第39話 【閑話】神官長の次男は頭が固い

「ノア様。ごきげんよう」


「ローズ様、本日もようこそ。

 ………告解室をご利用ですか?」


「ええ。もちろん」


今日のローズ様は頭にスカーフを巻き、手にはユリの花を抱えていた。


久しぶりにローズ様の頭にスカーフが巻かれているところを見て、無意識に目を逸らしてしまった。

目を逸らしたところをローズ様に気づかれていないかと、心臓が不安な音を立てる。


ローズ様は連れの侍女にユリを手渡すと、私の後に続き告解室へ入室した。


告解室の中は無音だ。

この中は外界と切り離された空間であるため、音が漏れない仕様になっている。


この場ではどんな身分の者も、一人の人間となり神に己の罪を告白し懺悔するのだ。


でも、ローズ様と私の間でこれから行うのは…悪巧みだ。ある意味、罪の告白であり懺悔でもある。


「それで…あれから何かありまして?」


薄いカーテンに隔てられた向こう側から、ローズ様の落ち着いた声が聞えてきた。




リヒトとソーニャの件を報告した日。

私とベンは、リヒトを……幼い頃からの友人を裏切り密偵の任を受けた。


ベンはリヒトを守るためにするのだと言っていたが、私はそう思えなかった。


リヒトは素直な人間だった。少し言葉が足りないところもあるが、真摯に話せば聞いてくれると…その時は、まだ、性懲りもなくそう思っていた。


しかし、ローズ様に『第二、第三のソーニャ様が現れるだけ』と言われ、己が浅慮だということにも気付かされた。


わかっている…わかってはいるが…


あの日から、私の心は罪悪感に支配されていた。




「二人はお忍びで市井に下りました。私達も途中までは一緒にいたのですが、撒かれてしまい2時間ほど離れて…」


「…っ、…お忍びで……」


ローズ様の声は大きく動揺していた。

それもそうだろう。ローズ様がリヒトたちの…私達の…後始末や今後の対策に右往左往しているのに、本人たちは…己の婚約者と浮気相手は市井でデートだ。


それに、ローズ様はリヒトをとても好いていた。ローズ様といえば、幼い頃うっとりとリヒトの髪を撫でたり触ったりしていた様子が印象深い。


いつだったか、ローズ様がお姫様ごっこをやりたいと私たちに強請った時に同じく遊んでいた第二王子のレイノルド様が『ローズは髪が白いから、お姫様じゃなくて、こっちの老婆の役が似合うんじゃないか』と言い出して大変だった。


ローズ様がリヒトに助けを求めると、レイノルド様が先回りしてリヒトを脅して『老婆のように髪が白い』と言わせ、ローズ様を泣かせて…


その騒ぎを聞きつけたローズ様の兄パトリック様や、ベンや私の兄上…そして、リチャード様にまとめて怒られて……あれは怖かった。


その一件から暫く、ローズ様は髪をスカーフで覆い隠していた。

それを見た私達3人は何度もローズ様に謝ったが、ローズ様はスカーフを外さなかった。


あぁ、そうだ。私たちはそのスカーフを見るたびに己のしたことの罪悪感にじりじりと苛まれていたんだ。

謝って早く楽になりたくて、謝っていたんだ。

その心すらローズ様に見透かされているようで……


何かのタイミングでローズ様はスカーフを外し、リヒトの金の髪を殊更愛でるようになったのだ。


経緯を知っているだけに、リヒトはどんなに髪を触られようが、編まれようが、リボンで飾られようが、されるがままだった。


あの時のローズ様は母猫が子猫の毛づくろいをするように慈愛の籠もった瞳でリヒトを見てい……


「街のどちらに行かれましたの?」


あぁ。つい昔のことを思い出してしまった。


そんな幼い日々の思い出を懐かしむほど、我々は変わってしまった。

一番先に変わったのは、やはりローズ様だ。


よく泣き、笑う、天真爛漫な少女だったローズ様は王子妃教育が始まる頃には、もう私たちと遊ぶことは無くなっていた。


「貴族街にある、飲食店です」

「…飲食店……それは…つまり…カフェ…ですの?」


ローズ様からカフェという単語が出てきたことに少し驚いてしまう。


「ローズ様もご存知でしたか。そうです、カフェに……」

「カフェへお忍びデー……な、何を召し上がられたのかしら」


「何を…リヒトは紅茶を。ソーニャはアップルパイ、ベンはサンドイッチ、私はスコーンを」

「……っ、そうなのですね。とても美味しそうな品揃えですこと」


「ええ。それはもう、その店はスコーンを売りにしていまして、なんと言っても独自の秘伝のクリームが」

「秘伝の…クリーム…!」


ローズ様の声が作ったものでは無く、どんどん心から出る声に聴こえてこちらも楽しくなってくる。


「ローズ様はスコーンがお好きなのですか?」

「…いいえ。街に暫く足を運んでいないので珍しいお話しにワクワクしてしまいましたわ。それでは、本題に戻りましょう」


先程まで心がこもっていた声も、すっと作られたものに戻ってしまう。

それが残念だと感じてしまうほど、ローズ様のあんなに素直な声は久しぶりだった。


いや、先日の『二人の仲を邪魔して割り込んで木っ端みじんにする』と言った時もか。


それにしても、ローズ様も街に出向くときがあったのか。王子妃ともなれば邸からなかなか出ることは叶わないと思っていたが…


「ノア様は……こういったことは辛いですか?」


ローズ様の慈しみに溢れた声が、静かに落とされた。


「……辛いなど」

「辛い時は辛いとおっしゃっていいのです。必要なこととは言え、リヒト様を餌にしているのですもの。リヒト様を大切に思えば当然の心の動きですわ」


そうだ。ソーニャに煽られ乗せられるリヒトを諌めるでも無く、そばで見ていなければならないのが辛い。


あの時もっとこうしていればと何度も何度も思わされるのが、たまらなく辛い。


だが、


「……私は」


喉が引攣れ、声が止まる。


「……ノア様。差し出がましい申し出だと存じますが、わたくしのせいにされるのは……いかがでしょうか」


「は………ローズ様の……せい、ですか?」


「ええ。わたくしは厳しく!ノア様やベン様を脅して、リヒト様とソーニャ様の情報を聞き出しますわ。こちらにはノア様のご婚約者のエレノア様もいらっしゃいます。これではもうわたくしに従うしかありませんね」


そう言いながら穏やかにクスクスと笑うローズ様の声は、とても温かいものだった。


「ノア様。リヒト様のお考えや、ソーニャ様…ソーニャ様の背後関係がわからないと対応策が決められません。なので、わたくし、とっても卑怯なやり方でも脅しますのよ?」


「ローズ様……」


喉が詰まり、しばらく声を出すことが出来なかった。

それでも、ローズ様は、そのままカーテンの向こう側で私が落ち着くのを待っていてくれた。


ローズ様の優しさは……私には優しすぎる。






しかし、暫くの後この裏切り行為も暗礁に乗り上げることとなる。


リヒトに、私とベンまとめて遠ざけられてしまったからだ。


事情を漏らしていることを悟られたのかとも思ったが、結果そうでは無かった。


この理由を知ったのはだいぶ後になる。


私達はリヒトに守られたのだ。


本件の仲間だと、責任を取らされないでいいように、皆にわかるように遠ざけたのだ。





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