1.5 その掌は
「たっだいまぁ!」
「ただいま、です……」
トミーの店の入り口からグラッツが元気よく入場。
その後ろから顔に疲労の色を浮かべるウノが続く。
カウンターの内側でグラスを磨いていたトミーは手を止め、「おかえり」とにこやかに応じた。
決して狭いわけではないこの店に、客席はテーブルとカウンター合わせてたった4人分しかない。
店の空間の大半を占めるのは、ありとあらゆる種類の酒瓶が並ぶ棚であった。
ランプも席よりも酒棚を照らすために配置されており、酒を飲むための空間とは言い難い。
雰囲気はバーというより酒屋、もしくは酒の展示場である。
そんなトミーの店は、”趣味の結晶”なのだといつだったか言っていたのを覚えている。
グラッツは揚々と定位置のカウンター席に座り、ウノは入ってすぐのテーブル席に身を預けるように座り込む。
そして「ふぅうう」とウノは大きく溜息。
少し痛む頭皮と尾を引く気持ちの悪さに、現在進行形でライフを削られている。
――せっかくのステーキが……。
グラッツが近くの家の戸を叩き、水を貰って飲ませてくれたため、いくらかマシではあるのだが。
三半規管に負ったダメージは大きい。
もし将来髪が薄くなったら、グラッツの髪も道連れにしてやろうと心に誓う。
――すでに100本くらいもってかれてそうだけど……。
ウノは自分の頭に恐る恐る手を伸ばしながら慨嘆。
抜けた髪は戻らないのだ。
涙ながらに相棒たちに別れを告げ、心の中で供養する。
別れを惜しみ傷心に浸る少年に対し、戦犯のグラッツの方はご機嫌な様子。
というのも、水を貰いに行った時に、
「グラッツさんですか!」
「握手いいですか!」
とその家の住人たちに予想だにしなかった歓迎を受けたためである。
髭紳士が握手を拒否したのも根に持っていたようで、それはそれは嬉しそうだった。
グラッツのおかげで気持ちが晴れたことは間違いないが、グラッツのせいで気持ち悪くなったのも間違いないのだ。
そんな中、嬉々としてファンサに勤しむグラッツを目にして、沸々と湧き上がる感情があったとも仕方がないというものだろう。
「今日は少し遅かったんだね。レオナさんと話が盛り上がったのかな?」
トミーがウノの座るテーブルにミルクの入ったコップを置く。
グラッツへの恨み節を中断し、トミーに「ありがとうございます」と告げミルクに手を伸ばした。
「いやいや、違うんだよ。ウノがよぉ帰りに……おぅっと、すまねぇ、トミーさん。帰り道でウノの身に何があったのかは想像してくれ。俺からは言えねぇや」
ミルクをすすりながらジト目で見てくるウノに気付いたグラッツは、途中で言葉をはぐらかす。
「――毛根の恨み、末代まで……」
「ウノ!? なんか小声で怖いこと言わなかったか!?」
思わず漏れたウノの言葉に、グラッツは大袈裟に戦慄顔。
ウノの向かいに座ったトミーは、2人の顔を交互に見やると「ふふ」と笑みを零す。
「君たちがいると退屈しないね」
楽しそうに優しく笑うトミーを見て、ウノの心中も少し穏やかになる。
ジト目攻撃が緩まったのを感じたのか、すかさずグラッツが「んでよぉ」と話を変える。
「明日、朝からウノを連れ出したいんだが、いいか?」
「ええ、わたしは構わないよ。買い出しには行こうと思ってるけど、買っても酒瓶1、2本の予定だからね」
グラッツのその申し出に、トミーは快諾。
買い出しの荷物持ちがウノの日課なのだが、それに断りを入れる理由は察しが付く。
カウンターに頬杖をつきながら、にやりと笑いかけてくるこの男は、毛根の仇である前にウノの師であるのだ。
「鍛錬をみてくれるんですか!」
ウノの瞳が喜びに染まる。
普段グラッツは狩りに行ったり、住民からの依頼を引き受けたりしていて数日帰らないことも珍しくない。
それ故、付きっきりで指導してもらっているわけではない。
前にみてもらえたのは2週間以上も前のことである。
もちろん、その間も自主的に毎日鍛錬を積んではいるのだが、師に直接指導をもらえる機会は貴重なのだ。
嬉しくないわけがない。
「おおっと、明日は鍛錬よりももっとすごいぜぇ? ウノ、初めての狩りの巻ってな」
「『初めての狩りの巻』……?」
ウノは首を捻りながら師の言葉をオウム返し、咀嚼する。
そしゃく、そしゃく、そしゃく……。
「俺が狩るんですか!?」
その言葉にグラッツはVサインで肯定。
ウノは「か」の口のまま呆然とフリーズ。
いつかはその日が来るとは思っていた。思ってはいたんだが――。
「急すぎませんか!」
ーーーー ーーーー ーーーー
ウノはぬるくなったミルクをちびりちびりと舐めていた。
喜びを湛えていた瞳には、暗い影が落ちている。
無表情で思案に耽るその少年の向かいには、静かに本を開くトミーが座っていた。
店内にグラッツの姿はない。
「寝坊するなよぉ」
とだけ言い残し、戸惑う弟子を置いて鼻歌まじりに自室へと入って行ったのだ。
別に狩りに行くと告げられたのが嫌だったわけではない。
むしろ、狩りを認めてもらえるほどの師からの信頼と期待は素直に嬉しい。
実際、読書中のトミーの迷惑も考えずに、小躍りを始められそうなくらいには喜びに打ち震えている。
だけど、その歓喜と同じか、それ以上に不安と自分の能力への疑心も湧き上がる。
うまくできなかったら? 教わったことが何も生かせなかったら?
――師の足を引っ張るだけの男だと見限られてしまったら……?
グラッツがそんな人ではないと理解しているはずなのに、悪い方向にばかり考えてしまう自分が情けない。
まだ少しヒリつく頭皮が訴えかけてくる。
師からの愛を。信頼を。
だからこそ怖い。
期待を裏切ってしまうことが。
喉につっかえた弱音を押し込むように残りのミルクを飲み干す。
だが、喉の奥のわだかまりは消えない。
コップが空いたことに気付いたトミーが、『解説・世界の酒』と書かれた本を閉じた。
肩を落とす少年を見つめるトミー。
その視線に気づき、
「ミルク、ごちそうさまでした」
と取ってつけたような薄ら笑みを顔に貼り付ける。
そんなウノの様子に何を思ったのか、柔らかな笑みを浮かべ、空のコップではなくウノの手を握った。
不意のトミーの行動に、驚き目を見張る。
トミーはウノの手を指を平を慈しむように包み込み、
「わたしは初対面の人と会ったとき、まず手を見るようにしてるんだよ」
囁くように、なだめるように、子ども寝かしつけるようにウノに語りかける。
少し青みがかった緑の双眸で少年を見据え、優しく手を撫でる。
「毎朝、早くから起きて素振りをしていること。欠かさず走り込みをしていること。疲れているだろうに、嫌な顔せずわたしの買い物に付き添ってくれてること。全部ちゃんと知っているよ。わたしも、もちろん、グラッツくんもね。――見てごらん、君の掌は、こんなにも厚く、逞しい」
「トミー、さん……」
絞りだされたその声は、震えてしまっていた。
トミーの握ってくれている手があったかい。
そこからじんわりと広がるように、体中があったかい。
つんと鼻に込み上げてくるものを押し込むように目を瞑る。
大きく息を吸い、吐き出す。
力強く目を開き、トミーに向き合う。
「ありがとうございます、トミーさん」
その言葉にトミーが微笑みを返す。
――うん、大丈夫だ。
胸を塞ぐものはなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます