1.3 英雄
皿に肉を一口分残し、レオナが後から「特別に大盛りにしといたよ」と持ってきたパンをちぎりながらモソモソと食べているとき、
「食事中に失礼。少々よろしいですかな」
と不自然なほど几帳面に整えられている顎髭をたくわえた、紳士風のおじさまがウノの向かいに座るグラッツに声をかけた。
――お洒落だと思ってんのかな……。
ウノは紳士の髭を眺める。
どういった人生を歩めばこんな感性が育つものなのか、と本気で不思議に思うほどにがっちりと逆三角形に固められているのである。
すでにビールを2杯飲み終え、3杯目に手をかけようとしていたグラッツは、物珍しい形の髭は気にならない様子で、テンション高めに「全然いいぜぇ」と応じる。
「人違いでしたら申し訳ない……。かの英雄、グラッツ様とお見受けいたしますが、相違ないですかな?」
おじさまは親指と人差し指で顎からのびる髭の感触を楽しむようにいじりながらそう問いかける。
グラッツを敬称つけて呼んではいるが、彼を見下ろす双眸に敬意は含まれていないように見える。
帰る身支度をすました後にこちらに来たようで、マントを纏い、ハットを被っている。
そんな紳士の格好は、品よりも肉と酒を重んじるこの店において場違いなほど高貴だった。
――こういう類は苦手だ。
ウノは1口には大きすぎるパンを無理やりねじ込み、フードの下へと逃げる。
どうせ場違いな紳士様の目的はグラッツなのだ。
逃げ足だけが取り柄の弱虫ウノくんは空気に徹しさせていただくとしよう。
「おぁ? 英雄ってのぁ、大袈裟だぜぇ? 俺様がグラッツ様なのは違いねぇがよ」
片眉を上げ、己を親指で指しながらの返答。
言葉とは裏腹に『英雄』という二つ名にまんざらでもないようだった。
紳士は口角だけを上げ、笑顔とは呼称しがたい表情で髭をつまみ捻る。
「謙遜しないでください。20年前の功績を知る者なら、皆あなたをそう呼ぶことでしょう」
「いやぁ、あれは俺だけの力じゃねぇさ。――んでまぁ、えぇと、握手でもしましょおか?」
ビールを置き、グラッツは右手を差し出す。
自分に会いに来たファンへのサービスのつもりだったようだが、紳士はそのファンサを「折角ですが」とやんわり拒否。
行き場を失った右手を頭の後ろに移動させ、元々これが目的だったかのように、伸び。
「あなたがこの店の常連だと小耳に挟みましてね。お話してみたく、馬車で遥々やってきたという訳なのですよ」
「おぉ、そりゃ、ありがてぇこった。じゃあ、俺の武勇伝でも、お話しますか。――あれは、日差しの強い夏の日のことだった……」
と、半ば強引に回想に入ろうとするグラッツを紳士が「結構!」と語気強く制止する。
先程よりも激しめに髭を弄びながら「オホン」と咳払いをして、主導権を戻す。
話の腰を折られたグラッツは「ちぇぇ」と口を尖らせていた。
「ええ、ええ、お話ししてみたいとは思っていたのですが、武勇伝は十分聞き及んでいますので。――わたくしは、あなたが傭兵協会から抜けた件について、お伺いさせていただきたいのです」
グラッツの赤ら顔が、真剣味を帯びる。
「……ちゃんと、手続きは踏んだはずだぜ?」
「不手際を咎めに来たわけではありません。――脱退なさる時、あなたは協会に『狩人に転職する』とおっしゃったと、そう聞いております」
「おぅよ。その言葉の通り、俺ぁ動物狩って生活してる。申請もした。問題はないだろう?」
「ええ、ええ、承知していますとも。――兵士教官への推薦を蹴って狩人をなさっていることは……」
紳士は髭を触る手を止め、探るようにグラッツを見る。
それに対してグラッツは、蛙であればすぐさま硬直してしまいそうなほどの鋭い視線を返す。
陽気さを無くした巨躯から放たれる圧は凄まじいもので、目の前に座るウノは自らに向けられたわけではないのに身を縮こめた。
しかし、紳士は微塵もたじろぐことなく続ける。
「――にも関わらず、弟子はお取りになったようですね」
紳士はフードに隠れるウノを一瞥する。
空気と同化していたはずの少年は、急に訪れた自分の話題に身を弾ませ驚く。
「狩人としての弟子だ。――兵士じゃねぇ」
「そんなに睨まないでください。わたくしは弟子を取ることを否定したいのではないのです。いえ、寧ろ良いことだと思っております」
しばしの沈黙。
その間も、紳士とグラッツは視線で火花を散らす。
相変わらず店内は酔っ払いの笑い声で騒がしいのだが、どことなく皆グラッツたちの様子を気にしているようだった。
ウノはそんな雰囲気を感じ取り、さらに深くフードの中へ隠れる。
2人の間に漂う空気は、ここが食事処であることを忘れさせるほどに張り詰めていて、居心地があまり良くない。
出来る事なら今すぐトミーの店まで帰りたい、とウノは心の中で半ベソかいていた。
「わたくしは思うのです」
沈黙を破ったのは紳士だった。
「狩人の傭兵がいてもいいのではないかと」
「あぁん? 何が言いてぇ……」
「おっと、遠回しすぎましたかな。要するに『狩人のままでいいから協会に戻って来ていただきたい』というわけなのです。もちろん、”英雄”に相応しい待遇を用意した上で、です」
紳士は再び髭いじりを再開する。
満足気に、ねちっこく。
グラッツは不満気に「はっ」と鼻を鳴らす。
「英雄だなんだ言われようが、俺も年なんでな。お役に立てるとは思えねぇよ。それともなんだぁ? おっさんの手も借りたいほど傭兵協会さんは人手不足だってのか?」
「いえいえ、あなたは自身を過小評価してらっしゃる……。“英雄”が所属しているというだけで、周りからの目は大きく変わるものですよ。そして、その“英雄”の弟子になれるかもしれないとあっては、若者の目はもっと変わる……」
「けっ、俺ぁ人寄せパンダかよ」
「ええ、ええ、あなたには人を引き寄せる魅力があるのです」
「――じいさんに口説かれるたぁ、のらねぇぜ」
グラッツは紳士から視線を外し、ビールをあおる。
一気に飲み干すと、荒々しく木製のジョッキを置いた。
「1年前も散々言ったはずだが……俺ぁ、要人の護衛も魔物討伐も飽き飽きしてんだ。弟子を増やす気はねぇし――戻る気もねぇよ」
そして再びの沈黙。
グラッツは苛立っているようで、空になったジョッキをコン、コン、コンと机にぶつける。
紳士の方は考え込むように顎からのびる髭をするりするりと触っている。
数秒ほどして、グラッツの意思は固いとみたのか、紳士は「ふむ」と呟くとハットを脱ぎ、胸にあてた。
そして心ばかり腰を曲げ、
「これ以上、問答を続けても意味はないようですね。今日はこの辺で退散するとしましょう」
ハットを被りなおした紳士はグラッツたちに背を向ける。
が、1歩進んだところで顔だけこちらに向けた。
「おっと、忘れるところでした。わたくしはグリンデン商会のサムネル・グリンデンという者です。この老人が遥々あなたのもとへやってきたこと、頭の隅にでも置いておいていただけると有り難い」
60歳ほどに見えるが、『老人』という自称するには良すぎる姿勢と強すぎる眼光でそう言った。
グラッツはサムネルを見ることなく「へいへい」と流すように手をプラつかせる。
「最後にもう1つ――取る弟子はじっくり吟味なさった方が良いですよ。”英雄”の弟子が『落ちぶれ転生者』とあっては、あなたの名も廃りましょう」
サムネルの言葉にウノは隠れ蓑の中で目を見開く。
グラッツの行きつけを見つけ出し、わざわざ馬車を使ってまでやってくるような人物だ。
グラッツに弟子がいることを知っていて、素性を調べないわけがないだろう。
ウノが転生者であること。
『転生者もどき』と、『落ちぶれ転生者』と、揶揄される必殺技しか持たないこと。
知っていて当然である。
この1年でもはや言われ慣れた不名誉なその二つ名が、今更心外だったわけではない。
心に刺さり、抉り、嬲るのは、『あなたの名も廃りましょう』という言葉。
頭をよぎらなかった訳ではないが、得意の逃げ腰で考えないようにしていた。
それを、紳士によってはっきりと告げられた。
――俺は、グラッツさんの足を引っ張る存在でしかない……。
「――技を発動できるほどの英傑に育て上げるつもりであれば別ですが……」
サムネルが付け加えたその一言で、ギリギリのとこで耐えていたグラッツの怒りが爆発した。
椅子が後方の壁まで吹っ飛び大破するほどの勢いで立ち上がると、獣のように歯を剝き出しに紳士へ歩み寄った。
サムネルの二回りはある巨大な体で今にも頭にかぶりつき、もぎ取らんとするかの如く剣幕で見下ろす。
「フー、フー」とウノにまで聞こえるほど荒い息遣いで、紳士の肩に掴みかかろうとしたその時、
「……追加の注文でもどうだい」
とレオナがサムネルとグラッツの間に盆を差し込んだ。
「グラッツさん、飲み過ぎだよ。水飲みな。――グリンデンさん、食べ足りないならいつでも注文受けるよ。おすすめはあそこのおっちゃんのモモ肉のスープさ」
いつの間にか店内は水を打ったように静まり返っていた。
スープになりかけているおじさんの「ひぃ」という小さな悲鳴が響くほどに。
厨房にいたレオナの母親まで含めたすべての人の注目がグラッツとサムネルに集まっていた。
客らの視線に気付いたグラッツは、瞳孔の開ききった目を閉じる。
そして、頭をがじがじと搔きむしりながら「すまねぇ……」と呟いた。
巨漢に詰め寄られても顔色ひとつ変えなかったサムネルは、涼しい表情のままハットのつばに軽く手を添えレオナに会釈する。
「魅惑的な提案ですが、充分堪能させていただきましたので。モモ肉のスープはまたの機会にでもお願いしましょう。お代は机の上に。――作り手に感謝いたします」
何事もなかったかのように優雅に店を出ていく。
この街の食後のお決まりの文句を添えて。
扉が閉まり、しばらくして馬車の駆け出す音が微かに聞こえた。
「ふん、二度と来ないでくれると嬉しいんだけどね」
腰に手をあて、レオナが言う。
「お偉いさんは中央区から出てきなさんなってんだ。さ、空いた皿でも片付けようかね」
その言葉を皮切りに、若い男衆らが乾杯し、他の客もまた会話や食事を再開する。
どことなく空騒ぎのようだったが、活気を取り戻したその雰囲気にウノは思い出したように深呼吸。
入り込んだ空気が体を巡り、冷たく固まった指先に血気を取り戻させていく。
「ふんふん」とまだ少しご立腹の様子のレオナは、赤茶の髪を大きく揺らしながら紳士の座っていた席を片付けに向かう。
皿を持ち、机にのった硬貨の枚数を確認したレオナの動きが停止する。
眉を寄せ、もう一度1枚1枚慎重に数えていく。
この店で1番高いメニューでも銀貨3枚ほど。
対して、レオナの手の中にはその10倍以上の金額が握られていた。
「――もう一回くらいは来てもいいかもね」
金に目がくらんだ看板娘の独り言は幸い誰にも聞かれることはなかった。
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