1.2 “上位種”という肉

「グラッツさん」


 ウノは相変わらず地に身を投げ出したまま、そう言った。

 “グラッツさん”と呼ばれた影は、ウノの足元に回り込むと、手を差し伸べた。


 浅黒く焼けた肌。

 衣服に覆われている部分ですらも、その存在を主著してくるほどの筋肉の隆起。

 ウノの胴ほどの大きさの剣を背負い佇むその姿は、薄暗い裏道で初めて出会ったなら我が命ここまでと諦めてしまうほどの威圧を放っていた。


「ここで寝たら風邪ひいちまうぜ、ウノ。おっと、これまたすんごい格好だな。――んお、ビールの匂いまでしやがる。こりゃひでぇや」


 ウノを軽々と引き起こすほどの巨躯を持ちながらも、飄々とした話し口と無造作に伸びた髪と髭が幾分か雰囲気を和らげている。


「ビールが降ってきたんで、日向ぼっこして乾かしてました」


「日向ぼっこ、日向ぼっこねぇ……」


 ウノがあまりに真面目な顔をして言うものだから、グラッツは太陽の“た”の字も感じられない裏道での日光浴に関して、つっこむべき冗談なのか悩むのだった。



 転生者に寛容な街ヴィエンデンバートルではあるが、突然の来訪者を温かくもてなすほどの歓迎っぷりというわけではない。

 命絶えたと思ったら、見ず知らずの異世界と形容するしかない場所で目覚めることになる転生者は、どんな必殺技を持つものであってもまずは衣食住を自ら確保しなくてはならない。


 街の大方の人々のスタンスとしては、『魔物倒してくれるなら街にはおいてやる。あとは自力でなんとかせい』という感じなのである。


 約1年前、ヴィエンデンバートルで目を覚まし死にかけることとなったウノも例に漏れず、生活基盤はもとより命も危ない状態であった。

 そんなウノの前に神のごとく現れ、命の危機を救うのみならず、師弟として共同生活まで持ち掛けてくれたのが、このグラッツという男だった。


 そんなこの世界での父とも呼べるような存在に対して、


「サンドバッグにされた挙句すってんころりんと転んじゃいました、てへ」


 とは一目瞭然の状況であろうと言いたくはないというのがウノの心情というわけであった。


 

「今日は“陽熊サンベアー”を狩れたんだぜ」


 土の中から掘り起こしてきたかのように泥だらけの羽織のフードを深々と被り、俯いて歩くウノの横で、グラッツが独り言のように口を開いた。


 狭い道にザクザクという二人分の足音だけが響く。


 数メートルほど進んだところで、ウノは今ようやっと声を認識したかのように顔を上げた。


「“陽熊サンベアー”、ですか」


 もうウノからの反応はないものだと諦めたように口を結んでいたグラッツは、突然の返答にくしゃりと笑顔を浮かべながらウノの顔を覗き込む。


「おうよ。こおぉぉんなでっかいやつだったんだがな、出会って10秒で仕留めてやったぜ」


 いや、もっと大きかった、こんなだ、と巨体全部を使って今日の収穫を説明する様子はさながら貰ったプレゼントを一生懸命に自慢する子供のようであった。

 大の大人が身振り手振りで話すのを見るうち、ウノの鼻先まで上り詰めていた惨めな感情は胸の奥底へと帰っていった。


「ウノは見たことないだろうが、あいつらの毛皮は『太陽の分身』と言われるくらい明るく光っててよぉ。その光に吸い寄せられるようにやってきた動物たちを狩る姿から、”森のチョウチンアンコウ”とも呼ばれてんだとよ。んでもってあいつらの毛皮を使って作られたローブは――」


 ウノからリアクションを貰えたことに気をよくしたのか、相変わらず激しくボディランゲージを交えながら“陽熊サンベアー”なる生き物について嬉々として語っていた。


 しかし、目頭から感情を零すのは阻止できたとはいえ、ウノは地を抉り込むほど落ち込んだ気持ちを再浮上させるのに手間取っており、楽しそうに解説するグラッツに対して愛想マシマシの笑顔を向けるので精一杯だった。


 そんなウノの哀愁漂う微笑みに気付き、グラッツは「てゆーのは置いといて……」と前置きして話題を変える。


「まあ、なんだ、要するに高値で換金できたから、夕飯はステーキでも食うかってことよ」


「ステーキですか!」


 ウノ。齢16。まだまだ食べ盛りなお年頃。

 頑なに地面から離れることのなかった気持ちが”ステーキ”という一単語ですぐさま腹の位置まで起き上がってくる。


 急に爛々と目を輝かせるウノを見て、グラッツは苦笑とも安堵ともとれる笑みを零した。


「その前に、その服をなんとかしないとな」

 

 グラッツが裏口であろう小ぶりな木戸を開き、ウノを手招きする。


 ウノは乾き始めた土を払いながら羽織を脱ぎ、汚れの酷い面を内側に畳み込んだ。

 屋内へ踏み入れる足取りは軽く、少し上ずった声で「ただいまです」なんて言うほどにステーキという魔法の言葉の力は絶大なものだった。


 戸をくぐった先はバーカウンターの内側で、ワイングラスからジョッキ、ショットグラスなど様々な酒器が綺麗に磨かれた状態で鎮座している。


 そのグラスたちと向き合うように置かれた棚には、ウノは口にしたことのない大人の嗜好品が所狭しと並んでいる。

 名もわからない美しい花の模様が描かれたものや、字を判読するのが困難なほどに年季の入ったものだったりと、価値のよくわからない少年でも瓶に触れるのをためらわせる風格があるものばかりだった。


「トミーさん、今帰ったぜ」


 グラッツは店の入り口近くの席でパイプをふかしながら、読書にふけっている初老の男性に呼びかける。


 トミーと呼ばれたその男性は、ふんわりと整えられた白髪や目元に深く刻まれた笑い皺が示す通りの柔らかな物腰で本を閉じると、「おかえりなさい」とこれまた見た目通りの優しい声で答えるのだった。


「おら、ウノ、水浴びてこい。――ウノが用意できたらよぉ、レオナちゃんとこでステーキ食う予定なんだが、トミーさんも来るか?」


「有り難い誘いだけれども、遠慮させてもらうよ。わたしくらいの歳になると、あのお肉の塊を受け付けてくれなくなるのでね」


 今のうちに味わっとくんだよ、とにこやかに付け足したトミーの言葉を背に受けながら、ウノは店の階段を上がり自室へと向かう。


 ステーキに意気揚々と食いつく腹の虫もいずれいなくなってしまうのか、と人生の先駆者の忠告を心に刻み付けるも、当の腹の虫は毛ほども気にする様子もなく、グゥとその存在を主張するのだった。

 

ーーーー    ーーーー    ーーーー


 窓から見える街並みは、夜に相応しく物静かである。


 一方、店内は1日の終わりに腹を満たし、精神を休めるために訪れた人々で賑わっていた。

 黒い何かの汚れの染みついた作業着のまま食事ありつく職人風の男だったり、腕っぷしの立ちそうな若い男衆だったり、優雅にワインのような酒を傾けながら肉料理を味わっているおじさまなんかもいる。


 そんな店の端。

 壁の凹みに隠れるようにある席にグラッツとウノは座っていた。

 濃紺の羽織のフードを被りながら木製の装飾品で統一された店内を見回すウノ。


 ――相変わらず男ばっかだな。


 スタミナのつく肉料理がウリの店であることが要因の1つではあるが、店に来る客の多くは別の目的があるものも多い。


「いらっしゃい、グラッツさん、ウノくん」


 食器の触れ合う音や男らの陽気な話し声の満ちた中でもよく通る声で、空いた皿を両手に抱えた長身の女性が2人に話しかけた。

 赤みがかった茶髪を高い位置に結んでハツラツと給仕に勤しむ彼女は、この店の看板娘のレオナだ。


「今日はなんにする?」


「俺もウノもステーキで頼む」


「牛と樹上豚じゅじょうとんと、今日は陽熊サンベアーもあるよ。どれんする?」


「お! じゃあ、陽熊サンベアーで! あと俺はビールもよろしくぅ」


「はいよ!」


 弾けるような笑顔で慣れたように注文を取ると、ポニーテールを揺らしながら厨房へと消えていく。

 途中、レオナの尻に触れてやろうと画策するほろ酔いのおじさんの脛に鋭い蹴りをお見舞いし、「次はその肉おろして鍋に入れるからね」と本当に起こりそうな冗談を言いながら。


 その様子を見ていた周りの客たちは、手を叩き笑い、指笛を吹いて囃し立てる。


「レオナちゃんに手出すとはおっさんもやるなぁ!」

「やめとけやめとけ、ありゃ、目の保養だけにしとかないと、メニューに加えられちまうぞ!」


 この店ではありふれたやり取りを端から眺めながらウノは水を一口。


 思えば、美女との追いかけっこのせいでろくに昼ご飯も食べられなかったのだ。


 喉を通り、胃に流れ込んだ液体が変に刺激して、口の中に唾液が溢れだす。

 店に充満しているニンニクや肉の焼けた匂いに来た時から過剰反応していて、ウノの空腹感が頂点を迎える。


 グラッツは見事な返り討ちの様子にひとしきり笑ったあと、


「きっと俺の陽熊サンベアーだぜ」


 と嬉しそうにウノに話しかける。


「早く食べたいです」


 空腹が限界だから、という気持ちを込めた相槌だったのだが、グラッツは自分の狩った獲物を心待ちにしていると捉えたようで、なんともご満悦な表情。

 訂正するのも邪だと思い、曖昧に微笑む。


 この街、というか、この世界は、『前世』と共通していることも多いが、根本的な世界の成り立ちとして異なる点もある。

 転生者がいたり魔物がいたりというのもそうなのだが、レオナやグラッツが言っていた聞きなじみのない生物たちの存在はその最たる例だろう。


 陽熊サンベアーは昼にグラッツが嬉々として語っていた通りの動物で、樹上豚じゅじょうとんは主に木の上で生活している手足と尻尾の長い豚のことを指している。

 こういった動物たちは”上位種”と呼ばれていて、馴染み深い熊や豚の生態にプラスアルファの性質を持っているという特徴がある。


 初めは得体の知れない生物の肉を食べることに抵抗もあったものだが、1年も経てば肉は肉でしかなくなる。

 ウノは過去に自らの血肉へと変わり果てた肉たちに思いを馳せ、心の中で合掌。


 なんなら、ポケットにしまえる系モンスターみたいだな、と気付いたあの日から、親近感まで湧いているほどである。

 いくらレベル上げをしても豚は豚のままだという違いはあるのだが。


「お待たせ! 陽熊サンベアーのステーキとビールだよ」


 程なくして、レオナが左手にビール、右手に肉の乗った皿2枚を持ってやってきた。

 肉からのぼる湯気と僅かに聞こえるジュゥという音が、焼き立てであることを物語っている。

 目の前に置かれた瞬間に鼻腔を通り抜けるタレの香りが、ただでさえ収縮を繰り返す胃に追い打ちをかける。


 まさしく垂涎ものを目の前にして、ウノは待ちきれずにナイフとフォークをひっつかむ。

 差し込む寸前に一抹の理性により停止し、承諾を求めるようにグラッツへと視線を投げた。


「はっはっは、こうも反応がいいと、来た甲斐あったってもんだぜ。――神と大地に感謝」


 グラッツはウノのフードを優しく脱がすと、この街の食事前のお決まりの文句を述べ、ビールへと手を伸ばす。

 ウノも続けて「かんしゃ」と短く述べると、待望の夕飯を口に放り込むのだった。


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