第46話 悪役令嬢の迷路 1

国一番の園芸職人が手掛ける王宮の庭は、本日も一部の隙も無く美しく整えられている。


学業を修め今年より本格的に執務に専念され日々多忙な毎日を過ごすリチャード様も、今年より始まった王太子妃教育(なぜだか王子妃教育で既に履修したことばかりでしたわ。不思議)に精を出すわたくしも、今は仲良く王宮の庭園にて息抜き中である。


リチャード様は学園をご卒業されてから、目が回るような忙しさである。

しかし、どんなに短い時間になろうとも一日に一度は私とこうして過ごす時間を確保してくださっている。


世の中の政略で結ばれた婚約者というのは、こんなにも大切にされるものなのだろうか。

一般的な基準はわからないにしても、我が婚約者であるリチャード様ときたら婚約者の鑑ではないだろうか。


こうして大切にされていると感じる度、私もリチャード様を幸せにしたいと強く思うのだ。


それはそうと。

婚約者同士の語らい中だというのに。

王妃様自慢の"薔薇の迷路"で、迷路に相応しく迷子になってしまっている。


この芸術を眺めれば良いのか、こうして迷う者たちも含めて芸術なのか。奥深いわ。

ふむ、と隣を見上げれば何が愉快なのかニコニコとご機嫌な様子なリチャード様から微笑みが返ってきた。


迷路に足を踏み入れた頃合いで『見失ってはいけないから』と手を繋がれてしまったけれど、これは一般的な婚約者の距離感として正しいのかしら!?

前婚約者のリヒト様とはこんな距離感ではなかったから戸惑ってしまう……!


異常なほど心臓が震えて落ち着かないので、それとなく握られている手を奪還しようと引いてみるが、抜けない。

そんなに強く握られているわけでもないのに抜けないわ。魔術かしら。


戸惑う私に追い打ちをかけるようにいたぶることにしたのか、更に距離を詰めるリチャード様。

重ねて『そんなに可愛い顔をされてしまえば甘やかしてしまいたくなる。出口を教えようか?』と甘く囁かれたが、馬鹿にしてもらっては困る。


悪魔の囁きは心が弱っている隙に入り込む。そういうものだ。

そそそそそのような、あからさまな罠にそう易易と乗る私では無いのだ!


砂糖を煮詰めたような甘い罠で堕落を誘う魔王の美麗なお顔をキッとにらみ上げた。顔が良い。


「結構です。己の力で活路を見出してご案内して差し上げますわ!」


戸惑う乙女心より、挑発された心に火がともれば異常な距離感なんて二の次ですわ。

啖呵を切ってリチャード様の手を強く握り込み返し、足を進める。


魔王様はなぜだか「そう?」とだけ呟き、なぜだか笑みを深くした。

そのような顔をしていられるのも今だけですからね!



───それから、もう何度曲がったか。


天を仰ぎ見れば鳥さんが自由に大空を羽ばたいている。

なんと良い天気でしょうか。


おかしい。この桃色の薔薇に至っては、もう三度見ましたわ。

この薔薇が乙女だったならば運命を感じてロマンスが始まってもおかしくないほど見かけています。

残念ながら乙女では無く薔薇なので始まってもいなければ、迷宮の終わりも見えていないわ。


乙女と言えば、昨日のあの後すぐに部屋へ戻されてしまって結局詳しいことはわからず仕舞いだ。

レイノルドお兄様がおっしゃっていた"聖女"とはいったい、何者なのかしら。


「ローズ、今日はなんだか迷宮入りになりそうだね」

「こちらを造園した者にわたくしからもご褒美を差し上げたいほど見事な迷宮ですわ。しかし、まだ諦めてはいません! どんなに迷おうとも、足を動かし続ければ道は拓けるのですわ」

「いいね。また惚れ直してしまったよ」


その時、ピュイーーーと鳥の声が聞こえ、すぐガサガサッと生垣の揺れる音がした。

何事かとリチャード様の盾である私は前に立とうとしたが、なぜか素早く後ろに隠されてしまった。


生垣を揺らす音がぐるりと近づいてくる。

リチャード様が静かに見据える方向の生垣が揺れ、黒髪の女性が現れた。


「やっぱりここにいたのね!」


女性は私たちを目視すると、少しむくれたような表情でこちらの方へ走り寄って来た……ところを横から出てきた近衛騎士の隊服を身にまとった、リチャード様の側近であるトーマス様が素早く捕らえた。


まさか、トーマス様はずっと側に隠れ護衛していらしたのかしら!?

わたくしとリチャード様が手と手を触れ合わせながらグルグルと歩いている後ろにずっと居たのかしら!?

悲鳴ものである。羞恥の。

ここが私室の寝室だったならば心ゆくまで縦横無尽に転がることで精神の安定を図るが、ここは我慢である。


「……どなたかな?」


リチャード様の声が低く、落ちた。


トーマス様に拘束された黒髪の女性は抵抗することも無く、大人しく腕を捕まれたままリチャード様と私をまじまじと見ている。

……見すぎではなくて?


すると、女性が現れた生垣からもう一人「勢揃いだな」と、ひょっこりと出てきた人物がいた。

昨日ぶりのレイノルドお兄様だ。レイノルドお兄様はトーマス様に気づくと、人懐っこい表情で再会を喜んだ。


「トーマス! 久しいな。あぁ、その女性は不審者じゃない。手を放してくれ」


トーマス様はレイノルドお兄様の賑やかな登場に驚いた様子を見せたものの、軽く目礼しリチャード様の合図を待って女性の拘束を解いた。

すると女性は視線をレイノルドお兄様とリチャード様とを行ったり来たりさせながら、レイノルドお兄様の腕に手を添えた。


迷宮の一角に大集合である。王妃様の迷路は大人気ね。


「そちらの女性はレイノルドの知り合いか? ……あぁ、もしかしてこちらの女性が」

「そう、サーラだ」


サーラと紹介された女性はレイノルドお兄様の陰に隠れながら目を伏せ、小さく「サーラと申します」と呟いた。

なんだか不思議なアクセントのある言葉だった。


「サーラ、こちらは兄上と、ローズ……俺たちの幼馴染だ。可愛いだろう」


長い脚で瞬く間にこちらまで近づいたレイノルドお兄様に腕をとられ、サーラと紹介された女性の前まで引きずり出されてしまった。ムムムッ! 淑女に対して、やり方が強引ですわ!


強引な男の顔を見上げ、気安く触らないでくださる!? とばかりに睨むと、ニヤリと悪そうに笑った。

この表情には見覚えがあった。これは”良い意地悪”を思いついた時の表情である。


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