に、今も彼の溢れんばかりの敬慕のおかげで門へ踏み入れることができていないのである。

 グラッツが、まんざらでもなく受け入れているせいでもあるのだが。


「よぉ、リックも朝から大変だなぁ」


 直立不動で敬意を示す兵に片手をあげて返す。

 もう一方の手は、噛み殺しきれなかったあくびを覆っている。


 グラッツからの言葉にリックは敬礼を解き、目を輝かせる。


「名前を覚えててくださったのですか! 光栄であります!」


 鶏ですら目覚めてないであろう早朝にも関わらず、憧れの人に会えた彼の声は元気いっぱいであった。

 近隣住民から苦情がきてもおかしくないくらいに。


 師が慕われているというのは、なんとも嬉しくむず痒い気分になる。

 前会ったときは、リックの演説に心の中で大いに賛同と喝采を浴びせたものである。


 だが、今日は前とは状況が違うのだ。


 ウノはグラッツの後ろでお馴染みの羽織に身を包み、隠れながらバレないようにげんなり顔。

 初狩りに緊張しまくりの身としては、青年に元気を吸い取られていくような感覚になる。


「グラッツ様に報告したいことがありまして……私事なのですが、グラッツ様に追いつくべく精進を重ね、遂に少佐に任命されたであります! そして、自分の右の者は……敬礼っ!」


 紹介しようとしていたもう1人の門兵に向かっての急な号令。

 隠すことなく怪訝を顔に表していた、リックよりも若いその門兵は表情を変えることなく銃を横に掲げ、覇気のない敬礼。


「申し訳ありません、グラッツ様! いつもはもっとちゃんとした奴なんですが……」


 若い方の兵が何を訝しんでいるのかはわからないが、品定めでもするかのようにグラッツを眺め、時折ウノにも視線と飛ばしている。


「彼はサム2等兵。昨日配属されたばかりの、自分の弟であります。――サム、こちらは”英雄”と名高いグラッツ様であらせられるんだぞ。もっと誠意をもってだな……」


「いやいやいや、リック、いいさ。英雄ってほど高尚な人間でもねぇしな。俺ぁ、今はしがない狩人の1人さ。――ええっと、サムだっけか? よろしくな」


 説教の皮を被った演説が始まりそうなリックの言葉を遮り、にこやかに手を差し出すグラッツ。


 兄弟、というだけあって、弟兵もまた全体的に色素薄い系男子。

 ではあるのだが、兄のリックよりも細く吊り上がった目元と表情が相まって好青年というより、憎たらしい少年という印象を受ける。


 サムなる弟兵は、グラッツのその手を一瞥し、


「――兄さんの方がすごい」


 と握手を返すことなく言う。


 昨夜の髭紳士に続き、またも握手を受け入れてもらえなかったグラッツは差し出した右手を虚空に突き出したまま肩を落とす。


 そんなグラッツを無視して弟兵は続ける。


「兄さんは訓練兵のとき主席だったし、守護兵軍で最年少の少佐にもなった。20年前はすごかったのかもしれないが、今は絶対に兄さんの方がすごい。――なんせ、兵士になってすぐに、たった1人で変異種の襲撃から街の人を守ったことだってあるからな」


 リックがグラッツと語るときと同じ瞳の輝きで、自分の兄がいかに優秀であるかを語りだす。


「サム! お前はまたそんな……」


 弟の演説に困り顔の兄はたしなめるように口を開くが、それにも耳を貸すことなくさらに続ける。


「兄さんが毎日話すからどんな方かと思っていたんですが……あ、安心してください、兄さんがすごすぎるだけなので。――ということで、よろしくお願いします、グラッツさん」


 悠然と語り終えた弟兵は、笑顔でグラッツの右手を握る。

 兄への賛美に気圧されていたグラッツは小声で「お、おう」とだけ漏らす。


 サムのその笑顔は兄のリックそっくりで、さすが兄弟、なんて思う。

 じゃ、なくて、


「――超絶ブラコンじゃねーか!」

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