1.6 決意の御旗
トミーの店の2階。
ベッドと服の入れてある木箱で部屋のほぼ全ての床面積が埋まってしまっているこの部屋が、ウノの自室であった。
もとは来客用だったらしいこの部屋に「来客なんてほとんど来たことないから気にしないでね」と言ってトミーは快く受け入れてくれたのである。
そんな居候歴1年のウノ少年は眠るでなく、ベッドの上に座り込んでいた。
肌身離さず羽織る、濃紺の布を脱いだだけの恰好であるが、これがウノの就寝着も兼ねている。
無一文で見知らぬ世界へ放り出された少年には、寝巻きなどという優雅で贅沢な服を持つ余裕など無いのは当然のことである。
彼にとっては、雨風をしのげ、ましてや温かく柔らかな布団の中で1日終えられること、それだけで十分優雅で贅沢なことなのだ。
足を抱え込むような体勢のウノを窓から差し込む月明かりが照らしている。
ウノはモソリと顔をあげ、あと数日で満ちるであろう月を瞳に写す。
1年前、この世界にやってきた日。
稲妻を纏い、雷神のごとく現れ、ウノを魔物の脅威から救ったグラッツ。
それだけでなく、深手を負っていたウノに治療を施し、剣術や狩りの術を授けることを自ら申し出てくれた。
もちろん、トミーの店に居候させてもらえるよう取り合ってくれたのもグラッツである。
グラッツには感謝してもしきれず、返しきれないほどの恩がある。
そんな師のことを卒業文集の将来の夢の欄に『グラッツさんみたいな大人になりたいです』と書いてしまいそうなくらいには尊敬している。
恥ずかしくて絶対に口に出しては言いたくはないけれど。
膝を抱えていた手を離し、後ろに倒れ込む。
あまり弾むことなくウノの上半身がベッドに受け止められる。
腕を目の上に乗せ、暗闇の中で夕食の時のやりとりを思い出していた。
傭兵協会へ戻るよう歓説するサムネルと、それを拒否するグラッツのやりとりを。
グラッツが元々傭兵協会なるところに所属していたのは、こちらの世界に来てすぐのとき聞いたことがあった。
その時も『傭兵の仕事には飽きたから辞めた』というようなことを言っていたと思う。
少し気になったのは『1年前も散々言ったが』というグラッツの言葉。
グラッツがいつ傭兵協会を抜けたのかは聞いたことがなかったが、口ぶりからてっきり数年前だと思い込んでいた。
身をひそめるので精一杯で店では気付けなかったが、脱退したのが1年前なんだとしたら――、
「傭兵協会抜けた原因、俺、だったりするのかな……」
1年前、と言われれば嫌でも頭に浮かんでしまう。
転生したての少年を弟子にするためだという可能性。
傭兵協会に所属したまま、ウノを弟子にしなかった理由はわからない。
が、想像はできる。
ウノの持つ”
ただし、自らの命を差し出すことが発動に必須という鬼畜な条件付き。
過去に同じ必殺技を持つ者もいたらしいが、使われたことはない。
それもそうだ。
他人のために進んで命を投げ出す奴なんていない。
転生者を転生者たらしめる必殺技が使えない以上、『転生者もどき』だとか『落ちぶれ転生者』などと言われても仕方ない、と、思う。
「思うけどさぁ……」
欲しいと願って手に入れたわけではないのに理不尽だ、とも思うわけで。
なんて、今まで何度ぼやいたかわからない不満はさておき。
転生者にとって唯一の強みである必殺技が、敵を必殺するどころか自分を必殺するポンコツ仕様。
おまけに体力も筋力も平凡で、体術の心得はなく、剣どころか包丁すらまともに握ったことのない少年。
誰が傭兵として雇いたいと思ってくれるだろうか。
こんな少年、自分が採用担当者だったとしても即不合格にする。
だから、傭兵になれない不憫な少年が気を使わないよう、『狩人の弟子』という肩書をわざわざ用意して、受け入れた。
「――なんてな」
笑けてくるほど自己中心的で都合の良すぎる妄想。
だけど、グラッツならそうだとしてもおかしくない。
そう考えてしまう自分がいる。
「明日は、狩り、か……」
事実はどうであれ、今のウノの肩書は『狩人の弟子』なのだ。
明日の初狩りに集中するべきだろう。
そのためにも、早く寝た方がいいのはわかっているが、思考が巡りすぎて眠れない。
目を閉じ、無心になろうとすると響いてくる。
『”英雄”の弟子が『落ちぶれ転生者』とあっては、あなたの名も廃りましょう』
『技を発動できるほどの英傑に育て上げるつもりであれば別ですが……』
「――んああっ! くそっ! ちょっと黙っててくれよ、髭じじいめ! グラッツさんはそんなことで廃れたりするような人じゃないんだよ!」
耳に張り付いたサムネルの言葉が、奮い立ったばかりのウノの心を折ろうとすり寄ってくる。
「こんっのやろっ……!」
ウノはすり寄る言葉から逃げるように勢いよく起き上がり、ベッドの横に置いてある箱に向かい合う。
そして、木箱の底に手を突っ込むと、ある布切れを取り出した。
転生してきたときに着ていた、前の世界からの手土産。
ボタンは1つしかなく、あちこちが裂け、破れ、傷んでいる黒いそれは、とても服と形容できるものではない。
もはや本来の勤めを果たすことの叶わないその布を、ウノはそれでも大切にしまっていた。
これは戒めなのだ。
2度目のこの人生で、目的を違わないように。
彼の腕に抱かれる服だったものは、全てから逃げなかった『前世』での結末なのだ。
何もかもが裏目にでて、頼れる人は誰もいないことだけがわかり、生き方がわからなくなった。
“生きる”ことから逃げる、それしか道がなくなってしまった。
そんな哀れな少年の1つ目の物語の唯一の証言者。
この2度目の命からは逃げない。
他の何から逃げようとも。
そう、この布切れに、誓ったのだ。
ウノは小さく長く息を吐きだし、強く強く抱きしめる。
決意を胸に刻み付けるように。
しばらくその体勢のまま瞑目していたが、「よし」と目を開き、木箱に決意の御旗を戻す。
自らの両頬を強く叩いて気合を入れ直すと、
「安心しろ、俺。俺には、優しさの塊のトミーさんがいるし、レオナさんという頼れる姉御もいるし、――酒飲みで自信過剰ですぐ怒るけど超カッコよくて超憧れの大師匠、……グラッツさんだっている」
トミーが握った手が、レオナが活をいれた背中が、グラッツが撫でまわした頭が、あったかい。
3分の2は腫れとか摩擦熱とかのせいな気がしなくもないが……。
だとしても、だ。
前の時とは違う。
こんなにも頼れる人たちがいて、そして、生きていたいと心の底から思えているのだ。
「逃げて何が悪い。逃げ腰上等! 逃げて逃げて逃げて、ありとあらゆるスネをかじりまくりながら生きてやる」
誰もいない部屋で、月を指さしながら高らかに宣言。
内容はなんとも情けないが、そんなものは関係ない。
「技が使える英傑だぁ? そんなもん誰がなってやるかってんだ、このやろ。俺は1000人死にかけようが、絶対死んでやらん」
生きたいと心が願うから。
それを肯定してくれる人たちがいるのだから。
「――明日は、狩りだ」
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