第47話 悪役令嬢の迷路 2

レイノルドお兄様は企み顔を引っ込めると、あたかも昔から想いを寄せていた女性を見つめるような表情をこちらに向け、もう一度「ローズは本当にかわいいな」と囁いた。もちろん周囲に聞こえるように、だ。


リチャード様とよく似たお顔でそう言われると……な、なんだか……


いや、やっぱり全く嬉しくはないわ。

レイノルドお兄様が言う『かわいい』は小動物をいたぶって遊ぶ狼が獲物に使う方の『かわいい』である。いわゆる愛しいの『かわいい』では決して、無い。これは私たち年下組の共通認識である。


思わず感情を無くしたキツネのような顔になりそうになったわ。


それはさて置き。こちらの客人、サーラ様の前で取り乱すのも得策では無いので、ここは挨拶を済まして去りましょう。そうしましょう。


サーラ、と紹介された黒髪の女性は不思議な肌の色をしていた。

近隣諸国に多い乳白色や小麦色とはまた違う、砂漠の民の褐色ともまた違う、卵の黄身と全粒粉を混ぜたような滑らかそうな肌に黒曜石のような煌きを放つ瞳。同じく黒く輝く髪は真っすぐ揃って腰ほどの長さで揃っている。


骨格や目鼻口の形、どれをとってもあまり見かけない風貌の女性だった。


どのような方かはまだわからないが、レイノルドお兄様が王宮まで伴うような方なのだろう。


レイノルドお兄様の手を腕からそっと外し、サーラと呼ばれる女性へ半歩近づきふわりと羽根のようにドレスを摘み、軽く膝を折る。


私をあたかも従順な子分かのように扱うレイノルドお兄様にも、昔のままでは無いのだと見せつけるように、何度も鏡の前で練習した外交向けの表情を浮かべ挨拶を贈る。


「わたくしはローズ・アディールと申します。サーラ様のご来訪を歓迎いたしますわ」


次に、お見知りおきを……とか、サーラ様とお会い出来て嬉しい……などと続けようと思っていたのに。

なぜだか横にいたレイノルドお兄様に、ぐわしっと片手で頬を掴まれた。そして小声で「猫を被るのが上手くなったな」と囁かれる。私にだけ聞こえる声量で。


しゅしゅ淑女の頬に気安く触らないでくださいませんこと!?

あと、距離が近いですわ!?


ふぎゃあ!と頬を掴むレイノルドお兄様の手首を掴もうとする前に、リチャード様の手が私の頬を掴む不届き者の手を払った。


「レイノルド、昨日から言っているだろう。ローズに気安く触れないでもらえるかな」


きゃ! ヒーローに救出されてしまったわ! と、胸を高鳴らせリチャード様の方を仰ぎ見れば、魔王がいた。言葉は優しいのに瞳が深淵のようだわ。光が届かないほど深そう。


リリリチャード様! その黒いオーラを抑えてくださいませ!!

魔王に怒られたレイノルドお兄様は、からかうような表情で両手を挙げている。


流れを戻すようにコホン、とサーラ様に向き直ると彼女は顎を少し持ち上げつまらなそうに「よろしく」と鼻で笑った。


「───それにしてもレイノルド、あなた双子だったのね」


次の瞬間にサーラ様はレイノルド様に向き直り親しげに話し始めてしまった。

私への挨拶は「よろしく」で完了したようだ。


思わずポカーンと口が開いてしまいそうになるわ!

侯爵家に生まれてこの方、こんな対応をされた経験が無いので新鮮ですわ!


アディール家より高位の方々ももちろん、政敵と呼ばれる派閥違いの方々にもこのような敬意の足りない対応はされたことがない。


これにはこの優美で完璧な迷路ほど広い心をもつわたくしでも、ポカーンよ!


けれど、このサーラ様を招いたレイノルドお兄様は何も言わない。

ははーん。もしかして、サーラ様は極度の恥ずかしがり屋なのかしら……!?

わたくしのご挨拶が眩しすぎて気後れさせてしまった可能性も捨てきれませんね。ええ。


レイノルドお兄様に話しかける口調はかなり親しげだが、サーラ様は何者なのだろうか。


「それで、こちらのお兄様のお名前はなにかしら?」


今度はサーラ様の妖艶とも言えるミステリアスな黒曜石の瞳がリチャード様にチラリと流される。


んな! その妖艶キャラは私と被っていますわ!

どうやら極度の恥ずかしがり屋さんではなさそうである。話が変わってきたわ。


新生妖艶キャラのサーラ様の流し目を受けたリチャード様の反応がどうなってしまうのか、見たくないような気になるような……! いいえ、状況把握は大事よね。と、チラリと視線を上げ伺い見ると──



まさに”無”といった無表情のリチャード様がいた。

無、ですか。この反応は予想していませんでしたわ。


「サーラ、兄の名はリチャードだ。リチャード、サーラはこれから暫く王宮に滞在する。ローズも仲良くしてほしい」


「……歓迎しよう。王宮に滞在するならばこの国のことをよく『紹介』するといい。皆、不慣れな客人に『挨拶』したがるだろう」


リチャード様は、やっと外向けの微笑みを作り返事を返した。……レイノルドお兄様に。

これは『挨拶の仕方を教えてやれ』という意味だと思うわ。底冷えするような冷気をかもしだす魔王様に凍らされそうになりながら、私も微笑んで見えるような顔を貼り付けた。


それをどう解釈したのか、サーラ様は頬を染め神秘的な黒曜石の瞳を更に輝かせリチャード様を見つめる。


「リチャード様、ね。わたしのことはサーラと……」


サーラ様はリチャード様に近づこうとしたが、リチャード様は半身を下げ距離を取り、サーラ様の前にトーマス様が立ち塞がった。


「あら……お兄様は照れ屋さんね?」

「はは、リチャードはどうやらサーラに気に入られたみたいだね」


レイノルドお兄様の白々しい演技にぐっと気温が下がった。

あら……?先ほどまで快適な気候でしたのに……?


この寒さを感じているのは私だけなのか、レイノルドお兄様はリチャード様の方へとサーラ様の背を押した。


「サーラはローズより年上の18だし明日にでも後宮に入内可能だよ。他国に流れる前に捕まえておいた方がいいんじゃないかな」


トーマス様が近くにいるからかハッキリとは言わないが、聖女のことを言っているのだ。

ピリッとした視線が交わされる。


「側室だったら情報を引き出した後で降嫁できるし。まあ、気に入ったらそのまま後宮に住まわせたらいいんだし。リヒトもいなくなった今、保険は必要でしょう? ローズはまだ年齢が足りないし。ローズもそんなことでいちいちヤキモチなんて妬かないよね?」


「……すまないが今は婚約者とデート中なんだ。私たちは先に行くよ」


デ、デートですって!!

思わず火が付いたように顔が赤くなってしまったかもしれないが、それを知られてしまう前にリチャード様に腰を押され、先ほどまでとは逆の道へ足を進めた。


「あら。こんな天気に」


ポトリと落ちた言葉にリチャード様の足が止まる。

リチャード様ごしに彼女の方へと振り返ると、私の目を見て口端を釣り上げた。


「ふふ。もうそろそろ雨が降るわ。そちらの”かわいい”婚約者さまを鳥籠に戻してあげた方がいいわね」


風邪をひいたら大変、と目を細めて首を傾げた拍子に黒髪が肩から滑った。

なんだか、その髪のように黒い染みがじわりと胸に浮かび上がったような気がした。


再びリチャード様に押されるように足が動き、角を曲がったところでレイノルドお兄様とサーラ様は見えなくなった。


「雨、か」


リチャード様の呟いた声に釣られ空を見上げるが、どう見ても雨が降りそうな兆しは見受けられない。からかわれたのだろうか。

そうこうしているうちに、天使と女神の戯れている彫像が美しい噴水の広場に出た。出口である。


早速デートが終了してしまった。これがデートであると知らされて終了するまで、世界最速のデートだったのではないだろうか。


「……こんなに近くに出口があったのですね。盲点でしたわ」

「もう少しだったね」


少し拗ねた気持ちを隠しながらチラリと見上げたリチャード様の表情は先ほどとは違って柔らかいものに戻っていた。無表情から戻っていたリチャード様にほっとして、終わってしまったデートが名残惜しくリチャード様のジャケットの裾を握って引き留めてしまう。


「ん? どうしたの?」

「いえ……少し……」

「はは、寂しくなった?」


ジャケットの裾を握る私の手を、リチャード様の大きい手が包み込んだ。その手をゆるりと持ち上げられ、キスが落とされた。


いつもは手にキスを落とした後、すぐ手を下ろすのに。今日のリチャード様は手に唇を寄せたまま私の方をじっと見ている。


「手にキスをされるのには慣れた?」

「んな、慣れ……!?」


慣れたのかと指摘されてしまえば急に恥ずかしくなり、握られている手を引き抜こうとするが、いつの間にか手も腰もがっしり捕まえられていて逃げられない。


ひぃ!!


リチャード様の視線に捕らえられ、心臓の音や呼吸すらも握られているのではと錯覚した。

捕まれていた手を大きい手が滑り、先ほどレイノルドお兄様に捕まれていた腕をゆるりと撫でた。


「”ローズは本当にかわいいな”」


そう呟いたリチャード様の表情は、先ほどのレイノルドお兄様が作った表情に似ているのにそれを受けた私の心持ちは全く違う。まるで本当に昔から想われていたかのように錯覚して────


「二人とも。出口でいちゃつくのはよしてくれ。皆が出てこれないだろう。それに時間切れだ、パトリックが探していたぞ」

「んな!?!?」


叫んだ拍子に噴水の女神像に停まっていたいた鳥さんがバサリと羽ばたいた。リチャード様と私しかいないと錯覚していた空間に、突然乱入した第三者の声に驚いて変な叫び声が出てしまったわ!?


声がした方を振り向けば、トーマス様が呆れた表情でこちらを見下ろしていた。仁王立ちである。そして、トーマス様の後ろからぞろぞろと護衛騎士たちが出てくる出てくる……

まさか、こんなに……こんなに、大人数に見られていたのかしら……っ!?


「──トーマスも邪魔をするのか……」


今度は羞恥で赤くなる顔を隠すのに必死で、リチャード様の哀愁漂う呟きは全く聞こえていなかった。



そして、リチャード様とわたくしを探しに来たお兄様に引きずられるように王宮に戻ったすぐ後。

晴れていた空は雨雲が立ち込め、王都には雨が降り始めたのだった。


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